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2009年11月12日 (木)

府立工業対塔南の練習試合を見てきました。

 8日の日曜日、福知山の府立工業のグラウンドへ行き、塔南高校との練習試合を見てきました。イチローは、府立工業へ行くのは初めてで、「府立ぎょうきょう、行くん?」なんて言ってました。

091103  実は、塔南に森脇君、府立工業には西山君という好投手がいて、パパローとしては、かなり興味のある試合でした。ただし、その後に用事があって、試合の途中で帰りましたので、7回まで3対1と府立工業がリードしているところまでしか見られませんでした。

 普通の高校の目線で見れば、さすが好投手対決。両投手とも140キロ近いストレートを投げ込み、練習試合とはいえ、緊迫感のある試合だったと思います。

 ただし、福知山成美クラスの目線で見れば、長いオフを前に、両投手の苦悩ぶりが伝わってくる試合でもありました。

 森脇君は、1年生の昨年、プロ野球のスカウトが福知山成美の長岡投手より楽しみと高い評価をしていて、スカウトからもよく名前を聞きました。ところが、2年生になった今年は、持ち味だったストレートのキレが鈍り、打ちこまれる場面もよく見られ、スカウトから名前も聞かれなくなりました。

 この日の練習試合では、なんと、たまに横手から投げていました。なんでも、球種がストレートとスライダーしかなく、狙い打たれるため、横手投げも加えたということのようです。

 一方の西山君は、秋の大会の時と比べて、フォームが少し変わっていました。そのため、やや腕の振りのシャープさが失われたように見えましたが、どうなのでしょうか。

 ただ、塔南は、京都成章で全国準優勝の経験のある奥本監督、府立工業は、峰山高校を春の甲子園に導いた守本監督と、指導力に定評のある監督が導いておられます。ひと冬越して、たくましくなった両投手に期待したいと思います。

 イチローは、あまり試合を見ず、グラウンドの周りの草をちぎったり、小枝を拾って遊んでいました。その姿を見て、横須賀に住んでいたとき、たまに行った横浜高校の長浜グラウンドを思い出しました。イチローが2歳、3歳の頃で、よくグラウンドの周りのどんぐりを拾っていたものです。

 ちなみに、綾部高校の野球部は、最近、インフルエンザによる学級閉鎖の影響もありますが、蒲田監督のもとで練習に励んでいます。とくに投手陣が少しずつ成長しており、インフルエンザや学級閉鎖で主力を欠いても、練習試合で健闘しています。ひと冬越して、どれだけたくましくなっているか、こちらも楽しみです。

2009年10月23日 (金)

勉強は野球を通じて。

0908   最近は、素早く夕食も、お風呂も済ませ、夜の8:30から始まるアニメ『CODEリョーコ』を待ってい ますが、先日、こんなことを言ってました。

「時計は、じっと見とったら、なかなか進まんで」

 こんなことが言えるんだなあと思うと、何かに夢中になるということは、やはり大切なんだなあと思いました。

 

さて、前回の続きですが、イチローの「小学校へ行ったら勉強をしたい」という気持ちは大切にしてあげたいと思っています。というか、パパローの感覚では、すでに野球を通じて勉強を始めていると思っています。

 たとえば、2歳の頃には、金本選手や藤川投手などの背番号を見て数字を覚えましたし、今は、野球を見ながら、得点の簡単な足し算くらいはしています。また、プロや大学の応援歌を覚えたことで、「掃天かける日輪」(阪神タイガース)とか、「光輝あまねき伝統のもと」なんて言葉も覚えています。

 実は、パパローは、小学の頃、甲子園に出場する学校の所在地を地図で調べ、甲子園まで電車で来る場合、どのルートで来るのかをたどっていました。留萌高校が初出場した時には、「るもい」という響きにワクワクしながら北海道で「留萌」を探したのをよく覚えています。

 また、都市対抗野球も見ていたので、各都市の産業も自然に覚えました。「川崎市代表は東芝」と知っていれば、川崎市の産業は「電機」と答えられ、「浜松市代表はヤマハ」と知っていれば、「浜松市では楽器作りが盛ん」とすぐにわかります。野球に限らず、社会人スポーツを見ていれば、各地の産業がわかり、おまけに、「日本は確かに資本主義国なんだなあ」と思ったりしました。

 さらに、小学6年で憲法の条文を覚えた時は、当時ファンだった巨人の選手の背番号で覚えました。たとえば、第一条なら、王選手が現れ、「象徴天皇制」と言ってから、王選手が「天皇は、日本国の象徴であり」というように話してくれるというイメージで覚えました。野球を通じて、いくらでも勉強はできると思います。

 それ以外でも、野球のことを知るために新聞を読むようになったり、テレビニュースを見るようになったりして、それが、のちに大きく役立ちました。

 また、タイガー・ウッズの高校の数学の先生が、「タイガー君は、ゴルフが忙しくてなかなか学校に来られないけれど、ゴルフ場で代数や幾何を勉強している」と言ったように、野球のプレーをしていても、たくさんのことが学べます。

 パパローは、勉強が目的になると、子供がかわいそうだと思います。受験のためとか、成績をあげるため、数字を追いかけるようになると、誰でも苦しいものです。だから、勉強は、夢中になっているものを通じて楽しくできればと思っています。

 というわけで、イチローの勉強への意欲は、野球を通じて、かつ、いろんな側面から満たしてあげたいなと思っています。

2009年9月24日 (木)

監督が代わりました。

 090911

 朝、けっこう涼しくなってきた今日この頃。先日、起きてきたイチローが、

「寒い、寒い。今、こんなけ寒かったら、冬、どうなるん?」

と嘆いているので、

「冬になったら、ストーブつけるし、コタツもあるやん」

と言うと、

「あっ、そうか。ちゃんちゃんこも着るしなあ。それから、扇風機もつけるし」

「そうそう、涼しい風が吹いてきて、       寒いわッ」

 朝から、イチローとパパローは、こんな会話をしています。

さて、

「体をゆるめる」ということにとても理解のあった綾部高校野球部の監督が、校務の多忙なこともあって退任され、新しく、顧問の蒲田(かばた)先生が監督になられました。

20090911 イチローは、前任の梅原監督にもかわいがってもらっていましたが、蒲田先生とも練習の合間に遊んでもらったり、お昼の休憩には、一緒にご飯を食べに行ったこともあるなど、とてもなついています。

 これからも綾部高校へ通って野球を学び、新監督や選手たちと交流できればと思います。そして、来年の夏には試合に勝って、念願の校歌が一緒に唄えればと思います。

  英語の先生でもある蒲田新監督は、綾部高校に赴任されて2年目。今の2年生が入学した時からなので、その前から野球部に通っているイチローの方が”先輩”になりますね。

 そういえば、最近、イチローは、野球部での態度がでかくなって、

「もっと早く練習に来なさーい」とか、

「ホームラン、打てよぉ」

などと叫んでいますが、野球部に関わる期間でいえば、どの選手よりも長くなっています。

 

 選手たちには、イチローが、綾部高校時代の杉山投手(現巨人)のピッチングを見て、思わず、

「杉山くんて、カッコイイなあ」

と漏らしたように、イチローが真似したくなるような選手に成長してもらいたいです。

2009年9月13日 (日)

甲子園に行ってきました。

0908  9月9日は、幼児園の月に一度のお弁当の日で、今回、おかず部門はパパローが担当しました。お迎えの車の中で、

「お弁当、おいしかった?」

と尋ねると、イチローは、

「うん」

とにっこり。

「何が一番おいしかった?」

「梨」  (皮、むいただけやっちゅうの)

「二番目は?」

「ミニトマト」 (洗っただけやろが)

「三番目は?」

「ブロッコリー」  (茹でただけや」

 まあ、関西人として、答え方もずいぶん上手になりました。

090911_2  11日には、阪神対横浜戦に行ってきました。金本と浅井がホームランを打って、能見が好投。2対1で勝った試合です。

                      20090911席は、前回と同じレフト側外野席で、周りの応援は熱いし、守備につく金本の近くということでイチローが気に入っているところです。しかも、今回は、2回に金本と浅井のホームランが飛び出し、その打球がバッチリ目で追えたことで、大喜びでした。

  その後も、阪神の攻撃のたびに、スティックを叩いて応援。周りのファンと合わせて楽しそうでした。

今年の甲子園観戦は、これで終わりです。

 今年は、新型インフルエンザ騒動で自粛したり、食中毒になって行けなかったりありましたが、野球のことがだいぶわかり、長く野球を見られるようになった一年でした。昨年は、ご飯を食べたら、野球より客席の人たちに興味をもち、ずっと見ていたり、お話をしてもらったりしていましたが、今年は、野球そのものに興味をもてるようになりました。

 おそらく、大きくなって思い出してみてと言っても、ほとんど忘れてしまっていて、思い出せないと思います。パパロー自身も、幼稚園や小学生低学年の頃、高校野球を見に甲子園へ連れて行ってもらっているようですが、座席を道路に見立て、車を運転する真似をして歩いていたという記憶しかありません。

 パパローが、最もよく覚えているのは、中学生から高校生にかけて見た試合です。高校時代の江川や定岡、巨人の王や長嶋、阪神時代の掛布など、本当に細かな動きまでよく覚えています。そして、脳にインプットされている彼らの動きが、事あるごとに映像としてよみがえり、それが、今の仕事や、いろんな意味で人生の楽しみにつながっています。

 中学生、高校生の頃の記憶が、30年以上経った今、これだけ鮮明によみがえるのも、やはり、幼稚園の頃から甲子園に連れていってもらっていたからだと思います。幼稚園時代の脳に野球の試合が強烈にインプットされているから、中学、高校生時代に見た試合が、より強烈な記憶として残っているのでしょうし、また、幼稚園時代の体験を通じて野球が大好きになっていたから、今でも記憶が鮮やかによみがえるのだと思います。

 コツコツという人生の積み重ねは、本当に日々刻々と行われているのだと思います。

2009年8月31日 (月)

甲子園へ行ってきました。

20090828  28日(金)に、甲子園球場へ阪神対巨人戦を見に行ってきました。

 阪神が、狩野選手の3ラン本塁打などで5点を取り、能見投手の好投もあって5対1で勝った試合です。

20090828_2

 席は、外野席(左中間)の2列目で、周りは、年間チケットを持って毎試合のように来ている人たちばかり。熱狂的応援団のど真ん中だったんですが、イチローにとって、さらに刺激的だったのは、幼稚園児や小学校低学年くらいの子たちも、小旗を振ったり、応援リーダーの真似をしたりしていたこと。

 この日、イチローは、何も応援グッズを持っていかなかったんですが、思わず、手拭きを手首に巻き、手拍子なんかでよく参加していました。

 20090828_3 もちろん、『六甲おろし』もよく歌ってました。右頬に、遊んでいてこけて、できた傷跡があるんですが、そんなことも忘れて楽しんでました。

 パパローは、プロの投手のボールのキレの良さを改めて感じました。ほんの2週間前には、同じ甲子園で菊地雄星君(花巻東)や今宮健太君(明豊)の150キロ台のボールを見ましたが、今日の能見投手のボールは、140キロ前後でした。数字の上では、能見投手より高校生の方が遅いのですが、ボールのキレは、能見投手の方が数段上です。

 その理由は、さまざまありますが、投球フォームもその一つ。と思っていたら、イチローが、スーパーの袋におもちゃなどを詰めて歩いていましたので、

20090819「ちょっと、その荷物をかついでみな」

「そのまま、ヒジを前へ出してごらん」

といって、ヒジが前へ出る形をつくらせました。おそらく、日常の中でも、このなような習慣も、後の投球フォームに影響するのだと思います。

2009年7月28日 (火)

今年も校歌が歌えませんでした。

090725  第91回全国高等学校野球選手権京都大会で、綾部高校は、初戦で洛星高校に0対4で負けました。

 綾部高校の校歌を覚えているイチローは、試合に勝って、選手やマネージャー、保護者の方々と一緒に歌えることを楽しみにしていましたが、今年も叶いませんでした。

 相手チームは、京都で一番の進学校ですが、野球でもしっかりと指導され、攻守ともよく鍛えられていました。完敗でした。

 もう綾部高校では、新チームがスタートしました。今度のチームとは、一緒に校歌が歌えればと思います。

2009年6月11日 (木)

綾部高校・甲子園・早稲田大学・阪神タイガース

090608  だいぶ前の、ひらがなを覚えている頃、イチローが「ぱぱとばあばは、なんか似てる」と言うので、「そりゃあ、親子だもんな」と思ったら、「ぱとば、が」と言ったので、「そっちかい」と思ったことがありました。

 最近、イチローが「ママと○○ちゃんのお母さん、どっちが大きん?」と言いました。ママローが、「それは見たらわかるやろ、○○ちゃんのお母さんでしょ」と答えたら、「○○ちゃんのお母さんて、何歳なの」って言ったので、やっぱり「そっちかい」でした。てっきりサイズの方だと思っていましたが、同じ「そっちかい」の話でも、イチローは、ずいぶん成長したなあと思います。

 前回のブログで、イチローが、夏の高校野球に備えて、綾東幼児園へ通う車の中で綾部高校の校歌を覚えたと書きましたが、校歌はまず、パパローが歌うのをじっと聴き、それから一緒に歌いながら覚えていきました。

 校歌は、「四尾山の朝のかぎろい」で始まります。「四尾山」は車の中から指さして教えられますが、「朝のかぎろい」は意味もわからず、暗記します。そういえば、「『まなーびのみーちー』って、どういう意味?」って聞いたこともありました。

 意味はわからなくとも、5、6回も聞くと覚えます。それから、一緒に歌って微修正して、ほぼ完璧に覚えました。完全に覚えてしまった最近では、こちらが歌詞を間違えたりすると、ボソッと「高く、新たにやろ」などとつぶやいて直されたりします。

 現在、車の中で歌っているのは、この綾部高校の校歌と、夏の甲子園大会のテーマ曲「栄冠は君に輝く」、早稲田大学の第一応援歌「紺碧の空」、そして、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」です。

 まあ、ここから先は妄想ですが、これらの歌をつなげると、綾部高校で甲子園に出場し、早稲田大学で活躍して阪神タイガースに入団する、というストーリーが出来上がっているといえなくもありません。偶然ですが、そのようになっているなあと思ったのでした。

 綾部高校出身のプロ野球選手は、過去にただ一人で、今年、巨人に入った杉山投手だけです。ですから、これまでに、このルートをたどった人はいません。

 もっとも近いのは、大阪の北陽高校で甲子園に出場して早稲田大学から阪神に入った岡田彰布前監督と、埼玉の聖望学園で甲子園に出場して早稲田大学から阪神に入った鳥谷敬選手でしょう。

090610_2

といって、イチローは、球場へ行っても鳥谷選手には目もくれず、背番号「6」の金本選手の大ファンです。

 なぜ、金本選手なのかは今のところ不明ですが、あまりに大好きなので、幼児園へもっていくお弁当も、ママロー特製の「阪神・金本弁当」なのでした。

2009年6月 8日 (月)

綾部高校の校歌、練習してます。

 090606 朝、綾東幼児園へ行くクルマの中で、イチローは綾部高校の校歌を練習しています。

 去年の今頃も練習して、けっこう歌えるようになっていたので、6月になってから始めて、もう一人で歌えるようになりました。

 練習する目的は、もちろん夏の京都予選で野球部を応援して、選手や監督、顧問の先生、それにいつもかわいがってもらっているマネージャー、そして顔なじみになった保護者の皆さんとも一緒に校歌をうたうためです。夏の予選は、勝てば校歌がうたえるので、まず、1勝です。

 今年の京都は、スポーツライターとして予想すると、福知山成美がやや抜けた存在だと思います。戦力的に見ても、かなり強いです。でも、田所監督にそう言うと、「そんなにうまいこと行かへんのですよ」とおっしゃるように、高校野球は何が起こるかわかりません。そういうところも、見る側とすれば、高校野球の魅力の一つですが、なじみの深い福知山成美にも頑張ってほしいと思います。

 綾部高校は、春の大会は1つ勝ちましたが、次で勝てると思った相手に負けてしまいました。それでも、今年は春の大会でベスト8に残った鳥羽や東山に、練習試合では勝っています。大会に向けてうまく仕上げていけば、面白い存在になれるのではないかと思っています。

 最近、イチローは、試合中の得点経過もわかるようになりましたし、得点の足し算も数え、数えできるようになってきました。この土、日で計3試合見た練習試合では、「綾部12点、相手は1点、いえーい!」と喜んだり、途中経過を見て「まだ2対2か、なーんや」と言ったりしてました。

 せっかく校歌も覚えたので、今年の夏は1回といわず、何度も歌いたいものです。

2009年5月28日 (木)

甲子園行きを自粛しました

 本当は、昨日、甲子園球場へ阪神対西武戦を見に行く予定でした。席も、イチローの大20090526 好きな金本選手を目の前で見られるように、レフト側外野席の最前列を取っていたのですが、新型インフルエンザの影響で観戦を中止しました。

 綾部では、まだ患者は出ていませんが、兵庫県や大阪府は患者も多く、学校や幼稚園が休校になっていました。そんなところへ5歳の子供を連れていって、万が一にも感染してしまったら、イチローがかわいそうです。また、入院したり、事情聴取を受けたり、症状以外でも大変な思いをしなければなりません。

 それに綾部に新型インフルエンザを運んできたことになっても大きな迷惑となります。

 というわけで、もっと早い段階で観戦中止を決めていました。イチローとママローは、先週の土曜日からの東京行きも中止をしており、最近は、中間テストの明けた綾部高校野球部に行っただけで、静かな日々を送っています。

 ただし、昨日のナイター中継をみると、お客さんは満員で、中には、小さな子供もいました。0・8秒ほど気持ちが揺れましたが、来月は行けるといいなあと気持ちを落ち着かせました。

 イチローは、ナイター中継を見ると、すぐに「あっ、金本」と金本の姿を見つけて喜んでいました。

 

 ここ数日、外国のコンピュータからの発信と思われる迷惑コメントが、多数送られています。そこで、コメントを頂く場合には、迷惑コメントを防止する手続きを取って頂くことにしました。お手数をかけますが、よろしくお願いします。

2009年5月24日 (日)

イチローはいぶし銀系?

 23日㈯は、イチローの通う綾東幼児園の参観日でした。

 その数日前、イチローが、

「家族の絵を描くんだけど、誰を描いたらいい?」

と聞いてきました。

「ママを描いてあげれば」

とパパロー(なんとも奥ゆかしい)。

「パパ、描きたい」

「パパを描きたいの?(ちょっとうれしい)。じゃあ、パパとママの2人は?」

「一人しかあかんのやもん」

「それじゃあ、ママ描いてあげればよいやん」

「パパを描きたい」

「そうなん(かなりうれしい)。なんでパパがいいの?」

「描くの簡単やもん」

20090523 「簡単」て、あんた。

それで描いてくれたのが、この絵です。

 この日は、子供たちのドッヂボールも見ました。以前、「ぞう組(年長組)」になったら頑張りたいことで、イチローが挙げていたのもドッヂボールでした。

 登園していた21人を2組に分けて、プレーボール。パパローが以前から運動能力が高いと目をつけている子たちは、最前列で果敢にボールを奪って相手チームの子を狙いに行きます。

「おお、いいねぇ」

0905 と思いつつ、イチローは? と探すと、なんと逃げるばかり。ボールを取って当てようという気はさらさらなく、まさに専守防衛でした。

ボールを投げることは、生後6ヵ月頃からしていて、今でも野球ボールならけっこう強いボールを投げます。だから、ドッヂボールでも投げれば、強いボールが投げられると思うのですが、最前列で目立つより最後まで生き残ろうという意思が伝わってきました。

試合後、「なんでボール持って当てへんの?」と尋ねると、

「何人残るかで、勝つか、負けるか決まるもん」

考えてますねー。勝敗を考え、少しでもポイントに役立つようにと、ひたすら逃げる。華やかな活躍はしないけれど、いぶし銀系の選手といえそうです。

ただ、イチローの生き残り戦術は、クラスにも認めてくれているお友達がいるようで、逃げるイチローを盾にして、さらに生き残ろうという子もいました。

2009年5月19日 (火)

巨人の杉山投手(綾部高校出身)が初登板しました。

090430  綾部高校から、今年巨人に入団し、うちのイチローもよく知っている杉山晃紀投手が、2軍の練習試合で初めて投げました。

 5月17日に行われた2軍と、社会人のセガサミーとの練習試合の5回に登板。初めて巨人のユニフォームを着て投げ、ピシャリと3人で抑えました。

 パパローが、これを知ったのは、昨日のわかさスタジアム京都(西京極)でのことでした。京都両洋対福知山成美の春季大会決勝戦を見ていたら、昨年お世話になった巨人のスカウトの方が、「久し振りだね(お会いするのは3月のセンバツ以来です)」と隣に来てくださり、

「杉山君が投げたよ」

と教えてくれました。そのスカウトの話では、球速も147、146キロと連続で出し、ネット裏で驚きの声が上がっていたということです。

まだまだ鍛えたり、勉強することも多いでしょうが、プロとしての第一歩を順調に歩み始めたことをうれしく思います。

2009年4月25日 (土)

イチローの4つのお願い

Photo  イチローが、ミルキーを綾部高校の野球部にもって行った時、マネージャーから、その包み紙にペコちゃんのイラストが10個描かれていると、ひとつ願いごとが叶うと聞いてきました。それ以来、ミルキーを食べると、包み紙のペコちゃんを数えていましたが、結局、4枚見つかったそうです。

「ぼく、4つお願いできるんやで」

と言っていたので、イチローの4つのお願いを聞いてみました。

1つ、お友達がたくさんできること。

(綾東幼児園のぞう組と横須賀のひまわりの時のお友達、それに親戚の子供たちと秋田県のお友達。スイミングで知り合った子。それと綾部高校野球部の選手、マネージャーたち。いまもたくさんのお友達と親しくさせてもらっています)

2つ、さつまいもをたくさん食べること。

(そんなにさつまいもが好きだったのか。たしかに、天ぷら、焼きイモから大学いもまで大好きです)

3つ、野球のイチローになること。

(オー!)

4つ、強いバッターになること。

(オー! オー!)

以上でした。

20090422  このブログを始めて、ちょうど3年になります。最初は、親戚の方たちに近況を伝えようと始めましたが、だんだんアクセスして頂く方々が増え、現在は1日に50~100人の方々にアクセスしてもらっています。ありがとうございます。

 なかには、「イチロー」や「綾部高校」に反応してアクセスしたものの、「はっ?」という方もいらっしゃると思います。そんな方には、まぎらわしてすみませんと申し上げます。

 ちなみに、アクセスして頂く方々は、京都と東京在住の方々がそれぞれ全体の30%を占めて最も多く、つぎが大阪の方たちで全体の15%、4番目が前住地の神奈川からで全体の10%ほどとなっています。

 仕事の関係もあって、更新が不定期なんですが、できるだけ更新していきたいと思っています。今後もよろしくお願いします。

2009年4月 5日 (日)

WBC,福知山成美効果かな?

 4月3日に、福知山にある三段池公園へ遊びに行ってきました。

 20090403 ここは野球やサッカー、ラグビーのできるグラウンドやテニスコートもありますが、芝生が敷かれた広場に子ども用の遊具もあって、休日には、福知山や綾部あら小さな子供たちが集まってくる場所です。

 イチローも、この公園が大好きで、「三段池公園、行こか」というととても20090403_2 喜びます。その日も、春休みでお天気に恵まれたこともあって、たくさんの親子でにぎわっていました。

 イチローとは、まず、芝生でバッティング練習、キャッチボール、相撲、サッカーのパス練習をして、公園内をぶらぶら。葉っぱやどんぐりなどを見て回って、最後に遊具で遊ぶというのが、いつものパターンです。

今回、「へぇ~」と思ったのは、普段はサッカーをしている親子の方が多いのに、野球をしている親子が目立ったことです。

 やっぱり、WBCで日本が優勝した影響でしょうか。そういえば、前回のWBCで優勝した直後も、横須賀市ハイランドの公園でも、いつもサッカーをしていた子供たちが、一時期野球をしていました。

 まあ、福知山の三段池公園の場合、センバツに福知山成美が出場してよい試合をしたことも大きいと思います。それに、今回目立ったのは、野球をしている女の子と親が5組もいたことです。これは、今春、福知山成美に女子硬式野球部ができたからかもしれません。

 ただ、うちの場合、世の中で何が起きようと、野球中心で、あと相撲とサッカー、散歩です。

 4月1日、センバツ高校野球を見に、家族で甲子園球場へ行ってきました。準決勝戦で20090402 清峰が報徳学園に4対1、花巻東が利府に5対2で勝った試合です。

 イチローは、お土産として、幼児園へ持っていくハンカチを買ってきました。 

2009年3月31日 (火)

春休みになりました。

 少し前に、セブンイレブンの前を通ったら、イチローが「ここのセブンイレブン、(京セラドームへ)イチローを見に行く前に買ったところやろ」と聞くので、

「そうや。あの時、何を買ったんやった?」

と尋ねたら、

「覚えとるでぇ。パパ、言うてみ」

だって。

 通っている幼児園の話をしていて、「先生に怒られたことある?」と聞いたら、「あるで」と答えたので、「何で怒られたん?」と聞いたら、

「知らんで。夢の中の話やもん」

だって。いやあ、将来、野球での駆け引きが楽しみです。

090225  そんなイチローも、幼児園の「ぱんだ組(年中組)」を無事終了。春休みになりました。その直前、最後のクラスだよりをもらって帰ってきましたが、その中に「ぞう組(年長組)」で何をがんばりたいか、先生が一人一人に聞いて書いてくれていました。

 実は、パパローは、イチローと同じ組で3人の運動能力の高い子に目をつけていて、将来、一緒に野球ができたらなと思っています。その3人のうち2人が、なんと「野球をしたい」と話していました。そして、もう一人が「サッカー」でした。

 うん、うん、やっぱり運動能力の高い子は野球か、サッカーだよね、と思いながら読んでいくと、イチローの頑張りたいことも書いてありました。

「ドッヂボールをしたい」

ド、ド、ド、ドッヂボール。

パパローは、0・5秒ほどあ然としたのですが、なにしろ、駆け引きの巧みなイチローです。その真意を理解しました(?)。

つまり、ドッヂボールを一生懸命して、肩を強くしたいんやなと。そして、野球のボールが少しでも遠くへ、少しでも速く投げたいんやなと思ったのでした。

090317 ただし、本人には、怖くて、まだ確認できていません。

(ママローとカタカナを覚えていた時には、「ヤキュウセンシュ」と書きたいと言って書きました)

PLの勧野くん頑張って。

 PL学園の1年生4番となった勧野甲輝くんが、4歳でシニアチームの監督にスカウトされたと聞いて驚き、ぜひお父さんの話を聞いてみたいと、昨年6月のブログで書きました。

20090206  昨年の秋季大会、PL学園が近畿大会に出場しましたので、勧野くんをさっそく見にいきました。確かに、素材としてスケールの大きさには驚きました。ところが、バッティングフォームが、上体頼りにして強引。とても参考にはならず、お父さんを訪ねるのも遠慮しました。結局、うちのイチローを連れて見に行ったのは、素晴らしいフォームで打っていた天理高校の内野くんの方でした。

 その後、勧野くんは、腰椎分離(背骨の疲労骨折)であると報道されました。いつから、あのような打ち方をしているのか知りませんが、バットを強引に振りながら腰を反らせるので相当腰に負担がかかっていたことでしょう。

 しかし、幸いだったのは、昨年秋にPL学園の監督に復帰された河野先生が、勧野くんについて、股関節も固いし、体も全体的に固いとしっかり現在の状況を把握されておられたことです。さっそく専門のスタッフもついて、身体の改造から取り組み始めたと聞きました。中学まではとび抜けた存在だったようなので無理もありませんが、やっとよい指導者に恵まれたなあと思って見ています。

 今年のセンバツは、まだ腰がしっかりと回らず、左右にゆさぶられてモロイところを見せていましたが、河野監督のもとで、肉体改造すると同時に、バッティングを一から教えてもらえば、素材として素晴らしいだけに、すごいバッターに成長するのではないかと思います。

 うちのイチロー君も、やや腰が反る癖があります。昨年に比べるとずいぶん緩和されましたが、本格的に野球を始める前に直してあげたいと思っています。

2009年3月19日 (木)

イチローの衰え について

 ここ数日、「イチロー」と「衰え」などで検索して、このブログにアクセスされる方が大変に増えています。

イチローの不振の原因について知りたい方は、次のアドレスをクリックして「究極の身体サイト」にアクセスしてみてください。

http://www.ultimatebody.jp/taidan013.html

『インコースを打て 究極の打撃理論』(講談社)の著者である高岡英夫と松井浩が、イチローの衰えについて対談しています(対談は昨年10月の段階です)。

あのイチローが、あれだけバットが振れない、ボールが捉えられないと、「なぜ?」と不思議ですよね。

2009年3月18日 (水)

イチロー、脱力の効果に気がついたかな。

 0901メジャー(巻尺)を持ち出してきたイチロー。「パパ、冷蔵庫の上で端っこ持ってて」と言って、メジャーを床まで伸ばしました。「おっ、冷蔵庫の高さを測るんか」と思ったら、イチローは、

「パパ、数字いくつ?」

だって。

「0や。ずっと0やで、端っこは」

 

  そんなイチローは、毎朝、幼児園へ行く車の中で、「うーん」と言いながら鼻から息を続けてだすトレーニングをしています。もともとは、スイミングで顔をつけたとき、鼻から息をだす方法を教えてもらい、これはいいトレーニングになると思って、昨年の9月から、ほぼ毎日つづけてきました。

「せーの」でイチローが鼻から息をだすと、パパローが数をかぞえます。最初の頃は「10」まで続けるのもやっとでしたが、いまでは「20」は軽いです。

最近は、「20」までを3回クリアするまで、車を降りられないというルールにしています。実際、幼児園に到着しても3回目がクリアできなかった朝は、園の前に停めた車の中で5度ぐらい「うーん」にチャレンジしたこともありました。

すると、気合いを入れて「うーん」と言いながら鼻から息を出すのですが、そんなときは、「15」ほどで息切れしてしまいます。そんなことが数回つづくと、イチローは、ちょっと「うーん」のトーンを変えてみたり、自分で工夫します。

あるとき、

「パパ、僕なあ、ボーッとしてやったたのに、『20』まで行ったで。ボーッとしてする方がよくできるで」

と言いました。

大人になれば、たいてい、

「脱力する方が、なんでもうまくできる」

という事実に気づきます。でも、子供のうちに、気づく子はどれぐらいいるのでしょうか。数年前に『すべてはゆるむこと』という本を出版したパパローですが、脱力効果に気づいたのは、20代も後半の時でした。そのとき、自分で気づかなかったという不甲斐なさを棚上げして、もっと早く、だれか教えてくれていたらなあと思ったものです。

だから、うちのイチローには、早いうちに教えてあげたいと思っています。でも、それを言葉で伝えるのではなく、できれば、自分で気づくようにもっていってあげたい。「うーん」のトレーニングを毎日続けているのは、そんな狙いもあります。そのため、イチローが、「ボーッとしてする方がよい」と言ったのは、とてもうれしかったです。

マリナーズのイチローは、21歳のとき、「バッティングで一番大切なことは?」と問われて、「脱力」と即答しました。それを聞いて、この人は本当にすごいと思ったのが、とても印象に残っています。うちのイチローは、7歳ぐらいで「バッティングで一番大切なのは脱力」と実感をもって言ってほしいなあと思います。

ちなみに、WBC侍ジャパンのイチローは、「脱力が一番大切」ということを忘れてしまったような状態で、バッティングも不調ですね。イチローは、脱力のための即効トレーニングをいくつも知っているはずです。ホテルの部屋でちゃんとしてないですね、困ったもんです。

2009年3月 6日 (金)

イチロー、イチローの衰えを指摘。

090225  昨日は、テレビで、イチローと日本対中国戦を見ていました。といっても、イチローは、イチローの打席ぐらいしかまともに見ていないで遊んでいましたが。

 あれは、イチローの第4打席のことでした。うちのイチローが、イチローの打席になってもテレビを見ないので、一緒にいたばあばが、「イチローやで、テレビ見なよ」と声をかけましたが、それでも見ません。まあ、確かに、イチローのそれまでの3打席は、いずれも不甲斐ないスイングで凡退していましたので、パパローは、「もういいや」と思っているのかもしれないと考えていました。

 その第4打席も、結局、イチローはショートゴロに倒れたのですが、そのとき、ばあばが、「ほれ、イチローが打ったで」と言うと、うちのイチローがこう言い返したのでした。

「あれは打ってへんで。バットの先っぽに当たっただけやで。バットの真ん中で打たなあかん」

 ビックリしました。普通、5歳児が、こんなことを言います? しかも、いつの間に、イチローのバッティングをちゃんと見てたのでしょうか。さらに、どこで、そんな言葉を覚えたんだろう。 

 パパローが、綾部高校野球部で練習のお手伝いをする中で覚えたり、ふだんの自分のバッティング練習の中で、そんなことを感じていたのかもしれません。ちなみに、うちのイチローがバッティングの練習をする時、パパローは、「いまのはいいねぇ」とか、「惜しい」ぐらいしか声をかけません。

 最近、うちのイチローは、幼児園の先生に「僕、野球のことしか知らん」というのが流行りなんですが、ひょっとすれば、野球についてかなりの知識をもっているかもしれません。聞いても教えてくれないところが、また不思議です。

 

 パパローの見立てでは、イチローは、まだ体ができていませんね。かつて、イチローは、「もも裏の張りが好不調のバロメーター」と話していたことがありますが、先日、京セラドームで見たイチローは、ひと目で「もも裏がまだできてない」とわかりました。そのため、下半身にキレがなく、バッティングでも開きが早くなったり、下半身で粘れなくなってボールを捉えるタイミングがズレていると思います。だから、うちのイチローが指摘した通り、バットの先っぽや下っ面でボールを打ってしまうのでしょうね。

2009年2月26日 (木)

イチローを見てきました。

 090225 2月25日に、京セラドームへ行ってイチローを見てきました。

 イチローは、初めて生で見るイチロー選手に大感激。たぶん豆粒ぐらいにしか映っていませんが、打席とライトの守備につくイチロー選手の写真も撮ってきました。

 でも、まともに試合を見ていたのは、イチロー選手と先発の松坂投手、それに抑えの藤川投手ぐらい。あとは何かを食べているか、少し後ろに20090225 いた10代の大学生3人組に遊んでもらっていました。

 スタンドが一体となって「イッチロー」と声をかけると、うちのイチローが「はーい」と返事しながら手を振ったり、「イチローがこんなんしてる」と言いながら、イチロー選手の腰に手を置いた立ち姿やストレッチを真似して笑わせていたので、「前田、前田(関西の子供の漫才師)か」と突っ込まれたりしていました。

 2年前なら、女子高生や女子大生のところへ遊びに行ったのですが、やっぱり5歳になると、羞恥心もできてきて、遊びに行くのはお兄さんたちのところですね。

 通っている綾東幼児園では、先生やクラスのお友達が、「イチロー君が行っている」というのでテレビ中継を見ていてくれたようです。今朝、幼児園へ送っていくと、女の子たちが靴箱のところまで迎えにきてくれて、

「イチローは映っとったけど、イチ君は映ってなかった」

とか、

「昨日は夜の九時までテレビでやってたので、今日、イチ君は休みかと思っとった」

と声をかけてもらいました。

 将来は、本当に野球の試合でテレビに映り、お友達から「昨日、見たで」と言ってもらえるようになるといいんですけどね。

2009年2月 3日 (火)

綾部高校の校歌がうたえる日

 20090111          センバツ高校野球の出場校が決まって、プロ野球のキャンプが始まって、少しずつ野球シーズンが近づいています。イチローは、今年も、パパローと一緒に、たまに綾部高校の野球部へ顔を出しています。

 最近は、梅原監督のお話もしっかり聞くようになりました。

 そういえば、昨年の夏頃、綾部高校の校歌を覚えました。ある日、イチローが、パパローに聞きました。

「なあ、綾部高校の校歌って、いつ歌うん?」

「綾部高校が試合に勝ったら」

「いつ勝つん?」

「……」

 そうなんです。綾部高校は、昨年の夏は初戦敗退。秋は2戦2敗と、イチローが校歌を覚えてから、まだ勝利はなし。現在、野球部は、まず1勝をめざして練習に励んでいます。

 イチローも、球場の応援席で早く校歌を選手やマネージャーたちと一緒に歌えればいいですね。

 

 2月25日に、大阪の京セラドームへ、日本対オーストラリアの練習試合を見に行きます。この試合で、イチローは、初めて生のイチローを見ることになります。

 イチローも、とても楽しみにしていて、いまから幼児園の先生にも「2月25日は早く帰るで(早退します)。イチロー見に行くから」と行っているそうです。

 教室のホワイトボードに「2月3日」と書いてあるのを見て、「えっ、今日って23日なん。あと2つ寝たら、イチローを見に行くん?」と聞いてきました。よほど待ち遠しいようです。

2009年1月28日 (水)

自信をもたせる子育てとは?

 今年初めてのブログを「今年も、自信をもたせる子育てで」というタイトルで書いたら、それを読んだ知人から、「イチロー君が、横綱朝青龍やボクシングの亀田三兄弟のようになってもいいの?」と言われたました。

 なるほどねぇ。

 自信過剰と、根拠のない自信、つまり、虚勢ですね。

 自信をもたせる子育ての結果が、自信過剰になったり、虚勢になっては困りますが、その大きな原因は、結局のところ、社会性の欠如にあると思います。

 もともと、パパローは、子育てのもう一つの大きな柱は、「社会の中で協力し合って生きていく力を身につけること」と考えています。これは、現在のイチローなら、家庭や幼児園の中で楽しく過ごすことで身につくことだと思います。

 社会性ということでいえば、うちの場合、イチローには、小さい頃から「やさしくね」と「大事、大事」という言葉をよくかけていました。

 20081205 たとえば、横須賀の公園でお友達と遊んでいても、パパローはしょっちゅう「やさしくね」と声をかけていて、ママローは、よく「大事、大事だよ」と声をかけていました。葉っぱや花を大事にするように、お友達やおもちゃも大事にしてねという意味を込めていました。

 現在、イチローは、幼児園などで「やさしい子ですね」とよく言われますので、小さい頃から0901 のメッセージは浸透しているのかなと思っています。

 また、もう一方の「自信をもたせる子育て」とは、具体的には、ほめることが中心になりますが、むやみにほめるのではなく、ほめる目的や場面、方向性も考えています。それは、現在のところ大きく分けて5つあります。

ひとつは、上で書いたように、社会で協力し合って生きていく力を身につけるため、そのような場面で、そのような方向でほめるということです。公園でもっと小さな子と一緒に遊んでいて、やさしくできたら、その行動について具体的に指摘しながら、やさしくできたねとほめるといった感じです。

 ふたつめは、基本能力を育てるためです。

 基本能力とは、将来、どんな道に進むにしろ、基本となる力のことと考えています。具体的には、元気を出すこと、本気になれること、根気よくできること、旺盛な好奇心をもつこと、向上心をもつこと、集中力を身に着けることなどで、こうした基礎能力を育てるため、それが育つような場面で、それが育つ方向でほめるということです。

 みっつめは、「脳力」のアップのためです。

「脳力アップ」といっても、専門的なメソッドに頼るのではなく、日常生活の中に自然な形で組み込んだものです。すでにイチローが生まれた直後から、いくつもの仕込みをしています。

 たとえば、イチローは、1歳半から一時預かり保育に通い、現在は幼児園に通っています。その約4年間は、ずっと片道15分ほどかけて送り迎えをしていますが、そのクルマの中は大きなチャンスです。

 その日、どんなことをしたか、先生がどんなことを言ったかなどの話を聞きます。すると、それを語るイチローの頭の中には、その日の出来事が映像として浮かんでいるはずで、狙いはそこです。たとえば、試験勉強でも、大事なことを映像として覚える方が効率はいいことはよく知られていますし、文章を書くにも、いろんなことが映像として浮かべば、それを見ながら書けばいいので、とても楽ちんです。もちろん、過去の出来事が映像として脳にインプットされれば、記憶にも残りやすいです。

 何かの刺激に対して、頭の中で映像がパッ、パッとフラッシュすればいいなあというのがあって、願わくば、イチローの頭の中の映像は、パパローの映像より、もっと鮮明で、表示スピードが速くなればいいなあというのもあるのでコツコツと続けています。現在では、すごく細かなことを話したり、人やものの動きのわかるような話をしたとき、特にほめるようにしています。

 081130          よっつめは、基礎具体力を身に着けるためです。

 基礎具体力とは、ある分野にとって基礎となる具体的な能力という意味です。はさみで切るとか、読み書き計算とか、野球ならボールを投げたり、ボールをバットで打つことです。

 野球以外は、ほとんどママローに任せていますので、パパローは、横で見ていてほめる役です。

 いつつめは、『すべてはゆるむこと』(小学館文庫)の著者としては、やはり、ゆるんでいるときですね。体や心がゆるんでいるなあと思うときには、激しくほめます。

 とまあ、このような感じで日々イチローに接していれば、自分自身に自信をもち、自立した子になってくれるんじゃないかなあと思いながら子育てを楽しんでいます。

2009年1月24日 (土)

『インコースを打て 究極の打撃理論』が増刷になりました。

 Photo          高岡英夫先生との共著『インコースを打て 究極の打撃理論』(講談社)が、お陰様で増刷になりました。購入して頂いた皆さん、本当にありがとうございます。

 この本は、一言でいえば、バッティングのセンスとは、いったい何かということがわかって、それを身につけるためのトレーニングができる本です。

 また、新井宏昌(福岡ソフトバンク)、荒井幸雄(日本ハム)、内田順三(広島)の各打撃コーチの指導法も詳しく紹介していますので、プロ野球選手がどんな練習をしているのか。また、プロ野球で活躍できる選手と、そうでない選手の差が、いったいどころにあるかもわかると思います。

   さらに、ユニークな打撃理論で知られ、今回、センバツにも選ばれた福知山成美の田所監督の話も、たっぷりと収録しています。

   いまのオフシーズンに、この本をじっくり読まれて、3月から本格的に始まる日々の練習の参考にしていただければと思います。

2008年11月11日 (火)

バースデーケーキは、阪神・金本選手バージョン

20081110_5  イチローの5歳の誕生日には、恐竜博物館から帰ってから、じいじ、ばあばにもお祝いしてもらいました。

 一緒に食べたバースデーケーキには、大好きな阪神タイガースの金本選手の後姿が描かれていました。「5歳」の誕生日なのに、「6」が目立ちますが、「何を描いてほしい?」と聞いたら、「金本選手」と答えたので、そのままお願いしました。20081108

    ちなみに、去年は、イチローの憧れであるマリナーズのイチローのユニフォームを描いてもらいました。20071111

 このケーキをお世話になっているのは、綾部にある「シャトレー シラキ」さんです。ここのケーキは、軽くてなめらかで、本当においしいです。それに加えて、子供の好きなイラストを描いてくれます。ふつうは、アンパンマンやプリキュアといったキャラクターものですが、イチローは、ここでも「野球道」まっしぐらです。

天理高校の内野選手を見に行きました。

 11月2日(日)、西京極球場で行われた高校野球の近畿大会決勝を見に行ってきました。

 20081102 本当は、京都代表の福知山成美の雄姿を見せたかったのですが、残念ながら、前日の準決勝でPL学園に2対3で負けてしまいました。それで、PL学園対天理の決勝戦を見に行きました。西京極球場までは、クルマで1時間ちょっとです。

 今日のお目当ては、天理高校の1年生で、1番レフトの内野聡君でした。右投げ左打ちの選手で、とにかくバッティングが柔らかい。しかも、軸がしっかりしていて、美しいスイングをします。

 『インコースを打て 究極の打撃理論』の著者としては、イチローに、この内野君のようなバッティングを真似してほしい。素晴らしいお手本になると思います。しかも、内野君は、京都出身。お父さんが天理高校出身で、進学したそうです。

 試合が始まる前、イチローとキャッチボールをする内野君を近くまで見に行ってきました。それからバックネット裏に戻って、「内野君はどの子?」というと、「18」をつけた背番号は見えなかったのに、18人の天理高校の選手の中から、しっかり内野君を見つけました。

 バックネット裏のすぐ近くの席には、阪神、巨人、横浜などのスカウトがいます。巨人のスカウトは、綾部高校の杉山君の担当者ではなかったけれど、「こんにちわ」とご挨拶。まだ若いスカウトなので、13年後……なんて思ってしまいます。 

 試合が始まると、バックネット裏では、まず、打球がどこへ飛んだか集中して見る練習をしました。イチローは、阪神タイガースの試合でも練習していますので、高校生の打球の速さだと余裕でした。

 と同時に、手帳片手に1球ごとに記録します。といっても、「PL学園の勧野甲輝くんは、素材的には1級品だけど上体の力に頼りすぎ」なんて書くはずもなく、スコアシートを記入するパパローの真似をして「Ω」のような記号を書いているだけでした。

 それでも1球ごとにペンを走らせるので、スカウトたちがちらっと見てましたね。

 

2008年10月31日 (金)

綾部の杉山投手が育成ドラフトで巨人に指名されました。

 30日の新人選択会議(ドラフト)で、綾部高校の杉山晃紀投手が、巨人から育成ドラフトの1巡目に指名されました。杉山君は前向きに考えるということなので、綾部出身者では、ソフトバンクの神内靖投手に続いて2人目、綾部高校からは初めてのプロ野球選手が誕生することになりそうです。

 Photo             イチローは、じいじに保育園まで迎えに行ってもらって、帰宅後は、一緒にドラフト中継のテレビを見ました。

 このあたりで名前が出るのではないかと思っていた6巡目、中日が近江高校の小熊君を指名しました。甲子園大会へも出た速球派です。パパローの取材では、近畿地区の高校生投手のなかでは報徳学園の近田君が最も高い評価で、その次に小熊君と杉山君が評価されていると聞いていましたので、そろそろ杉山君も指名されるんじゃないかという期待が高まりました。

次の選択は、日本ハムです。この日本ハムも、杉山君を高く評価してくれていましたので、「いよいよ来るか」と固唾をのんでいると、「スギ」と聞こえて、思わずガッツポーズをしそうになったら、その次が「ヤ」、止まり。「マ」がなく、帝京高校の杉谷君の指名で思わずズッコケてしまいました(杉谷君、ごめんなさい)。

 その後も、なかなか名前が出なかったことで、やきもきしましたが、育成ドラフトで名前が出てバンザイしました。イチローも、よく知っている人がドラフト指名されて、すごく刺激になったことでしょう。

 巨人のスカウトには、投手としてはもちろん、打者としても高く評価されていましたので予想していた球団でした。また、巨人の育成枠からは、山口鉄也投手が1 軍に上が080606_2って大活躍しているように、近年、育成システムもしっかりしているので、よい球団に指名してもらったと思います。さらに、育成コーチの川中基嗣さん(元内野手)のお父さんは、綾部の方で、ここでも縁を感じます。ちなみに、上原投手や岡島投手のお父さんも綾部出身です。

  まだずいぶんと気が早いですが、しっかりトレーニングを積んで1日でも早く1軍で活躍してほしいと思いますね。巨人・阪神戦で甲子園に来るようになれば、楽しみが増えます。イチローは、阪神ファンですが、杉山君が登板すれば、その時だけ巨人ファンに変身するんじゃないでしょうか。

でも、まあ、プロの世界は甘くないですし、現実を見据えれば、じっくり体づくりから取り組んで、いま年中組のイチローが小学3、4年になる頃に活躍してくれればいいなあと思います。

 

2008年8月 5日 (火)

「打撃の神髄 榎本喜八伝」が5刷になりました。

         

Photo_2 『打撃の神髄 榎本喜八伝』(講談社)が、5刷になりました。8月25日出来です。

初版刊行が、2005年4月25日なので3年前ですが、まだ売れているようです。ありがとうございます。

実は、今年の5月頃、千葉ロッテから、榎本さんに始球式をしてもらえないかと依頼がありました。榎本さんに尋ねたところ、榎本さんご自身は出てもよさそうな感触でしたが、ご家族が体調を心配され、実現できませんでした。もう72歳になられていますし、健康が第一なので、残念ですが、仕方ありません。

 この本が発売されたとき、イチローは、まだ2歳でした。三浦半島に住んでいた頃で、いまと違って丸い顔をしてました。懐かしいです。

福知山成美の田所監督も登場

Photo 『インコースを打て 究極の打撃理論』が、高岡英夫先生との共著で、8月7日、講談社より発売されます。

 青田昇、山内一弘、長池徳ニという往年のインコース打ちの名人から、和田一浩、鈴木尚典、イチロー、青木宣親といった現役打者まで、本人へのインタビューや打撃コーチ(新井宏昌、荒井幸雄)へのインタビューを通じて、インコース打ちの奥義を探究。結局、謎として残った「打撃センス」の中身について、運動科学者で、優れた武術家でもある高岡英夫が、史上初めて詳細に解説するというものです。

 現役選手には、究極の打撃理論として参考になるのはもちろん、選手やコーチとしての具体例がたくさん出てきますので、野球ファンの方々にも読み物として面白いと思います。

 なかには、今年の甲子園大会へ京都代表として出場する福知山成美の田所孝二監督のユニークな打撃指導論も収録しています。

 今年のチームも、京都予選を超強力打線で勝ち抜きましたが、田所監督は、毎年、打撃の強力なチームを作ってこられます。その田所監督は、「コツコツ当ててくる京都の伝統校を破るには、キューバ式の打撃で圧倒したい。今の高校生気質は、十分にラテン化しています」と語っておられました。

 福知山成美は、大会7日目(8月8日の予定)の初戦で、これまた強力打線の常葉菊川と対戦しますが、ラテン系ののびのび野球で圧倒してくれると期待しています。

 うちのイチローも、一度、田所監督にはお会いしたことがあります。福知山市営球場で、パパローが田所監督と話していると、イチローがやってきて、「パパ、おしっこ」と言いました。すると、田所監督が「あそこにトイレがあるで、行ってきな」と話してくれ、イチローが走って行きました。

 パパローは、イチローの後姿を見ながら、「田所監督の指示で、走ってるよ」とうれしくなったものです。

 20070524 イチローは、福知山成美高校への訪問も、昨年のうちに済ませています。初戦の8日には、イチローも甲子園へ連れて行ってやりたいのですが、なにせ、対戦相手は優勝候補にも名のあがるチーム。この日はパパローが一人で行って、バックネット裏でじっくり見てきます。

 勝ち進めば、準決勝あたりでイチローを連れていきたいなと思っています。そのときは、内野席で一緒に応援しようかな。福知山成美のアルプス席と内野席が一体となった青いメガホンでの応援は、近年では、富山の新湊高校の応援ぶりと並び、甲子園での熱い応援の双璧と思っています。イチローにも、高校野球界日本一の応援を体験させてあげたいなと思っています。

2008年7月21日 (月)

綾部高校は初戦敗退でした。

 第90回全国高校野球選手権記念京都大会で、シード校として躍進が期待された綾部高校は、残念ながら、初戦の2回戦で洛星高校に5対6と敗れました。

          

 0807  この初戦に勝てば、2戦目が14日(月)にあやべ球場で行われる予定でした。この日は、イチローも幼児園を早退して応援にかけつける予定にしていましたが、この夏は、一度も応援することなく終わってしまいました。七夕の短冊に、自分で「あやべこうこう こうしえん」と書いて託しましたが、それも叶いませんでした。

 その後、パパローは、多くの方に声をかけて頂きました。今年の冬からですが、練習のお手伝いをさせてもらっていた者としても、大変残念でなりません。また、大会前、マスコミでも多数取り上げられたことで、期待をしていただいていた皆さんには、大変申し訳ありませんでした。

 また、このブログも、綾部高校野球部のことに触れたことで、毎日たくさんのアクセスがありました。綾部高校野球部が、多くの方に注目されていることを改めて知りました。

 敗因は、本当にたくさん思い浮かびます。ただ、朝日新聞の全国版でも大きく取り上げられたように、肩痛がいつ再発するかわからない正捕手を起用するか、温存するかの選択で、結局、温存したところ、エースの杉山投手が予想以上に調子を崩し、それが野手にまで影響して練習試合でもなかったようなミスが多く出てしまったということはいえると思います。

 エースの杉山投手には、今年の冬からフォームをマイナーチェンジしたり、身体調整をしたりして練習のお手伝いをしてきましたが、敗れた試合の特に序盤では、パパローと会う以前のフォームに戻っていたそうです。「戻っていたそうです」というのは、パパローは、その試合に帯同しておらず、投球を見ていませんでした。後に対戦予定の学校の試合を見に行っており、綾部高校にとって初戦ということを考えれば、帯同しておくべきだったなあと反省しています。

 実は、14日のあやべ球場には、多くのプロ野球のスカウトが来る予定でした。綾部高校の敗戦で、ほとんどのスカウトが予定を変更されたのですが、ただ一球団だけは、綾部高校も出ないのに、わざわざ足を運んでいただきました。これは本当に異例のことで、それだけ杉山投手のことが高く評価されているのだと思います。

 杉山投手も、試合後、マスコミに「指名していただけたら、プロへ行きたいです」と話していたようです。ドラフト会議のある10月30日はまだまだ先ですが、綾部高校出身の初のプロ野球選手が誕生するのを祈るばかりです。

2008年6月22日 (日)

40試合目の観戦と集中力

 080606 6月6日に、甲子園球場へ阪神対ソフトバンク戦を見に行ってきました。

 家族3人で座ったのが、センターよりのレフトスタンド。新井選手の同点ホームランが、わずか5mほどのところへ飛び込んできました。といっても、阪神ファンが一斉に立ち上がったので、イチローはホームランボールを目で追うことができませんでした。その瞬間、パパローがイチローを抱き上げればよかったのでしょうが、不覚にも油断してました。

 試合は、阪神が5対2で勝ちました。200806065 そして、この試合が、ちょうどイチローにとって40試合目の観戦でした。

 また、この試合では、ソフトバンクが、九州移転20周年を記念して南海ホークス時代のユニフォームで試合をした日でもありました。実は、パパローは、南海ホークス最後の試合を当時の大阪球場で取材していて、パパローにとっても懐かしい企画でした。

 試合中には、この日も、イチローと外野席から打球を追う遊びをしました。ピッチャーが投げるところから注目して、バッターが打てば、その打球を追い、どこへ飛んだか指でさすという遊びです。

 野球では、ボールから目を切らないのが鉄則です。いい選手というのは、常にボールに集中しています。そして、バッターボックスに立ってボールに集中していくと、どんなに賑やかな応援でも聞こえなくなるそうです。そういう意味でも、この遊びは集中力を養うトレーニングになるとも思っています。

実は、集中Photo力の養成は、子育てのなかでとても大切にしていることの一つです。集中力は、何をするにも大切なことだと思うからです。

 たとえば、イチローと同い年(今年5歳)の子供たちを見ていても、ひらがなやカタカナを読んだり、書いたりする子が少なくありません。イチローに送られてくるDMを見ていても、もっともっと早い段階から、小学校へ上がる準備として文字の習得がプログラムに入っていました。

 イチローは、現在、ひらがなだけがだいぶ読めるようになったところです。

 もちろん、文字を覚えることは、大切なことだと思います。でも、それほど急ぐこともないと思っています。だから、文字は、ママローが遊びながらゆっくり教えています。小学校へ上がる準備ということでいえば、集中力を身につけておくことの方が大切だと思っているからです。小学1年の勉強は、先生の話を集中して聞いているだけでもいいぐらいでしょう。

 今、通っている幼児園でも、最も重視しているのは、先生の話をよく聞いて覚えることです。帰りのクルマの中では、必ずといっていいほど、「先生、どんな話をしちゃった?」と聞いて、その日の出来事などを話します。また、イチローは、2歳の頃から先生の物まねが大好きなので、先生の真似をさせたりもします。その口調や口ぐせまで、本当によく覚えているものです。

 こんなことを毎日繰り返すことで、先生の話を注意深く聞くようになり、自然に集中力も養われる思っています。そして、身についた集中力は、野球も含めていろんな場面に応用されると思います。

 どんな分野でもそうでしょうが、雑音に気を取られているようでは、いい結果は得られませんからね。

 

 

PL学園の1年生4番はすごい

 スポーツ新聞を読んでいて、久しぶりに「ギョア~~~」と声を挙げてしまいました。

 6月1日付け日刊スポーツ(関西版)に、あのPL学園の「1年生4番」のことが紹介されていました。高校に入学してまだ2ヵ月なのに、立命館宇治との練習試合で4番を打ち、2安打3打点の鮮烈デビューを果たしたという記事でした。その1年生というのが、勧野甲輝君という選手で、実は、この選手は、関西では中学生の頃から有名でした。パパローも、その名前を聞いていました。

 昨年の話では、勧野君は、中学3年生でもう180センチ、80キロ以上という立派な体をしていて、投げては140キロ以上の球速をマーク、打ってもホームランを量産しているということでした。そして、PL学園に進んだということも聞いていましたので、1年生4番としてデビューしたという新聞の見出しを見つけても、この段階では、「勧野君、やっと出てきたか」と思ったぐらいだったんです。

 記事を読み進んでいくと、勧野君のお父さんというのがパパローと同世代で、甲子園で輝くように」という思いを込めて「甲輝」と名づけたと書いてありました。「へぇ~」と思いましたが、今ではそういう父親は珍しくないし、ここまででも「ふーん」と思ったぐらいでした。

「ギョア~~~」と叫んだのは、その次の文章です。

「父と打撃練習していた姿を『富田林リトルリーグ』の監督に見初められ、わずか4歳で入部した」

 リトルリーグの監督に見初められた? それが、よ、よ、よ、よ、4歳の時。

 4歳といえば、今のイチローと同じじゃないですか。少年野球の監督にスカウトされるとは、一体どんな4歳だったんだ?

 20080517 イチローも、バッティングは大好きです。たとえば、綾部高校へ行った時も、ソフトボールや野球経験のある女子マネージャーに投げてもらって打つことがあります。初めて彼女たちに相手をしてもらった時も、パカーンとかっ飛ばしたので、「え、打つんだ」、「すごーい」と言われてました。

 でも、打つと言っても、ビニールバットですからね。芯でボールを打つと、「パフッ」と音が出ます。いい当たりも飛ばしますけど、そんなに続くわけではありません。

 新聞記事は詳しく書いてなかったので、勧野君が4歳の頃、どんなバッティングをしていたかは不明です。

 いやあ、知りたいなあ。

 今度、PL学園の試合を見に行く機会があったら、応援席で勧野君のお父さんを探して、ぜひ尋ねてみたいと思いました。

 しかし、4歳で少年野球チームへ入部とは、本当にすごいですね。

2008年5月22日 (木)

「ボク、野球したい。あそこで打ちたい」

 イチローは、だいたい9時頃に寝ます。3月までは幼児園で昼寝をしていましたが、4月からはなくなりました。なので、最近は夕食も食べずに寝たり、夕食後、すぐに寝てしまうこともありますが、たいてい9時頃に歯磨きをして布団に入ります。

 0801 その日も、そうでした。その日というのは、1月のことで、NHKでマリナーズのイチローの特集番組が放映された日です。まだ実家にいるときのことで、番組では、イチローが毎日、奥さん手作りのカレーライスを食べて球場入りすることや、毎年、記録がかかる試合になると吐き気をもよおすぐらいのプレッシャーに襲われることなどが、イチロー本人の口から語られました。

 番組は夜の10時からで、イチローが寝てから、パパローとママローの2人で寝ていました。すると、イチローが起き出してきて居間へやってきたのです。

 6時頃から寝て8時、9時に起きることはあっても、9時に寝たのに10時過ぎに起きることは、まずありません。でも、ピンと来ました。イチローの番組なので、イチローも見たかったのだろうと思いました。Photo

 といっても、少し番組を見て「イチローや」などと言ってましたが、そのうちブロックで遊び始めました。

 やがて番組も終わりに向かい、画面にはシアトルのセーフコフィールドで打席に立つイチローが現れました。低いアングルから撮られた画面は、緑の芝生が美しく、イチローのかっこよさが一段と引き立っていました。

 その瞬間、イチローが、アメリカへイチローを観に行きたいと思っていることを思い出し、「ねぇ、イチは、ここへ行きたいんやろ?」と声をかけました。イチローが視線を移すと、画面にはイチローがバットを振り、一塁へ向かって走り出す場面が映っていました。

「ボク、野球したい。あそこで打ちたい」

 イチローが、そう言ったのでした。

 もう4ヵ月も前のことですが、イチローの”重大発言”としてブログに収録しておきます。

 実現するといいなあ、と思います。

 そういえば、番組で、マリナーズのイチローは、「50歳で、4割を打って引退したいですね」と話してました。'73年生まれのイチローが50歳になるのは、いまから15年後です。そのとき、イチローは20歳。

イチローからイチローへ。

メジャーリーグで、そんなリレーが実現できれば本当に最高です。究極の夢ですね。

2008年5月21日 (水)

イチロー、綾部高校の杉山投手を大絶賛

 甲子20080517_3園球場へ阪神対ヤクルト戦(8対5で阪神の勝ち)を観に行った翌5月17日には、福知山球場へ綾部高校の応援に行きました。

 この日は、両丹大会が開かれました。「両丹」とは丹波と丹後のことで、毎年、この時期に京都北部の高校のスポーツ大会が開かれています。硬式野球の部もあり、綾部高校野球部は、福知山球場で大江高校と対戦しました。

 ちなみに、「京都北部」といっても、京都市の北部、上賀茂神社のあたりではありません。パパローは、大学進学で東京へ出た頃、「京都出身です」というと、「京都のどこですか?」と問われ、「北部です」と答えると、「上賀茂神社のあたりですか」とよく聞かれたものです。そして、「京都の北部で日本海の方です」というと、「えっ、京都に海あるんですか」と言われることもありました。さらに、「綾部」や「福知山」と言っても分かってもらえず、「舞鶴」を知っているという人がたまにいるぐらいでした。京都北部とは、京都の日本海側で日本三景の一つ「天の橋立」のあたりです。

  で、この両丹大会は公式戦とは違うので、パパローはイチローを連れて行きました。すると、イチローは女子マネージャーや控え選手に付いていき、メガホンをもらって応援を始めました。最初のうちは最前列にいましたが、この日は五月晴れで、ノドが乾いたようで、最後尾に下がって、選手のお母さんたちからもらったお茶を飲みながら、応援していました。

 途中で飽きるかと思ったんですけど、試合終了まで頑張りました。イチローの応援といえば、2歳の頃、神宮球場へ早稲田の試合を観に行き、チアリーダーに突進したり、チアリーダーと一緒に踊っていたのを思い出しますが、4歳になったいまでは、控え選手の声に合わせてメガホンを振っていて、すいぶん成長したと思いました。

 この日、綾部高校の先発投手は、控えの3年生でした。彼が好投をして、試合は綾部高20080517_4 校が大量リードします。そして、6回の大江高校の攻撃から、エースの杉山君が登場。140キロ台の切れのあるストレートを投げ込むと、バットにかすりもしません。3人連続三振に切ってとりました。

 すると、イチローが、パパローや選手の保護者のいる方へ振り返り、「杉山君て、カッコいいなぁ」と言いました。これには、保護者の皆さんも大ウケでした。やっぱり、ドラフト候補のすごさというのは、4歳児にもわかるんですね。

 プロ野球も観に行きますが、プロ野球の選手とちがって、杉山君は身近な存在ですからね。ふだんから練習の合間に話をしてもらったり、パパローが杉山君の身体調整(マッサージのようなもの)をしているのを側で見ていたりします。4歳から、すごい経験と大いなる刺激をもらっているイチローです。

 

 

綾部高校野球部に通ってます。

 イチローは、最近、綾部高校野球部の練習によく行っています。

 20080517 昨年末から、パパローが野球部の練習を手伝うようになりました。スポーツライターとして高校野球からメジャーリーグまで取材してきたので、監督や後援会の方から「力を貸してほしい」と頼まれました。これは、体の使い方やトレーニング法を勉強してきたパパローにとっても願ってもないことでした。

 京都の高校野球といえば、平安高校や京都外大西、京都成章あたりが有名ですが、京都北部からも、これまで、楽天の野村監督の母校である峰山高校と福知山成美が甲子園に出場しています。でも、パパローの母校でもある綾部高校は、夏の予選ではベスト4が最高。まだ甲子園には一度も出場していません。まず、甲子園に出場することが大きな目標です。

 また、綾部高校からは、一人のプロ野球選手も出ていません。峰山高校からは野村監督や西武の岡本投手を始め、過去に何人ものプロ野球が出ていますし、福知山成美出身のプロ野球選手も出ています。阪神タイガースの杉山直久投手は、隣の東舞鶴高校出身です。さらに、福岡ソフトバンクの神内靖投手は綾部生まれ、綾部育ちですが、高校は宮崎県の延岡学園へ進み、甲子園にも出場しました。綾部高校出身のプロ野球選手を育てるのも大きな目標です。

 実は、今年の綾部高校には、杉山君といういいピッチャーがいます。しかし、昨年秋まで、ボールは速いけれどボールの伸びがもう一つで、ピッチャーとしても伸び悩んでいました。そこで、昨年末から腕の使い方を修正して、ゆるゆる調整法を指導したところ、今年になってボールがよく伸びるようになりました。すると、4月からプロ野球のスカウトも来てくれるようになり、いまではドラフト候補になっています。

 チーム全体でも、ゆるゆる調整法に取り組んだ結果、「緊張しなくなりました」とか、「動きがスムーズになりました」などの効果が出て、春季大会では京都府のベスト8へ進出。センバツで全j国ベスト8の平安には1対3で負けましたが、6回までは1対0でリードしていたこともあって、チームのモチベーションは高まり、夏は、本気で甲子園を狙えるまで成長しています。

 パパローは、ふだんは週に2、3回、公式戦前は毎日のように高校へ通います。生徒の20080517_2 授業中に仕事をして、午後4時ぐらいからの練習に駆けつけますが、夕方はママローが仕事なので、公式戦や練習試合の前日以外は、幼児園でイチローを拾い、そのまま綾部高校を連れて行きます。

 イチローは、練習中、5人いる女子マネージャーに見てもらっており、楽しそうに遊んでいます。選手のミーティング中や練習の合間には、イチローもネットに向かってティー打撃をさせてもらったり、選手に追いかけ回されたりしています。

 こんな幼いうちから、高校野球に身近に接しられて、イチローも幸せなことです。しかも、いろんな高校球児を間近で見たり、話を聞いたりすることで、今後、イチローを野球選手としてどのように育てていくのがいいのか、じっくり考えることができます。パパローにとっても、望んでも簡単にはできないような貴重な体験をさせてもらっています。

2008年5月20日 (火)

イチロー、城島を見習いプールトレ開始

 4月から、イチローは週に一度スイミングに通い始めました。

 Photo 幼稚園の年中組になれば、スイミングに通ってほしいなあと思っていたところ、イチローが、会話の中で「Yくんがスイミングに行っとってや」と言いました。その言葉に反応したパパローが詳しく聞いてみると、クラスのお友達2人が、どうやら昨年からスイミングに通っていて、平日クラスのため、幼児園を早退するそうです。

そこで、すかさず、「イチくんも、スイミング行きたい?」と聞くと、「うん」というので即決。すぐに入会手続きをとりました。ただし、イチローは、平日には月に一度甲子園へ行くので、土曜日の午後のコースにしました。

 野球選手では、シアトル・マリナーズの城島捕手が、子供の頃からスイミングに通っていたことがよく知られています。野球のトレーニングにもなると、お父さんの勧めで幼稚園の頃に始め、小学生の高学年になるまで通っていたそうです。

 パパローも、水泳は全身運動であることと、脱力をしないとうまく泳げないという2点で、スイミングは野球にとってもいいトレーニングになると思います。特に、水中で脱力することを覚えてくれると、野球にも最高ですね。打つのも、守るのも、走るのも、いかにうまく脱力しながらできるかが、大きなポイントになります。マリナーズのイチローは、その典型のような野球選手で、城島も脱力が上手な方ですね。もちろん、筋パワーに頼った動きでもパフォーマンス力の高い選手はいますが、その一方で故障しやすく、長続きしにくいです。それに、専門のコーチに教えてもらうというのも、いい経験になると思いますね。Photo_2

 といっても、「幼児初心」というコースで、イチローはまだ泳げません。いまは水に慣れることと、顔を水につけるための準備って感じですね。それでも、先日は、プールの縁から水中のコーチに向かってダイビングしていたのは、「おー、そんなことができるのか」とちょっと感動的でした。

 イチローも、「このまま明日までプールにいたい」とか、「早くスイミング行きたい」とノリノリ。週に一度、楽しく続けていければと思っています。

今年2度目の甲子園

 5月16日(金)に、甲子園球場へ行ってきました。月に1度は行く予定で、4月のセンバツに次いで2回目です。この日は、阪神対東京ヤクルトでした。

20080516  試合は、序盤からヤクルトの先発村中に対して阪神打線が爆発。結局、8対5で阪神が勝ちました。

 例によってダイエーで夕食やお菓子の買い物をして、家族3人で席に着きました。イチローは、ご飯を食べたらいつものように遊ぶのかと思ったら、席が3塁内野席の前から20番目ぐらいで、金本や鳥谷といった左打者のファールボールがよく飛んできました。じっさい、ヤクルトの武内のファールが、席から2メートル付近に”着弾”してビックリする場面もありました。

 ちなみに、武内選手は早稲田大学出身の3年目で、早大時代には、イチローも神宮球場で見ています。といっても、イチローは、そんなこと全く覚えてませんが。

  隣に座ったイチローを見ていると、けっこうファールボールを目で追っています。「ボールが見られるようになったんだなあ」と思うとうれしくて、急きょ、今日のテーマを「ボールをよく見ること」にしました。

20080516_2  そして、イチローに「なぁ、なぁ、ピッチャーの投げるところからボールを見ていて、バッターが打ったボールがどこへ行ったか、言うてよ」と言うと、イチローは、指を指しながら「あっち」、「いま、捕っちゃった」などと答えてました。ヤクルトの田中のレフトフライのときは、打球がずっと目で追え、大好きな金本が捕ったので、とても喜んでました。

 あんまり長く見ていても疲れてしまうので、そんなに長くはしませんでしたが、野球観戦でもコツコツと続けていると、どんどん過ごす時間の中身が濃くなってくるんだなあとうれしいです。

 金曜日なので、幼児園はお休みしました。平日に行けるのは小学校に入学するまでなので、これからも月に一度は甲子園に行きたいです。幼児園の担任の先生2人は阪神タイガースファンらしく、月曜日にはいろいろ話しかけてもらったそうです。

2008年4月 1日 (火)

イチロー、2回目のメジャー観戦

 レッドソックス対アスレチックスの開幕第2戦(東京ドーム)を観戦しました。

 イチローのメジャー観戦は、生後4ヵ月半でヤンキース対デビルレイズ戦(東京ドーム)に次いで2試合目です。

     20080326     今回は、25日に新幹線で新横浜まで行き、その日は、かつて通っていた久里浜の美容院で家族3人カットしてもらって新横浜に泊まりました。         

 翌26日は、新横浜駅のキュービック・プラザという駅施設のオープンで、イチローは、スタバの2番目のお客さんになりました。

 そのスタバで朝食をとって東京ドームホテルへ移動。ここで北本のじいじとばあば、obaの三人と待ち合わせ、昼食をとって銀座へお買い物に行きました。

          ところが、ホテルに戻るタクシーに乗ったとたん、前日からの疲れでイチローは”夕方寝”。まず、パパローだけドームに向かい、イチローとママローは起きてから来ました。球場に着いたときには、もう試合は始まってました。

  でも、親戚の一家と一緒に見たこともあって、イチローも大盛り上がり。レフト側内野席にいたこともあって、レッドソックスの20080326レフトを守るマニー・ラミレスが目の前を通ったときには、指をさしながら、

「わあ、変なおじさん」

と大声をあげ、周りのお客さんにもけっこう受けてました。

 マニー・ラミレスといえば、メジャー・リーグを代表する強打者で、観戦した日も、アスレチックスの好投手リッチ・ハーデンからホームランを打ちましたが、長髪のトレッドヘアで、髪が背中にまで垂れているという野球界でも珍しい選手。イチローにとって、レフトといえば、阪神タイガースの金本選手なので、強烈な印象が残ったことでしょう。また、テレビでレッドソックスの試合を観戦して、イチローと一緒にラミレスを見たいと思います。

 前の席に3歳の男の子、うちらの席にはイチローと同い歳の女の子、そして、後ろに2歳の男の子と赤ちゃん。それは、それはにぎやかなメジャー観戦となりました。試合は、アスレチックスが5対1で勝ちました。

2007年11月22日 (木)

最近ボールは握ってません

 今年の夏の終わり頃から、イチローと野球をしなくなりました。それまではバッティングをしたり、キャッチボールをしていましたが、パッタリとやめました。理由は、イチローが野球好きになってくれればという当初の目的を達成したと考えるからです。

 生まれた直後から体の上にボールを転がして遊び、お座りができるようになれば、向かい合ってボールコロコロをして遊び、立てるようになれば、野球ごっこをしてよく遊んできました。

 その結果、この11月で4歳となったイチローは、大の野球好きに育っています。今でもテレビで野20071011球を見ると、大張り切りで投げたり、打ったりするマネをしますし、野球場へ行けば、「大きくなったら、ここで野球するで」と言います。イチローは4歳の子供なりに、野球をとても身近で、自分にとっては特別なスポーツとして感じています。

 また、ボールを投げれば、けっこう速いボールを投げますし、バットでボールを打つのも上手です。野球に「U4(4歳以下)日本代表チーム」があれば、確実に選ばれるのではないかと思うほどです。

 でも、その一方で、このまま野球を続けると、打撃や投球のフォームに変な癖がつく恐れがあります。また、野球は右投げ、右打ちと、片寄った体の使い方をします。小さいうちから体のバランスが崩れるというのも怖いことです。

 そこでいったん野球を休むことにしました。マリナーズのイチローは、3歳でバットとグローブを買ってもらい、野球を始めたそうですが、うちのイチローは3歳10ヵ月で野球を中断しました。

 その代わり家の中ではチャンバラごっこをしたり、一緒にサッカーをしたり、滑り台で遊んだりしています。サッカーはボールを追っかけて走りまわるし、滑り台も走って昇れば、いい運動になります。そして、イチローが滑り台を昇るときには、

「イチロー選手、一気に走って昇ります。おっと、滑りました。こけています。滑り落ちるのか? いや、腕で支えています。おーーっと、また昇り始めました。スゴイ! さすが、イチロー選手です」

というように”実況中継”してやります。すると、滑り台の頂上に昇ると、観客に手を振ったり、ガッツポーズをします。見ている人が一人もいなくても、気分はノリノリです。こうして、多くのお客さんの前で何かしたいという気持ちを養っています。

 それと野球を忘れないように、毎朝、幼児園へ送っていくクルマのなかで、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」と、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を一緒に歌っています。イチローは歌が大好きというのもありますが、この2曲のおかげもあって、毎日、朝から元気いっぱいです。

 野球の再開は、来年の春頃かな。体がうずうずして、「早くボールを打ちた~い」と言ってくれるとうれしいなあ。

 

2007年10月14日 (日)

教えなくてもできること

 クルマで幼児園へ向かっていると、後ろからお友達のクルマが近づいてきました。イチロ20071011 ーは振り向いて手を振ったり、笑ったりしていましたが、しばらくすると、そのクルマがJAの農機具販売所へ入っていなくなりました。

「どこ行ったん?」

「お店に入ったね」

「なんで」

「用事があったんちゃう」

「用事があったら、幼児園へ送った後に行けばええやん」

 なるほどねぇ。

 なかなか頭が働きます。こんなとき、パパローが、

「さすが、イチ」

と言いうと、イチローは、

「さすが、パパの子供」

と言い返すというのが、最近の決まりごとになっています。

 うちでは、イチローをよく誉めます。これは赤ちゃんの頃からずっとで、赤ちゃんの頃はミルクの飲みっぷりがいいといっては誉めていましたし、いまでも、たとえば、朝食後に「ウンチ」というだけで、「朝、出掛ける前にウンチがでるとはエライねぇ」といっては誉めています。

 まあ、誉めると、お互い気持ちいいですしね。

 ただし、ミソもクソも一緒にしたのでは値打ちが下がるので、状況に応じて「さすが、イチ」の言い方を変えています。軽~く言うときもあれば、「さっっっっつすがぁ~、イチッ」と気持ちをめいっぱい込めることもあります。初夏の頃から、「さすが、イチ」と誉めると、「さすが、パパの子供」と言い返すように決めたのでした。

 というわけで、生まれてから3年11ヵ月の間に何度、「さすが、イチ」と誉めたかわかりませんが、本当にすごいと思ったのは3度だけです。そのときは「さすが、イチ」とは声がでず、心の中で拍手を送っただけでした。

 初めてそう思ったのは、2歳ぐらいのときです。まだ横須賀にいるときで、近所の公園へ行っていました。公園では滑り台でよく遊んでいましたが、ある日、滑り台の一番下の縁に座っていました。両足が滑り台の中で、背中を外側に向けていました。少し離れたところから、それを見て、パパローは、

「まさか、後ろ向きにひっくり返らないないだろうな」

と思いながら近づいていったとき、クルッと後ろ向きに倒れていきました。

「あっ、後頭部を打つ」

と思った瞬間、イチローがパッと両腕を着き、体を支えたのです。とっさの場面で両手が出るという身体能力の高さに驚き、感心しました。

 二度目は、今年のゴールデンウィークに、近畿大学と立命館大学の試合を神戸のスカイマーク球場へ観に行ったときです。バックネット裏ではしゃぎ回っていたイチローは、かなり目立っていました。また、学生の試合を観に幼児が来ることは珍しいので、選手の親御さんや年輩の野球ファンに声をかけてもらっていました。

 そのとき、トイレかどこかへ行って帰ってきた年輩の男性が、パパローから離れて座っていたイチローに声をかけた後、ほっぺをなでるように両手を出したのです。その瞬間、イチローは、そのおじさんの両手を自分の右手で払いのけました。その様子を見ていて、イチローが武術家のように見えましたね。

 普通の子だったら、なすがままに頬をなでられているか、体で逃げようとすると思うんですね。しかも、座っているので腰は動かさず、上体だけ後ろへ動かそうとするでしょう。ところが、イチローは、座ったまま体は逃げず、そのまま右手で払いましたからね。

 二度とも、とっさのことです。こういうことは、2、3歳の段階では教えてもできることではないと思います。もう少し大きくなって武術でも習えば、できるようになるかもしれませんが、何も教えてないのに自然に体が反応した、というところが本当にすごいと思うのです。

 もちろん、数が20まで数えられるようになったとか、ひらがなを読めるようになったというのも誉めてあげるし、制服が一人で着られるようになったとか、一年以上前に那須のサファリパークへ行ったときの様子をいまでも細かなところまでよく覚えていることにも「さっすが、イチ」と言いますが、とっさの体の反応は、親の予想以上の能力ですからね。こういう天賦の能力というのは、大切に伸ばしてあげたいと思います。

 それともう一つ、イチローをすごいと思ったのは、風船で遊んでいたときのことです。風船を手で高く打ち上げ、落ちてきたところをまた手で打つという遊びをしていたとき、イチローは、早く風船を打とうとして早くから手を伸ばしていたんですね。でも、腕が伸び切った上体で手を風船に当てても、風船は高く上がりません。それで、

「イチ、もっと風船を引きつけて。我慢して落ちてきたところをパッと打つんだよ」

と言いました。すると、つぎには、その通りできたんです。顔のすぐ上まで風船が落ちてくるのを待ってから、パッと打ち返し、それからはずっとそれができました。

 ビックリしましたね。これって、野球の指導そのものなんです。ボールを引きつけてパッとバットを振る。ポイントを近くして鋭く叩けということです。それと同じことが、たった一度のアドバイスですぐに実行できた。

 これは教えたことがすぐに実現できるという能力ですが、こういう能力も大切に伸ばしてあげたいと思っています。

 

2007年9月 2日 (日)

虎が笑っとる

 8月31日に、イチローとママローと3人で甲子園球場へ行ってきました。阪神が、ヤクルトに6対4で勝った試合です。

 Dvc00044_070717 5月から毎月1試合ずつ観戦して、今回が4度目でした。さすがにイチローも、だんだんわかってきて、「6」の金本、「1」の鳥谷、「4」のシーツを覚えました。

 特に、前回の7月に選手のシールを買ったところ、中から出てきたのが金本選手で、それ以来、テレビで阪神戦の中継を見るたびに「金本」の姿と背番号「6」を探していました。その選手が、目の前を走り過ぎていきます。私たちの座る席は、いつも3塁側(オレンジシート)なので、レフトの守りにつく金本を近くに見ることができます。

 イチローは、金本の姿を見て、思わず「おー」と発しました。

 パパローは、こういう感動がよーくわかります。いまでも、それが高校球児であっても、有名な選手を生で見ると、「おっ」と思いますもんね。高校生の頃、甲子園球場で初めて長嶋さんの姿を見たときには、「今死んでも、思い残すことはない」とさえ思いました。冷静に考えれば、高校生なので思い残すことだらけなんですけど、ポーッとなると、ついついそんなふうに思ってしまうものなんですよね。イチローのリアクションを見て、そんな遠い日のことを思い出していました。

 イチローも、よほど感動したのでしょう。

「かねもと~」

 と叫んでいます。いやあ、こんなに多くの観客の中でよく声がかけられるなあと感心しましたね。

 そして、「とりたに~」、「シーツ~」とも叫びました。そして、

「おちあい~」

と叫んだと思うと、

「おらん、おらん」

と、一人で突っ込んでいるではありませんか。

 落合は中日の監督なので、確かにここにはいません。こんなところでお笑いを入れてくるとは、パパローの想像をはるかに越えていました。自分の高校時代にまで思いをめぐらして浸っていたパパローは、なんだか置いてきぼりをくったような気分でした。

 こんなとき、イチローも成長したなあとしみじみ思います。

 この日のイチローは、試合もけっこう見ていました。

 それと、前回、幼児園の先生たちから「どっちが勝ったん?」と聞かれて答えられなかったので、試合前から勝ち負けにもこだわっていました。そして、「試合に勝ったら、歌、うたうんやろ」と何度も言ってました。

 7回裏の阪神の攻撃でジェット風船を飛ばし、勝利が決まってまたジェット風船を飛ばしました。そして、球場全体で応援歌『六甲おろし』を合唱します。といっても、イチローは歌詞を知らないので、手拍子をして雰囲気を味わっていました。

「阪神タイゲン、勝ったなあ」

「うん、勝ったな」

「虎も笑っとるで」

 おっ、イキなことを言うやないかと思いましたね。

 そして、「虎が笑っトラ」とは言わなかったところに、妙にホッとしたパパローでした。

 

2007年7月24日 (火)

野球のルールは、まだ知らん

 7月17日に、イチローとママローと3人で甲子園球場へ阪神対巨人戦を観に行ってきました。

結果は、4対0で阪神の勝ちでした。

 20070620_1 甲子園で阪神が勝つと、応援歌『六甲おろし』の大合唱となります。イチローも、まだ歌詞は知りませんが、阪神ファンと一緒に3番まで手拍子していました。

 実は、この日が、甲子園では1ヵ月ぶりの勝利。ということで、『六甲おろし』の大合唱も1ヵ月ぶりでしたが、前回の大合唱というのが6月20日の楽天戦。なんと、家族で観に行った試合です。

 縁起いいです。でも、もうちょっと勝ってほしいけど。

 翌日、幼児園に行ったイチローは、さっそく先生方に報告したそうです。すると、先生方もいろいろ質問して聞いてくれたようですが、

「どっちが勝ったん?」

と聞かれて、イチローは答えられなかったといいます。

 いやあ、「どっちが勝ったん?」どころか、イチローは、まだ、野球に勝ち、負けがあることすら知りません。数字は読めても、点数が入るというのもわからないし、それ以前に野球のルールというのもほとんど知りません。

 イチローが知っているのは、まず投げて、打つことです。「打つと走る」というのは、何となくわかっているようで、パパローとバッティング練習をしていても、打つと必ず走ります。でも、走るのは、自分の打ったボールを拾いに行くためです。まだ1塁へ走ることは教えていません。

 また、審判がいること、キャッチャーが座っていることも知っています。それから高校野球をよく観に連れていくので、試合の始まりと終わりに礼をすることも知っています。パパローと遊ぶ時にも、必ず「礼、お願いします」と声をかけ、「ウーーーー」とサイレンを鳴らします。最近、目指しているのはボールをキャッチすることで、打つより、キャッチボールをしたがりますね。

 観戦の楽しみは、一つにはお弁当を食べることですね。パパローは試合開始前に食べ終え、ゆっくり試合を観たい方ですが、イチローは、「試合が始まってから食べる」と言って観ながら食べます。そして、デザートやおやつを食べて満足したら、小さなバットを打ち鳴らして応援。飽きるとママローと歌をうたったりして時間をつぶした後、7回裏のジェット風船飛ばしです。これは、かなり楽しみにしています。

 というような感じで試合が終わり、それから2時間以上かけて車で帰ります。イチローは車の中で寝てしまいますが、家に帰る頃には日付が変わっています。それでも翌朝は8時頃には起きて、45分頃には家を出て幼児園へ行きます。0歳時の頃から、ママローの埼玉の実家から横須賀まで夜中に2時間かけて帰っていたので、車の中で眠るのも慣れたものです。

 人によっては、野球のルールもわからない子を夜遅くまで球場で遊ばせてと思われる人もいるでしょうが、

「3歳の時から毎月のように甲子園を行ってたんやで」

 という事実が、将来、きっと何かの役に立つことがあると思うんですよね。少なくとも、阪神ファンとの飲み会で言えば、かなりウケるはずですわ。

2007年7月11日 (水)

肛門性格と野球

 先日の土曜日、イチローと京都サンガ対セレッソ大阪の試合を観に、西京極競技場へ行ってきました。試合は1対1の引き分けでした。帰りにイチローがこう言いました。

「パパ、これからは野球だけでいいよ」

 はぁ、そうしましょう。

20070526_1  イチローは、6月22日(金)から寝るときにも、普通のパンツを履くようになりました。昼間のおむつはずっと前に取れていましたが、その前日まで、おねしょ対策として寝るときだけはおむつをしていたのです。

 ママローは、昨年のうちからおねしょシートを用意してくれていましたが、寒いうちはおねしょをするとよけいに冷たいだろうと思い、その後は、おむつの残りが少なくなって、イチローに「どうする?」と尋ねると、そのたびに「おむつにする」と答えていたのです。

 それが、ようやく、

「イチ、もう大きくなったからパンツで寝る」

と言ったのでした。

 パンツ初日。

 おねしょしました。

 けっこう大量で、パンツはぐっしょり濡れていました。

 おむつで寝ている時から、けっこう大量のおしっこをしているのはわかっていましたが、おねしょも一度は体験しておくことが大切だよなぁと思って、自然におねしょをさせたという面もありました。そして、イチローを起こすと、おねしょすると大変やなあとか、濡れて気持ち悪いやろと話しながらパンツを履き替えました。

 また、初パンツを金曜日の夜にしたことにも理由があります。おねしょをすることで、イチローがどういう気持ちになるかわからなからず、ショックを受けたまま幼児園へ行くのはかわいそうだなあと思ったのです。でも、イチローは、予想以上に冷静でした。

 パンツ2日目は、朝の5時にイチローを起こしました。そして、「おしっこ、行こうか」と抱っこしてトイレへ急行。寝ぼけたイチローを立たせ、便器に向かいます。やはり、前夜のおねしょ体験が利いているのでしょう。イチローも、素直にしたがっています。

 ここで迷ったのが、何と声をかけるかでした。

「さあ、出そうぜ、出そうぜ!」

 という体育界風ノリもいいかと思いましたが、やっぱり、

「シー、シー」

かなと思ったり。パパローは、そう言ってもらった記憶があるので、ここで発する言葉が一生の思い出になるかもしれません。

 おむつが取れ始めた頃、おしっこに付き添ったパパローはよく「発射!」と叫び、イチローも「発射って言って」と、それを気に入っていました。でも、一人でするようになった最近は、じいじから教えてもらった言葉がお気に入りのようです。というようなことを0・5秒ほど考えて、結局、じいじ由来の

「おしっこ、チョイチョイ」

にして無事に済ますことができました。

 4夜連続で早朝に起こした後、パンツ6日目は、ちょうど寝る直前にタイミングよくトイレに行きました。それで、寝る直前におしっこしとけば安心だねと話して眠りにつきました。翌朝、いつものように起こしたのですが、寝ぼけながらもイチローは、

「大丈夫、寝る前におしっこしたから」

と言ってます。それから目覚めるまで、おねしょもせず、トイレにも行きませんでした。こうしてイチローは、寝る直前にトイレに行けば大丈夫だと知りました。それからは寝る直前か、少し前に必ずトイレへ行くようになりました。早朝に声はかけますが、イチローは、「大丈夫」と答えて再び眠ります。

 とにかく、おねしょの問題も含めてトイレトレーニングは、のんびり、焦らずにしています。今では、ウンチの時も自分でトイレへ行きますが、3歳半まではおむつでウンチをしてました。トイレに行っても出ないことが何度かあり、おむつの方がしやすいのなら、おむつでいいわと思ったからです。トイレでするようになったのも、自分で「行く」と言ってからです。でも、今もパパローか、ママローのどちらかが付き添って助けています。まだ後の処理を自分ではしていません。夜間のおしっこ問題にもう少し慣れてから、タイミングを見て徐々に教えていこうと思っています。

 なぜ、おねしょやウンチの処理に、これほど気を使うかといえば、おむつの取れる時期のしつけが、チームプレーである野球と大きく関係してくる可能性があるからです。

 心理学者のフロイトは、この頃のしつけが、その後の性格形成に大きな影響を与えると指摘しています。フロイトによれば、自分の意思でトイレに行ったり、我慢することを繰り返すうちに自律性が養われるといいます。しかし、あまりに厳しくしつけすぎて不満足な体験を繰り返すと、極端なきれい好き、白か黒かはっきりしていないと気がすまない、秩序に対して厳格でありすぎる、ケチであるように見えて変なところで浪費する、などの性格になりやすいと指摘しています。

 フロイトは、こういう性格をおむつはずしの「肛門期」に関係するので「肛門性格」と呼びましたが、日本の心療内科では「強迫性格」といわれ、最近は、さまざまな問題行動の根っこにあるのではないかという専門医もいるようです。

 また、フロイトによれば、親の厳しいしつけに反抗的になると、がんこ、怒りっぽい、反抗的、無計画なども特徴になるそうです。その結果、人とは距離を取るようになったり、他人に不信感を抱いているように思われやすいようです。

 これでは、野球のようなチームスポーツにのめりこむことは難しいです。チームに溶け込めないでは、いくら野球がうまくなっても活躍の場がありません。

 まあ、フロイトの学説であっても、それが本当に正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず、そういうことを頭に入れつつ、のんびりとトイレトレーニングを進めています。トイレへ走るスピードは速くても、おむつがはずれる時期は遅くてもいいと思います。

 野球のトレーニングもそうですが、ステップを踏んで少しずつ身につけていけばいいかあと思っています。

 

 

2007年6月25日 (月)

甲子園球場でトレーニングしてきました。

 6月20日(水)に阪神対楽天の試合を観に、甲子園球場へ行ってきました。

 結果は、5対0で阪神の勝ち。

 阪神のルーキー上園投手がプロ入り初勝利をあげた試合で、また、楽天のルーキー田中マー君が思い出の甲子園球場でプロとして初めて投げた試合でもありました。昨年の夏、駒大苫小牧高校のエースとして早実の斎藤佑樹投手と投げ合って以来の甲子園のマウンドでしたが、5回3失点で負け投手になりました。

 イチローは、そんな二人の投げ合いにお構いなく、応援に合わせて手拍20070620 子したり、踊ったりして自分なりに楽しんでいました。その中ですごいと思ったのは、前の席の背もたれをピアノに見立て、歌をうたいまくったことです。

 イチローの通う幼児園の「いぬ組」のテーマ曲らしい 

♪僕たちは 私たちは 素晴らしい仲間たちぃ 手と手をつなげば大きな輪ができる

という歌(歌詞はイチローの歌っているままで、正確ではないかもしれません)に、

♪小さなイチゴが言いました~

というイチゴの歌。 そして、いま園で歌っている 

♪カエルの唄が 聞こえてくるよぉ

という歌などなど。

 その日の甲子園は、4万8000人の大観衆で満員でした。ざっと見渡しても、9割8分は阪神ファンです。しかも、試合は阪神が終始リードしており、阪神ファンのボルテージは上がりっぱなしです。それでもイチローは、阪神ファンの大声援もまるで耳に入らないかのように大きな声で歌っていました。前の方の席のおっちゃんやおばちゃんが振り返っては微笑んでましたね。

 イチローは、家でも、毎日、幼児園で覚えてきた歌をうたっています。ちゃぶ台をピアノに見た20070603 て、ヤカンに楽譜集をイメージしたノートを立てかけています。ノートの滑り止めは、じいじの湯呑みです。

 一番好きなのはいぬ組のテーマ曲で、最後の

♪みんなで みんなでつくろうよ 明日の、あしたの幼稚園 オゥ(と右手をあげる)

のところが一番気に入っているみたいです。

 また、イチゴが大好きなイチローは、イチゴの歌もとても気に入っています。歌を聴いていても、青いイチゴが青空体操イチ、ニッ、サンとすると、♪真っ赤か、真っ赤 になったという歌で、これは、まさに家の前の畑でイチゴが熟すのを毎日心待ちにしていたイチローのための歌のようです。

 幼児園と家で毎日うたっている歌を甲子園でもうたったのですが、すごいと思ったのは、なんといってもその集中力ですね。パパローも、子供の頃から周りがザワザワしていても勉強をしたり、原稿を書くことができますが、甲子園球場は、なんといっても4万8000人の大声援です。そんな中でも周りが気にならず、自分の世界に入っていける。ものすごい週劉力ですね。

 同時にイチローにとっては、すごいトレーニングになっていました。これを何度も体験しておけば、イチローが甲子園球場で野球の試合をすることになっても大声援が聞こえないぐらい集中して自分のプレーができるのではないかと思いましたね。

 来月も、17日の阪神対巨人戦に行きます。

 

2007年6月17日 (日)

同立戦に行きました。

 5月28日(月)、同立戦を見に西京極球場へ行ってきました。去年までは早慶戦でしたが、関西に引っ越した今年からは、やっぱり同立戦です。

 綾部の実家から車で約1時間半かかけて阪急電車の桂駅まで行きます。駅前に車を止めて、桂駅から電車で一駅。家からはおよそ2時間ぐらいです。

 早慶戦もハンカチ王子の活躍で大入り満員だったようですが、立命館大学の優勝がかかっていた同立戦もたくさんの観客が入っていました。

 20070528 大学野球の観戦に慣れたイチローは、試合前、『同志社スポーツ』を広げて戦力分析? していました。

球場には3塁側から入ったのですが、ちょうど立命館側で応援グッズをもらいました。席についたのはバックネット裏で、ホームベースの真裏ですが、イチローは立命館の応援グッズを振りまわして周りの人にウケていました。

2歳のときには神宮球場で早稲田のチアリーダーに突進したり、チアリーダーと一緒に踊ったりしていたのですが、3歳半になって、イチローも恥ずかしいという気持ちが強くなったようです。同立の学生が一斉にジェット風船を飛ばすのに、チアリーダーがジェット風船を配っていましたが、一人でもらいに行くこともできず、「パパ、一緒に行こう」とグズったほどでした。しかも、近くへ行ってはみたもののモジモジ。気づいてくれた立命館のチアリーダーが渡してくれて、やっともらえたのです。

 試合は9対3で同志社が勝ちました。この試合には1回生(1年生のことを関西ではこういいます。なぜかは知りませんので、また調べておきます)の選手は出ていませんでしたが、関西の大学野球界でも、今年はハンカチ王子と同じ1回生の活躍が目立ったようです。また、楽天の田中将大は、すでにプロで活躍しており、野球界でもこの”ハンカチ世代”は当たり年といわれています。

 その前の当たり年といえば、松坂大輔を中心とした”松坂世代”でした。さらに、その前が桑田、清原の”KK世代”。その前が、江川卓を中心とした元祖”黄金時代”です。

 生まれ年で見てみると、江川世代が1955年生まれで、KK世代が1967年。さらに、松坂世代が1980年生まれです。ちょうど12年、13年間隔で、当たり年となっていました。

 その法則に当てはめると、次の当たり年は92~93年生まれの予定でしたが、ハンカチ王子こと斎藤佑樹の生まれは1988年。12~13年間隔が、松坂世代からはわずか8年に縮まりました。

 ここ10年以上の野球人気が、大きく影響しているように思います。イチローの出現が1994年、野茂がメジャーリーグに挑戦してトルネード旋風を巻き起こしたのが翌95年のことでした。これをきっかけに、サッカー人気に押されていた野球の人気が復活。高校野球の登録選手も増え、男の子の将来の憧れは野球選手が第1位となりました。ちょうどその頃は、ハンカチ世代が本格的に野球を始める時期。優秀な選手が育つ雰囲気が充満していたといえます。

 そして、それ以降も、松坂の出現やイチローのメジャー挑戦、ハンカチ王子の登場にWBC優勝と野球の時代は続いています。ということは、選手の当たり年の出現も、今後は8年前後で回っていくのではないかと思われます。ということは、ハンカチ王子の次の当たり年は、95~97年生まれで、さらに、その次が02~04年生まれになるのではないでしょうか。

 となれば、03年生まれの「松井イチロー世代」の到来というのも、これはありうるなあと。まあ、これが書きたくて長々と書いてきたのですが、こんなことを思っているので、イチローの授業参観日に子供たちのリズム遊びを見せてもらうと、思わず、運動能力の高い子、動きのバランスのいい子を探し出し、「この子、イチローと一緒に野球しないかな」と思ってしまうのでした。おかげで、どこへ行っても楽しいです。

2007年5月17日 (木)

ジェット風船飛ばせず……

 5月9日に、イチローとママローと3人で甲子園球場へ行ってきました。阪神対巨人のナイターでした。阪神が連敗中で、最後に藤川で逆転され、9連敗となった試合です。

 この日は昼間が夏のような暑さで、三塁側ベンチの上の方、最上段近くの席に着くと夜風がとても気持ちよかったです。

 20070509 まず、座席に着くとお弁当です。イチローは食べている間は、とてもご機嫌です。食事後、しばらくパパローが抱っこしていましたが、しだいに動きたくなってきたようでした。だけど、座席の間隔が狭く、左隣では若いカップルが応援グッズを打ち鳴らしてているし、右の方にも親娘のような二人が阪神を応援しています。身動きが取れないので、やがてイチローはぐずり始めました。

 でも、ぐずっていいんです。あんな狭いところでじっとしていられる方が心配です。しかも、ここは野球場で、目の前では金本や鳥谷、高橋由伸や阿部慎之介たちが野球をしています。将来は野球選手になってほしいと思う子が、そんな雰囲気の中でじっとしていることの方が、体調が悪いのではないかと心配です。体を動かしたくて仕方ない。そう思ってこそ、未来の野球選手なのです。そこでパパローはイチローをつれて、通路になっている階段の最上段へ行きました。その周囲は席が空いており、気兼ねすることなく自由に動くことができるからです。

 最初は通路を上がったり、下りたりしていたイチローですが、やがて、阪神のメガホンを打ち鳴らす「チャッ、チャッ、チャ、チャ、チャ」というリズムに合わせて体を動かすようになりました。

 なにしろ甲子園球場の観客席は、巨人の応援団はレフトスタンドの一角だけで、あとはグルッと阪神ファンが取り囲んでいます。そのうえ、応援グッズの音や歓声が甲子園名物の銀傘に反響して心と体を震わせます。そのうち、イチローは「チャッ、チャッ、チャ、チャ、チャ」というリズムに合わせ、腰を左右に振り始めました。そして、振り終わるたびに通路の階段に座っているパパローに抱きつき、大笑いしています。

 そんなイチローの様子を見ながら、うちの家族は関西に引っ越して来たんだなあと、改めて思いました。そして、こうやってイチローは阪神タイガースファンになっていくのだろうなと思いました。

 そうこうしているうちに、7回裏のジェット風船を飛ばす時間が近づいてきます。ところが、今か、今かと待っても、ジェット風船売りが現れる気配もありません。仕方ないので売店へ行きましたが、売っていません。聞けば、ジェット風船は球場の外で買ってくるのだそうです。

 パパローが、甲子園球場で阪神戦を見るのは、いつも記者席です。客席でジェット風船を飛ばしたこともありません。だから、阪神ファンがジェット風船をどこで買っているのか知りませんでした。というわけで、残念ながら、イチローが楽しみにしていたジェット風船飛ばしはできず、見ているだけでした。

 その後、イチローが通路に落ちた風船を拾いに行きました。階段の上段でしゃがみ、一段下の風船を拾おうと思った瞬間、頭から突っ込むようにひっくり返り、階段を二段ほど転がり落ちました。近くの阪神ファンが驚いて助けに行ってくれましたが、パパローは上段からニヤニヤと笑って見ていました。イチローが泣かなかったので、大丈夫だと判断していたからです。その一週間ほど前、福知山市営球場で階段を転げ落ち、脇腹にすり傷をつくった時には、転げ落ちた瞬間に泣いてましたから。イチローもすぐに自分で立ち上がり、パパローのもとへ走って帰ってきました。見ていた阪神ファンも笑っています。

 まあ、関西人は笑ってもらってナンボ。このような体験を重ね、体を張ってでも笑ってもらうことを覚え、清く正しい関西人として成長していくのだなあと思いましたね。 

 というわけで、今度はジェット風船を飛ばすため、6月20日にまた3人で甲子園球場(楽天戦)へ行きます。

 

2007年5月 7日 (月)

3歳で10球場制覇!

 ゴールデンウィークには、イチローを連れて2回野球観戦に行きました。

20070401_dscn3186  3日が高校野球の春季大会で、パパローの母校の綾部高校が立命館高校と対戦した試合。会場は市営福知山球場でした。そして、4日が関西学生リーグの近畿大学対立命館大学、関西学院大学対同志社大学で、会場は神戸のスカイマークスタジアムでした。

 実は、そのスカイマークスタジアムが、イチローが訪れた10番目の球場でした。記念の球場が、かつてイチローが本拠地にした球場であることに、パパローはちょっぴり感激でした。わざわざ狙ったわけではなく、ふと数を数えてみたら、ちょうど10番目の球場だったのです。

 生後4ヵ月半で初めて訪れたのが東京ドームで、ニューヨーク・ヤンキース対タンパベイ・デビルレイズの試合でした。松井秀喜がホームランを打った試合でもあり、それ以降、東京ドームには巨人戦とアジアシリーズで3回行っています。

 2番目に行った球場は横須賀スタジアムで、湘南シーレックス対ヤクルトの2軍の試合でした。お土産に、犬の小さなぬいぐるみをもらいました。今は一軍で活躍しているヤクルトの青木選手も見ています。

 3番目に行ったのは横浜スタジアムで横浜対巨人の試合でした。横浜スタジアムは、その後、高校野球の夏の予選と大学野球の横浜市長杯決勝を見に行っています。

 4番目に行ったのが久里浜にある湘南学院のグラウンドで、神奈川県の春季大会でした。パパローとクルマで近くを通ったら、ちょうど試合をしていたので寄ってみたのです。対戦は湘南学院対相模原田名でした。

 5番目が神宮球場で、早稲田対明治大学の試合でした。この時、ちょうど1歳半です。その後、神宮球場には早稲田と青山学院の試合に3回行き、早稲田の学生と一緒に応援したり、青山学院の選手のお母さんたちにお菓子をたくさんもらいました。

 6番目が横浜高校の長浜グラウンドで横浜高校の練習試合を見ました。試合より、帰りにグラウンドの周囲でどんぐり拾いをしたことの方が楽しかったみたいです。

 7番目が甲子園球場で、昨年の春のセンバツです。早実の斎藤祐樹投手を見ています。今年の春のセンバツにも行き、帝京対広陵、関西対大垣日大戦を見ました。今月9日には、初めて阪神戦(対巨人)を見に行く予定です。ジェット風船飛ばしを楽しみにしているようです。

 8番目があやべ球場で、京滋大学リーグの京都創成大学対京都学園大の試合でした。今年4月のことです。ファールボールがネット裏へ飛んで来た時には、持ち込んでいたバットをさっと手にして、打ち返そうとしました。ボールは遠くに落ちたのですが、そのとっさの行動がすごいと思いましたね。

 9番目が5月3日の福知山球場で、そして10番目が4日のスカイマーク球場です。

 パパローの友人には、これまでに100以上の球場で野球を見たという人もいます。パパロー自身は、現在までシアトルのセーフコスタジアムからあやべ球場まで73球場です。イチローが、これから何ヵ所の球場で野球を見るのかわかりませんが、とりあえず、数をかぞえておこうと思っています。

 また、4日の関西学生リーグの試合までで、観戦した試合は計25試合になります。こちらも、一生に何試合観戦するのかわかりませんが、記録だけは残しておこうと「観戦暦」のメモを残してあります。パパローは、もはや生涯で何試合の試合を見たかは不明ですが、イチローには数えてほしいと思っています。

 ただし、「観戦」といっても、試合を見ているのは何かを食べている時のほんの数分で、あとは球場内を走り回っているか、誰かに相手をしてもらっているか、スコアブックに落書きしているかです。スカイマークでは2試合で6時間いたうち、1時間半ぐらいはテレビカメラ置き場の日陰デバスタオルを敷いて寝てました。

 それでも、最近はバックネット裏でピッチャーに合わせてバットを振る真似をしたり、キャッチャーになったり、審判の真似をしたり、少しずつ”野球少年”らしいことをするようになっています。

 また、幼児園では、今日、ゴールデンウィーク中にしたことを一人ずつ発表したそうですが、イチローは、みんなの前で「野球を見に行った」と話したそうです。

2007年4月24日 (火)

打撃練習の秘訣

 イチローが「パパー、パパー」と呼んでいましたが、二階で長い文章をパソコンで打ち込んでいたため無視する形になってしまいました。そしたら、イチローがこう言いました。

「じいじ、ちょっと『ヒロシー』って呼んで」

 なかなか知恵者だと感心します。

 家の中でイチローと野球していると、たまにじいじが見に来ることがあります。イチロー200703111 が空振りすると、じいじが「ハハハ、空振りー」と笑います。すると、不思議なことにイチローのバットの振りが鋭くなるのです。これは新しい発見でした。

 野球のピッチングでも、外角のスライダーでバッターを仕留めようと思えば、その前に内角球を見せておく方が効果的です。それと同じで、ほめてばかりでもそこそこいい振りをしますが、その前に笑われたり、怒られたりした方がもっといい振りができるということでしょう。

 でも、そこにはポイントが一つ。笑ったり、怒ったりする人とイチローの間に信頼関係があることです。これがなければ、イチローは、逆にやる気をなくすはずです。

 イチローとじいじは、とても仲良しです。朝、イチローが起きると、じいじがやってきて「おはよう」と言います。イチローは返事をしません。すると、じいじが「耳、日曜か?」と聞き、イチローが「日曜や」とか、「土曜や」と答えます。しかも、このやり取りをほぼ毎日繰り返しているのです。いまでは一緒にお風呂にも入る日もあります。 

 また、幼児園に行かない日には、じいじといることが一番多いぐらいです。お酒の配達、畑仕事、買い物、お使い等々、どこへでもついていきます。先日も、買い物に一緒に行って、じいじが店の人と話している間に、イチローが店先のイチゴのプランターから熟したイチゴを失敬。口に入れたそうです。イチローは、とにかくイチゴが大好きなのです。

「ボク、イチゴ食べたらアカンで」

というおばさんの声で、じいじもビックリ。じいじは、そのイチゴのプランターを買って帰るハメになりました。今、そのプランターは家の前にあり、イチゴが赤くなるとイチローが食べています。

 じいじが、昨年植えてくれたイチゴは、今ちょうど花を咲かせているところで、熟すのはもう少し後のようですが、このじいじ効果で、イチローのバッティングもこれからますます上達することでしょう。

2007年4月 2日 (月)

イチロー、甲子園に登場!

 4月1日、イチローと甲子園球場へ行ってきました。家からクルマで1時間半ほどです。本当は2日の準決勝を観戦予定でしたが、見たかった大阪桐蔭が準々決勝で負けてしまったので一日早めました。準々決勝の2日目で、カードは帝京対広陵(7対1)、大垣日大対関西(9対1)でした。

 席は、パパローの友人の皆さんが確保してくれていたので、バックネット裏、記者席の前でした。そこに座って試合が始まると、いきなり帝京4番の中村君と8番杉谷翔君がホームラン。イチローは、その両方ともをしっかり見ていました。

 日本代表の「ICHIRO 51」のユニフォームを着ているのは去年と同じですが、野球への興味が全く違っていました。去年は大勢の人がいるのや、客席を走り回ることの方がうれしかったようなのに、今年はちゃんと野球を見てました。 

 で20070401も、2本のホームランで球場全体が盛り上がると、もうじっとしていられません。靴を脱いで座席に上がると、そこに座って構えます。そして、ピッチャーの投球に合わせてボールを受ける真似をします。そして、立ち上がったかと思うと、

「パパ、イチも顔につけるのほしい」

と言いました。 キャッチャーマスクを要求しているのです。さらに、

「パパ、キャッチする人は2や」

とも言いました。数字がわかるようになったので、背番号に興味を持ったようです。かと思うと、今度はピッチャーの投球に合わせてバットを振る真似をします。これを何度も繰り返した後、ついにこう言いました。

「パパ、イチも、あそこで野球したい」

 泣かせますねぇ。この言葉は、しっかり書き残しておかなきゃいけないですね。いやぁ、本当に12年後に実現するといいですね。

 それから靴を履いて通路の階段に立ち、ピッチャーに合わせてキャッチャーになったり、バッターになったりしていました。やっぱり一番興味があるのが選手なんですね。

 動き回りながら野球を見ていると、お腹も空くし、ノドも乾きます。そこでイチローが目をつけたのが球場内の売り子で、アイスクリームを買いたいと言い出しました。ほどなく、アイスクリームを売る女の子の姿が見えましたが、座席が記者席の前なので、待っていても売り子は来てくれません。それでイチローにお金を渡し、自分で買いに行くように言いました。

 300円を握り締めて、イチローは通路の階段を下りていきましたが、振り返り、振り返りパパローの顔を見ます。やっと売り子の近くへ行っても、声がかけられないようで、またパパローの方を見ます。パパローの周りの友人たちからも「初めてのおつかいだね」と言われ、試合中にもかかわらず、注目を集めています。すると、売り子が気づいてくれて、会話をかわしたかと思うと、カップ入りのアイスクリームがイチローに手渡されました。一転、イチローの顔がニコやかになり、弾むように階段を駆け上ってきました。わずか5メートルほどの距離でしたが、イチローにとっては初めてのお買い物でした。

 家に帰ってきてからは、空き箱を抱えて「アイスクリーム入りませんかー」と売り子の真似もしていました。結局、甲子園で一番印象に残ったのはアイスクリームを買ったことだったのかと思いましたが、今日、イチローと一緒に高校野球のテレビ中継を見ていると、こう聞いてきました。

「パパ、なんでキャッチする人が2人おるん」

 テレビ画面には、マスクをかぶった人が二人映っています。昨日、甲子園では気づかなかったのに、審判の存在に気づいたのです。

「一人はキャッチする人だけど、その後ろにいる人は、『ストライク!』っていう審判というおじさんなんやで」

 三回、そう説明しても、イチローは「わからん」と首を振ってました。でも、夜に部屋で野球して遊んでいたら、

「審判という人がおって、ストライクって言うんやな」

 イチローは、ちゃんと理解していました。こうしてイチローは少しずつ野球を覚え、野球が大好きになっています。

ちなみに「甲子園で園歌を」というのは、イチローがあっさりと拒否。実現はしませんでした。また夏かな。

2007年3月29日 (木)

甲子園で園歌を!

 イチローは、2月下旬から10回ほど綾東幼児園に通っただけなのに、もう園歌を覚えま061224 した。折りから、センバツ高校野球大会の開催中。「つくし たんぽぽ顔出して」とうたうイチローを見ていると、パパローのイメージはどうしても甲子園で勝って校歌をうたう高校球児のイチローに。そんな光景を思い描くだけで、ウルウルしてしまいます。

 ああ、イチローを早く甲子園に連れて行きたいなあ。せめて観客席で、綾東幼児園の園歌を堂々とうたわせたいと思います。

 でも、明日はパパローが阪神タイガースの開幕戦へ行きます。開幕戦の記者はスーツ着用が決まりですので、年に数えるほどしか着ないスーツで行きます。イチローと甲子園に行くのは、準々決勝か、準決勝ぐらいの予定です。

 イチローは、3月23日で幼児園の一時預かりを終了して、4月6日に正式に入園します。この日から「いぬ組」さんの園児として三年保育が始まります。

 2月、3月の”お試し期間”で、先生方にも、お友達にもすっかりなじんでいるので、ほとんど心配はありません。でも、一つだけ引っかかっているのがウンチです。オシッコは、もう完全に一人でできるようになりましたが、大きい方ができないのです。まあ、まだ3歳4ヵ月なので仕方ないとしても、一つめの問題はおむつじゃないとできないことです。家のトイレだと、高くて足が宙に浮くのでしずらいみたいです。

 これについては、おまるを買えばいいと思うのですが、もう一つ問題なのが幼児園で出ないことです。

 幼児園に行く前に家で出ればいいのですが、出なかったら幼児園でということになります。そのため、おむつのまま幼児園に行くのですが、緊張からか出きないのです。

「したくなったら、『先生、ウンチ』って言えばいいんだよ」

「いやぁだ」

「どうして?」

「イチ、恥ずかしいもん」

 そうなんですよね。その気持ちは、よくわかります。パパローの子供時代も、とても先生にそんなことを伝える度胸はありませんでした。そればかりか、家から一歩出ると、もよおすこともなかったです。大人になるまで、外でトイレの個室に入るということがありませんでした。

 一度、こんな失敗があります。

 大学生の時、女の子と喫茶店にいたら、急にもよおしたのです。外でもよおすことがなかったので、かなり焦りました。そのうち何の話をしているのかもわからないような状態になりました。「もう限界に近い」と思った時、ふと、

「できるだけ早く行って、帰ってくればいいんだ」

 と思いました。時間がかかると、「ひょっとしてうんち?」と思われるかもしれないけれど、短時間で済ませば、そう疑われることもない。ヨシと覚悟を決め、頭の中で段取りを何度もイメージトレーニングしました。そして、

「ちょっと、トイレに行ってくる」

 そう言い残して足早にトイレに向かったのです。そして、ダッ、ダッ、ダッと済まして急いで戻りました。

 戻ってくると、彼女は自分の手帳を見ていました。疑っている様子はありません。

「おー、これぐらい早いと完全にセーフだね」

 心の中でガッツポーズしていると、今度は彼女が、「私もトイレに行ってくるね」と立ち上がりました。

 こちらは、もうホッとして、お腹もすっきり、心もすっきり。鼻歌まじりで待っていると、彼女が帰ってきて、こう言いました。

「松井くん、流さなかったでしょう」

 グワーーーーーーーーーーーーーーーーーォ。 

 イチローも、いつかこんな経験をするのでしょうか。

 

2007年3月 5日 (月)

ICHIRO 51 トランプに夢中

 イチローが、今、最も夢中になっているのがトランプの神経衰弱です。いつも「お風呂、20070217_1 入らな~い」と叫び、お風呂嫌いの3歳4ヵ月ですが、「トランプしてから、お風呂に入ろうか」と言うと「うん、そうしよう」と機嫌がよいこともあって、毎日のように遊んでいます。使うトランプは、もちろん「ICHIRO 51」仕様です。

 神経衰弱を始めて1ヵ月ほどになりますが、今では結構強くなりました。ボーッとしながら相手していると、総取りされることもあります。

 一度に3~4枚の場所を記憶しているようです。間違えると「もう一回」と言ってめくり直し、自分で「ズル」と言ったりもしてます。昨日は、パパローが取ったカードを目の前に並べ直し、自分でめくっては自分の取り分にしていました。総取りの快感が忘れられないようです。

 イチローが数字を覚えるようになったのは、2歳すぎのことです。お風呂でママローと1~10まで数えてました。パパローは、「さすがに、数字はまだ早いだろう」と思いましたが、ママローは、なにしろソロバンの先生の娘。自然に数を教えたくなるんだろうなと思いましたね。お風呂から聞こえてくる2人の声も楽しそうでしたし、野球に数字は付きものです。

 それからは「飴ちゃん、2個ね」とか、「クッキー5個」とか、「おせんべい、何個食べる?」というように、パパローも、ママローも生活の中で数字を意識するようにしました。イチローと毎日のようにこんなやりとりをしていると、半年後には、「イチくん、パパの部屋から、この紙(コピー用紙)2つ持ってきてくれる」などと頼めるようにもなりました。イチローはお手伝いが大好きなので、そんな頼み方をするともう大張り切りでした。

 ちなみに、関西ではいいおっちゃんでも、飴のことを「飴ちゃん」と呼びます。関東出身で関西に赴任した新入社員が、いかつい上司から「飴ちゃん、食べる?」と聞かれて思わず吹き出すこともあるそうです。

 さて、横須賀にいる頃からイチローに数字の読み方も教えていたのはママローですが、綾部に引っ越してきてから、イチローはカレンダーの数字に興味を示すようになりました。カレンダーを見ながらパパローが、たとえば、「5はどこ、どこ、どこにある?」と聞くと、イチローが探して指差します。これを延々と繰り返すのです。こんな遊びを毎日していたある日、ばあばがオリックス時代のイチロー・トランプを持ってきてくれました。ずいぶん前の三ツ矢サイダーの景品が、店に残っていたそうです。

 このトランプに、イチローが、また大変な興味を示しました。カレンダーでの数字探しをやめ、トランプを並べて遊ぶようになりました。そこで神経衰弱を教えてみると、すぐに夢中になったというわけです。

 今は、混乱しないようにハートとスペードの2~10までの18枚だけで遊んでいます。ゲームを初めて4回目ぐらいまではは「おっ、よく覚えているなあ」と感心するほどですが、5回目ぐらいになると集中力が途切れるようで、間違えが目立ってきます。「A(エース)」と、野球で三振を意味する「K」を加えるのは、もう少し後ですねぇ。

2007年1月17日 (水)

配達せなあかんもん

 幼稚園や小学校の冬休みが終わり、元気に登園を始めた頃、イチローに、

「幼児園を見学に行く?」

と尋ねてみました。綾部市には、幼稚園と保育園を合体させた幼児園という施設が、全国で初めてスタートしています。現在、3歳のイチローは週に何日、一日に何時間でも自由に設定して通うことができます。また、4月からは幼稚園のカリキュラムで通うこともできます。

「うん、行く、行く」

 そう答えたイチローでしたが、その後、横須賀で預かり保育に通っていたように、また幼児園に通うか? と尋ねると、すぐに「行かなーい」と答えました。

「なんで」

「だってぇ、イチ、配達に行かなあかんもん」

 答え方も、すっかり関西弁になっています。 

 そうなんです。イチローは、朝食をとると、そのまま隣にある店へ直行。じいじと一緒に070116 店番をし、お酒の配達や畑を行きます。いつもじいじの後をついて歩いており、イチローにとっても、配達は楽しい”仕事”となっています。

何しろ配達のついでに牛舎を訪ね、子牛をなでたり、幼児用の自転車に乗せてもらったり、いまは寝たきりになっている曾祖母を訪ね、握手してきたり、大好きなイチゴをもらったりきます。

 今日も、配達先で放し飼いのニワトリを見ていたら、ちょうど卵をポトンと産み落としたそうです。すると、その家のオジサンが、まだ温かい卵をくれて、両手で包むようにしながら大切に持ち帰ってきました。家に帰っても持ち歩いていたので、赤い長靴を履く時に落とし、ちょっとヒビが入ったようですが、イチローは、

「パパ、セーフ、セーフ!」

 夕食の時、目玉焼きにすると、イチローは黙々と食べました。「おいしい」と感じている証拠です。じっさい、産み落とされてから4時間後の卵は、ふわっと軽くてとてもおいしかったです。

 また、じいじと畑に行けば、大根を引き抜き、それを抱えて帰ってきます。その大根が2時間後には食卓に並んでいて、イチローも大喜びです。

 幼児園へ行くより、じいじの後ろをくっついて歩いている方がよほどワクワクするし、社会勉強になるようです。また、一番近い幼児園は水疱瘡が大流行という話も聞いたので、しばらくは、じいじに弟子入りすることにしました。

 そこで、パパローはイチローに課題を一つ。

「配達に行ったら、大きな声で『毎度、おおきに』と言ってね」

 その2日後、配達から帰ってきたイチローが、「パパー、『毎度おおきに』って言えたぁ」とニコニコして報告してくれました。

2007年1月 9日 (火)

2007年初打ち

 2007年、イチローの初打ちは、1月7日でした。

 横須賀でもしていたように、部屋でビニールバットをもって、ふわふわのボールを打ちま   070105す。引越しもあって、イチローがバットを 握ったのは3週間ぶり。最初は3度空振りしましたが、そのうちいい当たりを連発するようになりました。イチローも、久々の感触にうれしそうでした。

 横須賀の家も4sLDKと広かったですが、綾部の家はもっとビッグです。なにしろ、元旅館なので1階と2階合わせて部屋が8つもあります。間取りでいうと8DKにサービスルームが2つ。1階と2階にそれぞれ廊下があり、ふすまを開け放てばかなり広く使えます。室内練習には十分な広さです。

 築90年を超える、この家を建ててくれたのはイチローの曾々祖父にあたる人です。明治の終わりから、大正の初め頃に建ったのではないかと伝わっています。そして、昭和初期の頃から旅館を繁盛させたのは、イチローの曾祖父です。腕のいい料理人でもあったそうで、パパローの生まれた60年代ぐらいまで、丹波と若狭をつなぐ抜け道にある旅館として富山の薬売り商人などの旅人が泊まっていたそうです。パパローが小学生のときには、よく泊まったという人が訪ねてきては、「あのボンが、こんなに大きくなったか」と頭をなでてくれました。パパローは、子供の頃、「松井屋のボン」と呼ばれていました。

 しかし、自動車の普及とともに、旅の人たちも丹波から若狭まで一気に走り抜けるようになりました。また、訪れる人も少なくなり、旅館を廃業。旅館を開く前からの酒屋だけがいまも続いているというわけです。

 といえば、その酒屋は将来どうなるのかということになりますが、跡取りのはずの息子は物書き(申し訳ない)、その息子のイチローも、いまは野球に夢中。ママローがチラリと意欲を見せていたりしますが、まあ、どうなるかわかりません。

 写真のイチローは、かなり高いボールを打っていますが、これは、パパローがカメラを構えながらボールを投げたせいです。いまは、どんなボールにも手を出しますので、普段はストライクゾーンに投げるように気をつかっています。

 また、バットの握る手が上下逆であることに気づいた人もいるでしょう。右打ちの場合、正しい握りは左手が下で、右手が上になります。でも、イチローがバットを最初に握ったときから、この握りだったのであえて直していません。ものの本によると、アメリカの戦前のホームラン王ベーブ・ルースも子供の頃は手の握りが逆だったそうです。イチローもこういうエピソードは無理に直さず、残してあげたいと思っています。

2007年1月 1日 (月)

引っ越しました

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 松井一家は、昨年12月19日にパパローの実家へ引越しました。横須賀で3年暮らしてみて、パソコンがあれば、横須賀に住んでも、京都北部に住んでも、ほとんど変わらないことがわかったからです。どこに住んでも同じなら、関西に住みたいということで、とりあえず、パパローの実家のある京都府綾部市に帰ってきました。

 こちらで聞いて驚いたのですが、新たに開通した高速道路を利用すれば、神戸まで約1時間で行け、綾部の若者のデートスポットになっているそうです。ということは、甲子園球場までも約1時間で行けますし、大阪市内まで約1時間半しかかかりません。27年前の高校時代、甲子園球場まで車で3時間かかったことを考えると、今では実家から京阪神への取材も、とても行きやすくなっています。

 ただし、新たに開通した高速道路というのが、ガラガラの「本当に必要なの?」という高速道路。全国の納税者の皆様に申し訳ないと恐縮しながらハンドルを握ることになるのが、やや心苦しいです。

 イチローは、綾部へ引越して来てから毎日、お酒の配達に行くじぃじ(実家は酒屋です)Photo_2 にくっついてあちこちのお宅を訪ね、みかんやりんごやクッキーなどをもらって帰ってきます。また、周囲には田畑が広がっているので駆け回っていますし、暮れの大雪では、じぃじに”マイ雪かき”を買ってもらい、庭の雪かきをしていました。横須賀では、12月に入って毎夜のように、夜中の2時頃から約1時間ほどひどい咳をして吐いたりしていましたが、こちらに来てピタリと止まりました。三浦半島と比べるとずいぶん寒いですが、毎日、元気にしています。

 それにしても、引越しは大変でした。

 それも、これも、19日が引越しなのに17日まで原稿を書いていたパパローのせいです。当初の予定では14日で仕事が終わるはずでしたが、急に原稿の依頼がありました。最初は断ったのですが、相手がなかなか電話を切らず、仕方なく受けたため、自分の部屋を片付け始めたのが17日の夜。18日にはいろんな手続きもあって、荷づくりを再開したのが夕食後となり、台所の割れ物の梱包に意外に時間がかかりました。

 イチローのものは、15日からママローが一人で荷づくりしてくれて片付いていましたが、引越し前夜の深夜になっても、後回しになったママローの部屋が残っていました。パパローは、当日、横須賀から綾部まで車を運転するので約2時間の仮眠を取っただけで、ママローは完全徹夜となりました。それでも19日の朝9時半、引越し業者がやってきた時には、まだ梱包が終わっていませんでした。大急ぎでダンボールに詰める間にも、荷物の搬出が始まるという慌しさでした。

 搬出も大詰めに近づいた頃、パパローが和室で残りものをダンボールに詰めていると、イチローが一人でバタンとひっくり返り、また起きてはバタンとひっくり返っています。何をしているんだろうと見ると、「おじゃましまんにゃわ」と言いながらひっくり返り、「何、言うとんやー」と叫んでいます。

「イチ、関西弁の練習してんの?」 「うん」

 イチローなりに関西へ引っ越すことを理解して、吉本新喜劇や突っ込みの練習をしていたのでしょう。

 大晦日は、紅白歌合戦の曲に合わせて踊り、じぃじとばぁばに大うけでしたが、まだ「おじゃましまんにゃわ」のギャグは見せていません。おそらく、いとこたちがやってきたら、一発お見舞いするのではないかと思います。

2006年12月 5日 (火)

おー、おー、おー、おー

『おわび』 サッカーの本を一冊書いていたので、しばらくお休みしました。本は、2月中旬に発売予定です。

 イチローが週2回通っている預かり保育では、9月に運動会がありました。イチローの出番は、かけっことお遊戯で、かけっこは、さすがに速かったです。まだ「一番になるぞ」という気持ちがないので、最初はチンタラ走っていましが、いつも砂浜や公園で遊んでいるように、一緒に走ったパパローが後ろから追いかけたら、前を走っていた子をビューンと追い越していきました。

 まあ、かけっこはよかったのですが、問題はお遊戯です。せっかく練習してきたのに、イチローは全く踊ろうとしません。他の子たちは音楽に合わせて体を動かしているのに、立っているだけ。かと思ったら、グラウンドに描かれた白い線のところへタタっと歩いて行ってしゃがみ、石灰を手につけて眺めます。その瞬間、パパローもお遊戯のことなど吹っ飛び、顔がニヤッとしてしまいました。

 白い線は、野球場にたくさん引かれています。甲子園球場に神宮球場、横浜スタジアム、東京ドーム、さらに横浜高校グラウンドとたくさんの野球場へ連れて行きましたので、グラウンドの白い線に興味をもつのも無理はないと思ったのです。だってねぇ、特に甲子園球場の黒土に引かれた白いラインの美しさは、一度見たら、目に焼きついて忘れられませんからね。

 運動会からの帰りの車の中で、イチローに、「どうして踊らなかったの?」と尋ねてみました。すると、意外な答えが返ってきたのです。

「Aちゃんがいなかったから」

 そういえば、入場門でお遊戯の出番待ちをしているとき、イチローのすぐ後ろにAちゃんがいました。イチローが見つけると、すぐにAちゃんに接近。そればかりか、なんとイチローの顔をAち100_2922 ゃんの顔に近づけています。「おい、おい、おい、おい」と思いましたね。そのままチュウするんじゃないかと。Aちゃんも、自分の顔を両手ではさむようにしているし。

二人とも、なんか慣れている。

 その後も、二人で手をつないで体を寄り添い、ニコニコしていました。

「2歳児って、ここまでするのかな」と思いつつも、「うーん、微笑ましい」と思いながら見ていたので、先生から「入場でーす」と声がかかった時にはもう忘れていました。イチローは、ママローと手をつないで入場したのですが、歩いているうちにAちゃんとの間に距離ができ、離れ離れになってしまったのです。でも、イチローは、ずっとAちゃんのことが気になって、踊りどころではなかったのです。

 あれから、三ヵ月。保育園で、イチローの席の隣がAちゃんで、とても仲良くさせてもらっているようです。保育参観のときに見ても、Aちゃんは、すごくかわいいうえに、性格も素直そうだなあと思うぐらいいい子でした。最近は、パパローが保育園へイチローを迎えに行くと、Aちゃんも「バイバーイ」と手を振ってくれるので、両手を広げて振り返しているパパローでした。

2006年10月 3日 (火)

初恋かな?

 イチローが、幼稚園付属の「預かり保育」に通い始めたのは昨年の6月からです。朝、クルマで送って行っても、最初の頃はパパローが帰ろうとすると泣いていましたが、すぐに慣れて、週に2回楽しく通うようになりました。

 100_2153 10月になると、送り迎えのクルマの中でも、家に帰ってからも、「Hちゃん」「Hちゃん」と1人の女の子の名前をよく口にするようになりました。やがて、「イチねぇ、Hちゃん、好きなのー」と毎日のように言い始めました。当時、イチローは、まだ2歳になっていません。こんなに小さくても、女の子を好きになるものでしょうか。パパローに、その頃の記憶は全くありませんが、イチローは、はっきり「Hちゃんが好き」と言っていましたし、彼女以外に「好き」という子もいませんでした。

 その預かり保育では、12月にクリスマス発表会が行われます。イチローも、同じクラスのお友達と「かえるの体操」というお遊戯をすることになっていて(舞台には上がったけれど、ほぼ棒立ちでした)、その日はママローの体調が悪く、パパローだけが見学に行きました。ホールの床に、イチローの一番のお友達のT君と、そのママと一緒に座り、出番を待っていました。

 すると、イチローが「Hちゃん」と言って、T君とは反対の方を見ます。その視線を追うと、その先には、お姫さまのように可愛い女の子が座っていました。偶然にも、Hちゃん一家が私たちの隣に席をとっていたのです。そして、まあ、確かに、すっごく可愛いんです、この子が。

 しばらくして、パパローは、Hちゃんの横に座っていたおばあさんに、

「うちの子が、いつも『Hちゃん、Hちゃん』と言っているんですよ」

と話しかけてみました。すると、おばあさんが「ああ、そうですか」と笑い、Hちゃんに、

「この子、なんていうお名前?」

とイチローを指差しました。ところが、Hちゃんの答えは

「知らなーい」

です。

 ガ~ン!

 パパローは、苦笑しながらも、心の中でイチローに「ドンマイ、ドンマイ」と語りかけています。しかし、Hちゃんは、続けてこうも言ったのです。

「あっちの子は知ってる。T君」

 ガーン ガーン ガーン!

 そりゃあ、確かにね、T君は、太陽のようにあったかい笑顔をもつ男の子ですよ。ホントに優しい顔をしています。それにしても、ですよ。イチローは、名前も覚えてもらっていませんでした。これを「初恋」と言っていいのかわかりませんが、切ないですよねー。イチローも、さぞショックは大きいでしょう。パパローなら、立ち上がる気力も失い、呆然と座り込んでいたかもしれません。

 しかし、イチローは、その後、意外な行動に出ます。正座しているおばあさんのヒザをコチョと触ったのです。おばあさんが、「あらぁ」と言いながら笑います。イチローは、ちょっとおばあさんから離れますが、笑いが収まると、また近づき、ヒザにコチョッと触ったのです。またおばあさんが笑います。その笑いに、Hちゃんが気づいてイチローに興味を示し始めました。

 すると、イチローは、「ジャンプ、ジャンプ」と言いながら、その場ジャンプを始めました。それを3回繰り返すと、Hちゃんが大笑いしました。とにかくウケています。そして、5回目のジャンプをすると、なんとHちゃんも「ジャンプ、ジャンプ」と言いながら、イチローと一緒に、笑いながらその場でジャンプを始めたのです。

 恐るべし、2歳児です。よく、こんな行動が取れるなあと、ただただ感心するばかりでした。

 あれから1年近くがたちます。いまもHちゃんとは、同じクラスです。実は、今日の朝、「今日はHちゃんと遊ぶの」と言って預かり保育へ行きました。イチローの口からは、ずいぶん久しぶりに聞くHちゃんの名前でした。

 今年になってからは、どうやら「Aちゃん」がお気に入りらしいです。そして、先日の運動会で、パパローも、ママローも「エー!」と驚くシーンを見たのでした。

2006年9月 4日 (月)

教室ではけっこう無口

 うちの近所には、定年退職した2人暮らしのご夫婦が多いです。お子さんやお孫さんが離れて暮らしているので、イチローは、たくさんの近所の人たちから、孫のように接してもらっています。道で出会っても、

「イチロー君、いつも大きな声で歌ってるわねー。上手な歌が聞こえてくるわよー」

などと声をかけてもらいます。

 100_1961 イチローは、現在、「どんぐりコロコロ」から「しゃぼん玉」までざっと30曲ぐらいの歌がうたえますが、それらの歌は、幼稚園付属の一時預かり保育で教えてもらった歌です。同い年の友達と遊んだり、親以外の人から誉めてもらったり、叱られたりすることも大切だろうと、週2日、預かり保育に通い始めてから、もう一年になります。

 朝9時から午後2時まで、30人ほどのお友達と、その教室で過ごします。歌をうたったり、粘土遊びをしたり、ブロックで遊んだり。夏の間は水遊びもしました。その間に、おやつとお弁当を食べて、昼寝をして帰ってきます。

 少し前、保育参観があって、ママローと一緒に行ってきました。意外だったのが、イチローが、教室で無口だったことです。たとえば、先生が「これ、なーに?」と尋ねても、何人かは「青ムシー」と元気に答えていましたが、イチローは黙っているうちの一人でした。歌は一緒にうたっていましたが、先生が何か言っても、声をあげたり、大きな笑い声をあげることもありません。まだ2歳、3歳児ですので、なかにはテーブルの上に乗ったり、教室内を歩き回ったりする子もいますが、イチローは、おとなしく座ったままでした。

 家では、大きな声で歌ったり、話をしたりしています。また、じっとしているのが苦痛だというように、いつも走り回っています。だから、教室でのイチローはちょっと信じられないぐらいでしたが、その一方で、パパローの心はジンときていました。というのも、パパローの子供の頃も、授業中は話す方ではなかったからです。その代わり、先生の話をよく聞き、先生の動きをよく見ていました。

 実は、イチローも、教室では先生の動きをよく観察しているようで、家で、先生たちのマネをよくしています。

「さあ、みんな、『どんぐりコロコロ、歌うよー」と言って、オルガン代わりの椅子の前に座り、「ピッ」と言いながら、オルガンのスイッチを入れます。そして、歌をうたい、その途中に、また「ピッ」と言ってオルガンのスイッチを切り、「先生、間違えちゃった、ごめんねー」なんて話したりします。

 また、お友達を前に、「おはようござましゅー」と礼をして、顔を上げる時、指で髪をかきあげて耳にかけたり、「みんなー、この箱をテーブルにドンドンとしたら、バツ、バツだよねー」と、指でペケ印をつくって、お友達の顔を順番に見渡し、目で合図を送っています。

 パパローは、そのイチローの細かい観察ぶりが、とても頼もしく思えます。野球では、打撃フォームも、投球フォームも、ほんのわずかなズレが、パフォーマンスに大きく影響します。調子を崩した時、好調時のフォームをビデオを見て、どこが、どのように違っているのか。細やかな観察眼が問われます。また、相手のちょっとした動きのクセを見抜く能力も、野球では大きな力になります。

 イチローは、毎日、うちでは十分にしゃべっています。だからこそ、教室では、じっくり観察するというのも、バランスが取れていていいのではないかと思うパパローでした。

2006年8月28日 (月)

こりゃまた臭い

 パパローが、6月にはW杯のサッカー、8月には高校野球をしょっちゅうテレビで見ていたら、イチローは、「パパは、野球とサッカーがほんとに好きだねぇ」と言ってから、「パパは、面白いのは面白くないの?」と聞きました。イチローの言う「面白いの」とは、自分の好きな番組のことで、イチローは、自分の面白いと思う番組をパパは面白いとは思わないのかと聞いたのです。

 100_1343 イチローのいちばん好きなテレビ番組は、『おかあさんといっしょ』などNHKの子供向け番組で、ぷーさんやイーヨーの登場するディズニーチャンネルのアニメが2番です。パパローも、たまに見ることがありますが、そうそう付き合ってもいられません。しかし、イチローが3番目に好きな番組は、よく一緒に見ています。それが、ケーブルテレビで放映される『吉本新喜劇』です。

 パパローは、京都の綾部に住んでいた子供の頃から、ほぼ毎週欠かさず、この吉本新喜劇のテレビ放送を見ていました。現在は横須賀に住んでいますが、一週間に一度この番組を見て、自分の中に関西の血が流れていることを確認しています。イチローも、生まれは関東ですが、関西の雰囲気にも触れてほしいと、生後4ヵ月ぐらいから吉本新喜劇を見せていました。また、この番組を見ることで、お笑いのセンスも身に着けてほしいとも思っています。

 こんな親子ですから、普段の生活の中でも、できるだけ「お笑い」を意識しています。たとえば、生後3ヵ月ぐらいからは、パパローがミルクを飲ませる時、哺乳瓶の乳首を口ではなく、いったん鼻に近づけたりもしていました。パパローは、乳首が鼻に近づくのに合わせて、イチローに口を大きく開けてボケ顔をしてほしく、何度も、それを実演してイチローに見せていました。さすがに0歳のイチローにそこまではできず、当時は、ただただキョトンとしているだけでした。それが、2歳になった頃、イチローがパンを食べようとした時、いきなりパンを鼻に近づけて笑ったのです。ビックリしましたねぇ。「やっぱり、あれだけ繰り返して見せておくと、覚えてるもんやなあ」とうれしくなりました。

 また、離乳食を食べるようになると、テーブルの上に足を載せるようになりましたが、しつけのためにも、さすがに注意しなければなりません。しかし、そんな時にも、パパローは、ついつい「赤、上げて。白上げないで、赤下げない」というメロディーに合わせて、「足、上げない」と歌っていました。その後も、イチローがテーブルに足を載せるたびに、「こらこら、足、上げない」と歌ってしまうのです。それで、イチローは素直に足を下ろしていましたし、別に笑うでもなく、注意は注意として聞いているという感じでした。それが先日、両足をテーブルに載せたと思ったら、パパローよりも先に「足、上げない」と歌ったのです。そして、すぐに自分から足を下ろしました。ここしばらくは、パパローの前でテーブルの上に足をあげることもなかったのに、ふと思い出したのでしょうか。お笑いというのは、どんな小さな子供でも、繰り返して見せていると、自然と骨身に染み込んでいるものなのかもしれません。

 こんな毎日を送ってきましたので、2歳9ヵ月になったイチローは、たまにボケることがあります。

「パパー、ウンチ出たぁ。さあ、野球しょっかー。ちがう、ちがう」

「しゃぼん玉の歌、うたうよ。♪しゃぼん玉、飛ばそー あら、終わっちゃったよー」

ママローに「いま何時?」と聞かれて、「うんぢー」

 3歳になったら、下ネタで笑いを取るのは禁止しようと思ってますが、2歳でもボケることができるんですね。新たな発見でした。そして、ボケてでも笑ってもらおうという気持ちは大切にしてほしいと思いましたね。そうすれば、将来、野球部に入っても、ムードメーカーとして貢献できると思うからです。

 そういえば、生後3ヵ月頃にも、吉本新喜劇は、とても気に入っていたようです。他の番組はすぐに飽きるのに、吉本新喜劇だけは30分近くも見ていることができました。生後6ヵ月ぐらいになった頃には、見ながら笑ったり、うれしそうに体を動かしたりすることもありました。

 気に入っているギャグは、内場勝則の「イーーーー」。末成由美の「ごめんやしておくれやしておくれやしや」、井上竜夫の「おじゃましまんにゃわ」、チャーリー浜の「ごめんくさい」「こりゃまた、臭い、ああ臭いです」などです。

 先日、ブッとおならをしたイチローが、すかさず、「こりゃまた臭い」と言ったのには、不覚にも、パパローは大笑いしてしまいました。

 このブログを始めてちょうど4ヵ月で、1000アクセスを超えました。24日(木)の午後4時頃のことです。このブログの存在を知らせているのは、まだごくわずかな方々だけですが、「松井イチロー物語」というタイトルを見てアクセスしてくださる方もいらっしゃるようです。ありがとうございます。今後も、できるだけ長く続けていきたいと思います。よろしくお願いします。

 ただ今、28日(月)の午後6時。イチローは、昼寝というか、夕方寝のまっ最中です。5時頃から近くの公園へバットとボールを持って遊びに行く約束をしていましたが、その前にイチローが寝てしまったので、このブログを書きました。おかげで更新できました。

2006年8月21日 (月)

貴重なお友だち

 指に切り傷をつくっていたパパローが、そこをぶつけた拍子に「痛っ」と声をあげると、一瞬にイチローの表情が変わります。「どうしたの?」「どこ痛いの?」「見せて」と心配そうな顔で尋ねてきます。切り傷を見せながら、「もう大丈夫だよ」というと、「そう、よかった」「気をつけてね」と声をかけてくれます。翌朝、目を覚ましたイチローに「おはよう」と言うと、パパローの顔を見るなり、「パパ、指の痛い痛いは大丈夫?」って。まるでお母さんのように心優しいイチローなのです。

 20060325_dscn2596 こんなイチローとパパローは、近所の公園へよく遊びに行きます。その公園には一人で乗って揺れる遊具があります。地面に設置された台の上から太いバネが伸び、その上にスズメとてんとう虫の形をした座席が付いているのです。そこに乗って体を動かすと、スズメやてんとう虫もゆらゆら揺れるというものです。

 先日、その公園に行くと、幼稚園児と、幼稚園に入る前の姉弟の二人が遊んでいました。弟がスズメに乗っていて、姉は少し離れたところにある滑り台で遊んでいました。それで、イチローが「てんとう虫、乗る」と言いながら走っていくと、弟の方がスズメから下り、「ダメだ、向こう行けっ」と怒鳴るのです。それでもイチローが乗ろうとすると、「ダメだって言ってんだろう」と叫びます。ひるんだイチローは、ちょっとあとずさりした後、公園内を走り始めました。しばらくすると、姉が滑り台からてんとう虫のところへ行って遊んでいました。

 でも、すぐに姉弟とも別の方へ走っていったので、スズメもてんとう虫も空きました。それでイチローがてんとう虫に向かって走っていくと、弟の方も血相を変えて走って来て、またも「ダメだ。向こうへ行け」と怒鳴ります。そして、そのままてんとう虫に座りました。仕方ないので、イチローがスズメの方へ乗ろうとすると、弟は大急ぎでてんとう虫を下り、またまた「向こうへ行け」と怒鳴るのです。しかも両手で突き飛ばすようにしたので、イチローはしばし呆然としていましたが、少し離れたところにある、まったく動かない石のパンダのところまで行って座りました。パンダは揺れないので、その背中にまたがり自分で揺れています。

 おそらくママローとこの公園に来ていたら、すぐに公園を出て行ったことでしょう。実際、すぐ後に幼稚園児の女の子を連れてきたお父さんは、娘が「向こうへ行け」と怒鳴られたので、「この公園はダメだ」と言いながら帰っていきました。

 しかし、パパローは、こんな姉弟も、とても貴重な存在だと思うのです。将来、イチローがどこかの野球チームに所属すれば、どんな子がチームメイトになるかわかりません。心優しい子、漫才師のように面白い子、リーダーシップを取れるようにしっかりした子もいるでしょうが、どんな凶暴な子がいるかわからないし、底意地の悪い子がいるかもしれません。でも、そういう中でもたくましく成長していくためには、2歳ぐらいからのこういう体験が、とても貴重だと思うのです。

 大きな泣き声がするので振り返ると、姉に叩かれた弟が泣いています。それを見て、イチローも二人の方へ近づいていきました。姉は何食わぬ顔でスズメに乗って揺れ始めました。てんとう虫が空いています。イチローは、そろそろとてんとう虫に歩みよります。弟は、まだ泣いています。イチローは、そっとてんとう虫に手をかけ、弟の顔色を見ながらてんとう虫に乗りました。てんとう虫が、ゆっくりと揺れ始めました。やがて、てんとう虫は、いつもよりゆわーん、ゆわーんと大きく揺れているようでした。

 パパローは、イチローに「今日はいい体験になったねぇ」と言いながら、あの姉弟に感謝しながら夕暮れの中、ママローの待つ家路についたのでした。

2006年8月 7日 (月)

ちっこのうんちっちー

 パパローが取材から帰ってきて、すぐに部屋にこもっていると、イチローが「パパは?」とママローに聞いています。「お部屋でお仕事」と答えると、「えー、またお仕事ぉ」と吠えました。そして、ダダダダダと階段を上げってきて、パパローの部屋まで来ると、

「パパぁ、お仕事頑張ってね」

 2歳なのに、とっても人間のできているイチローなのでした。でも、その行動がよくわからないこともたまにあります。

 100_2655 イチローと久里浜の港に行った時、波打ち際で2人の女子高生が、ソックスと靴を脱ぎ、制服のまま足首まで海につかって遊んでいました。まあ、あんまり凝視しては、いけないステュエーションではあります。7月の太陽がキラキラと照りつけ、まぶしいぐらいでもありました。平日の昼下がりで、数人のおじさんたちがいましたが、誰もが見てみぬ振りをしているという感じでした。

 パパローも、遠く千葉の山並みや沖を行く船を眺めたりしていました。その時、ふと頭をよぎったのは、「イチは、どこへ行った?」ということでした。恐る恐る視線を移してみると、何と、女子高生たちに向って一直線に走っているではありませんか。声を出して呼び止めることもできず、パパローは呆然と眺めているだけでした。イチローは近くまで走っていくと、体をクネクネさせながら近づいたり、離れたりしています。「クレヨンしんちゃんか」と思いましたね。すると、女子高生が「かわいいー」と言って相手してくれて、携帯電話の画面を見せてもらったりしています。

「おーい、早く帰ってこーい」

なんて、とても声がかけられませんから、パパローはチラチラと見ながら、心の中で「早く戻ってこいよ」と待っているだけでした。やがて、満足そうな顔で、イチローが帰ってきました。「ねぇ、携帯で何見せてもらったの」「お姉さんたち、何て言ってたの」と質問攻めにするパパローに、イチローは「パパ、お腹空いた」と答えたのでした。

 その数日後、近所の公園のスベリ台で遊んでいると、滑り終えたイチローが、ダダダダダダと階段の方へ走っていきます。「何ごとか」と後を追うと、その階段を2人の女子高生が上がってきたのでした。浜辺の女子高生とは別人でしたが、何という嗅覚。いまだに、イチローが女子高生がやってくることに、なぜ気づいたか、パパローには不明です。

 というように、公園でも、野球場でも、どこへ行っても、女の子がいれば、近づいてみなければ気がすまいイチロー君なのです。

 先日は、公園で遊んでいると、小学校3,4年生ぐらいの女の子たち6人で、かくれんぼを始めした。かくれんぼのことを「ポコペン」というそうですが、イチローは、これに勝手に参加しました。女の子の中、1人幼稚園児の年少ぐらいの子がいて、小学生が1人、その子と一緒に行動していました。

「隠れるよ」と小学生が言うと、イチローも、「隠れるー」と言いながら、一緒についていくのです。そして、その小学生と幼稚園児が見つかると、イチローも、飛びはねながら出てきます。でも、ものの数には入っておらず、しかも、浮かれると、イチローが「ちっこのうんちっちー」と絶叫するので、やや引かれています。最近、イチローが気に入っているフレーズが、この「ちっこのうんちっちー」なんです。それでも小学生たちは「まあ、勝手にどうぞ」という感じで遊ばしてくれました。イチローは、ルールを知っているとは思えませんが、決して邪魔をせず、楽しそうに参加していました。

 10回もかくれんぼを繰り返すと、1人の小学生が、「もう飽きたー」といいました。すると、もう1人が「おわりー」と大きな声で言いました。すると、イチローが、「えー、もう終わるのー」と言ったのです。大爆笑の後、イチローのために、小学生たちはもう一回だけポコペンをしてくれたのでした。

 とてもマネできないと、パパローは、イチローの才能に感心するばかりでした。

2006年7月31日 (月)

キャッチボール

 イチローと初めてボールコロコロをして以来、毎日のように遊びました。イチローに向ってボールをコロコロと転がすと、イチローは決まって右手でボールに触ろうとします。そして、そのまま右手でボールをつかみ、その手をシュッと振ってボールをこちらに返してくるのです。

「イチは、右利きなんだなあ」

 Photo          そう思うと、パパローは大きくうなずいていました。利き手が右か、左か。これは、野球選手にとって大きなことです。たとえば、左利きのピッチャーは、数が少ないので貴重な存在ですが、左利きはキャッチャー、セカンド、サード、ショートには不向きで、守るポジションが限られます。といっても、利き手は持ってうまれたものなので、それに従うしかありません。

「よっしゃー、右利きのいい選手になろうな」

 パパローは、イチローにそう語りかけていました。

 イチローが立ち上がり、歩くようになると、部屋でボールを投げさせてみました。パパローがゆっくり投げて、イチローの前にボールを転がす。イチローがそれを拾って、投げ返す。いたって単純な遊びですが、パパローはイチローに向ってボールを投げるたび、けっこう緊張しています。イチローが、その投げ方を真似るからです。

 イチローは、本能でボールを投げているわけではありません。目の前にいるパパローの投げ方を真似ることで、ボールを投げることを覚えます。たとえば、パソコンに向って仕事するパパローの姿を見ては、よくブラインドタッチの真似をしていました。ある時には、パパローが席を立ったスキにキーボードにさわり、原稿の続きに「jjjjjjjjjjj」と「j」をズラッと並べたこともあります。ボールを投げる時にも、当然パパローの真似をします。そして、その投げ方は、野球選手にとってとても大切なことです。

 現実に、こんなことがありました。数年前、ある高校のピッチャーが、140キロ以上の速球を投げるとスポーツ新聞で大きく取り上げられました。その高校が秋の関東大会に進出すると、会場にはプロのスカウトが何人も集まりました。いよいよ試合が始まり、そのピッチャーがマウンドに上がります。投球練習を開始しました。わずか1球投げた時、スカウトたちの間から「あー」とため息が漏れました。2球目を投げると、パパローのすぐ近くにいた読売ジャイアンツのスカウトは手帳をバックにしまいました。そして。3球目を投げた後には持参の新聞を読み始め、もうそのピッチャーのことは見てはいませんでした。実は、そのピッチャーはアーム式という投げ方だったのです。腕がムチのようにしならず、まるで一本の硬い棒のように振られる投げ方で、肩への負担が大きく、故障の確率の高いといわれています。

 パパローは、イチローに向ってボールを投げる時、いつも福岡ダイエーホークスの和田毅投手の投げ方を意識していました。和田投手は、腕がムチのようにしなり、とても柔らかな投げ方をしています。そして、

「和田君の投げ方を見習ってねぇ」

と、いつも心の中でささやいていました。和田投手になりきるので、本来は右利きのパパローも、この時ばかりは左で投げます。イチローが、それにつられて左手で投げるようにならないかとも思いましたが、さすがに、それはありませんでした。

 イチローは、すぐにボール投げを気に入り、楽しそうに遊んでいました。しかし、少しでも投げ方がおかしくなると、ボール投げは中止です。変な癖をつけたくないからです。一時期は、3球投げるとヒジが下がったり、腕の振り方がおかしくなるので、「3球限定」にしていたこともあります。

 で、その後、イチローの投げ方が和田投手のようになったか? といえば、残念ながら、それはないようです。むしろ、西武ライオンズの松坂大輔投手の方に似ていると思えるのです。まあ、それはそれで全く文句のないパパローでした。

 イチローは、今年の7月5日に、ふわふわボールを使ってですが、2歳7ヵ月でちゃんとキャッチしてパパローに投げ返すという本当のキャッチボールができるようになりました。息子との間に描かれるボールの放物線というのは、なかなかいいものです。

 

2006年7月24日 (月)

初めてのボールコロコロ

 イチローと初めて「ボールコロコロ」をして遊んだのは、一昨年の5月12日、イチローが生後6ヵ月になったばかりの頃でした。その3ヶ月前には、手で支えてやると座れるようになっていましたが、その2日前、ようやく一人だけで座れるようになったのでした。

 以前から、パパローはイチローに、

「一人で座れるようになったら、ボールコロコロして遊ぼうね」

と話していました。野球好きのお父さんにとって、親子でするキャッチボールは最高の幸せと聞きますが、イチローがキャッチボールをできるようになるまでなんて、とても待てません。イチローが一人で座わり、向かい合ってボールをコロコロ遊びができる日をパパローは心待ちにしていたのでした。

 100_1050 床にイチローを座らせ、1mほど離れたところにパパローも座ります。そして、「イチ、行くよう」と言って、ふわふわのボールをコロコロと転がしました。ボールは座っているイチローの脚の間へ転がっていきました。イチローがケラケラ笑いました。

「そのボールを取って、こっちにコロコロっと転がして」

 身振り、手振りを交えながらパパローが言うと、イチローはボールに右手をかぶせるようにつかむと、そのまま手をシュッと振りました。すると、ボールはイチローのお腹にぶつかってから脚に当たると、なんとパパローに向ってコロコロと転がってきたのでした。

「うわぁ、ちゃんと向ってくるよ」

 幸せでしたねぇ。コロコロと向ってくるボールには、イチローの気持ちが込められています。パパローが転がしたボールをイチローが返してくる。初めて二人の間で、気持ちが通じ合ったように思いました。

 もちろん、その頃には、あやせば笑うようになってしましたし、泣いているイチローを抱っこすれば、すぐに泣き止むこともあります。そういう時には、「ああ、安心なんだなあ」と思えたし、ミルクを作ってやれば、「ガルル」と赤ちゃんライオンがむしゃぶりつくように飲み始めるも、「ああ、待ってたんだなあ」とは思えました。お腹が空いたと泣いていても、「ミルク作るから待っとけぇ」と言うと、ちゃんと泣き止んだこともありました。

 でも、そういう喜びと同じぐらい、生まれてから6ヵ月の間には、気持ちが通じてないなと思うことが何度もありました。火のついたように泣き出すと、どんな言葉をかけても泣きやまないし、なんで泣いているのかさっぱりわからないこともありました。お腹が空いたと泣き出したから、仕事の手を止めてミルクを作っても「どうも」の一言があるわけではありませんし、お風呂で頭を洗いながら、「お客さま、かゆいところはございませんか」と尋ねても答えない。「おむつを替えようね」とおむつを脱がせたら、シャーとおしっこはするし。ウチでは、これを「第1号ソロアーチ」、「第2号満塁ホームラン」と呼んでいましたが、こういうことが重なると、こちらの気持ちも、だんだん重くなってきます。

 しかし、目の前をコロコロと向ってくるボールは、間違いなく、イチロー自身がパパローに向けて発したものです。そして、笑い声や泣き声、「あー」というような声とまた違って、その存在が目にはっきりと見えることが、現実としてより実感できたのでした。

 イチローとボールで遊び始めたのは、生後三ヵ月頃からでした。最初はゴムボールを見せながら「イチが生まれてきた世の中には、ボールというのがあるんだよ。そのボールは丸い形をしているよ。丸いから、コロコロと転がるんだよ」などと話すことからでした。ボールに手を触らせたり、ほっぺにくっつけたり、毎日少しずつボールに触れさせました。やがて寝ているイチローの近くでボールをコロコロと転がし、「転がるっていうのは、こういうのをいうんだよ」とも話していました。それから、30センチぐらいのところからお腹の上にボールを落とせば、ゲラゲラ、ゲラゲラと大笑いするようにもなりました。イチローと向い合ってボールコロコロ遊びをするようになったのは、その後のことです。

 ボールコロコロ遊びは、その後、毎日のように続けました。翌日は、よそ見しているイチローに「どこ見とん?」と尋ねると、「へ」と応えました。これが、パパローとイチローの間で、初めて交わした「会話」でした。

 それにしても不思議だったのは、イチローが座ったまま、シュッと手を振って転がすボールが、たいてい、パパローのところに向ってきたことでした。お腹に当たったり、脚に当たったり、ときには近くのベッドや椅子にぶつかったりしながら、ちゃんとパパローに向ってくるのです。

「イチローは、野球の神様に愛されているのかもしれないな」

 パパローは、密かにそう思ったのでした。

2006年7月11日 (火)

サッカーは左利き

 イタリアの優勝で幕を閉じたW杯ドイツ大会のテレビ中継は、時差の関係で、どれも日本の真夜中。イチローの寝ている間に、大会が終わってしまいました。パパローにとっては、ゆっくり見られてよかったですが。

 ふだん、パパローがサッカー中継を見ていると、イチローは、

100_2705_1 「サッカー、いらなーい」とぐずる時の方が多いです。でも、たまには、体がムズムズするのか、小さめのサッカーボールをもってきてテレビの前で蹴ることもあります。名前は「松井一朗」ですが、”サッカー禁止”というわけではありません。ヨチヨチ歩きで、「キック」のことを「チック、チック」と言っていた頃から、部屋でビーチボールを蹴っていましたし、椅子やおもちゃをゴールに見立てPKの真似もしていました。ゴールに入れば、パパローやママローとハイタッチをして、外れれば「ダメダメダメ」と叫びながら、急いでボールを蹴り位置にセットしていました。

 イチローは、野球は右投げ、右打ちですが、ボールを蹴るのは左利きです。教えたわけでもないのに、自然に左足でボールを蹴っていました。そうかと思えば、公園にサッカーボールをもっていった時には、両足をつかいながらドリブルして遊びます。しかも、公園の端から端までよく走るんですよ。「走れ、走れ」がモットーの次期日本代表監督オシムさんにも気に入ってもらえるんじゃないかと思うほどです。

 しかし、遊びの中心は、やはり野球です。ボールを投げたり、打ったりは、ほぼ毎日のようにしていますが、ボールを蹴ることは、たまにしかしません。また、よく一人で部屋の壁に向かい、ボールを投げて遊んでいますが、壁に向ってボールを蹴ることはありません。

 ところが、先日、パパローをドキリとさせる行動に出ました。近くの公園では月曜日の夕方、幼稚園児のサッカースクールが行われています。その日、たまたま公園を通りかかったら、若いコーチが一人で準備をしていました。すると、イチローは、そのコーチのところへタッタッタと走って行って、

「イチ、サッカーしたい」

と話したのです。思わず、絶句でした。

 コーチは、「パパに聞いてごらん」と答えています。とっさに「サッカーもいいですよねー」と口は動きましたが、頭の中はパニックでした。実は、イチローが1歳すぎの一年前には、よくサッカースクールを見に来ていました。が、イチローがお揃いのユニフォームで練習する幼稚園児の中ヘ入って行き、ボールまで奪おうとするので避けるようになっていたのです。その日は、たまたま通りかかったのですが、父親をすっ飛ばして、コーチに直訴するとは思いもしませんでした。

 しかし、2歳児とはいえ、最近は、自分の気持ちや意見を言えるようになってきています。週に2回、預かり保育に通っていますが、先日も、「お弁当のおにぎり、おっきのにしてくれる。小さいのじゃなくて。イチ、もう大きくなったから」とはっきり要望を口にして、パパローとママローを驚かせていました。ですから、いつか、

「サッカーがしたい」

と言う日が来るかもしれないと思うと、ちょっと複雑な気持ちになります。パパローは、サッカーの取材もしますから、「塁」という名前のサッカー選手がいることを知っています。おそらく、「将来は野球選手になってほしい」と名づけられたのだと思いますし、フランスのルマンで活躍する松井大輔選手も、年代的に、ご両親は、甲子園のヒーローだった荒木大輔さんを念頭に置いて命名されたはずです。親の気持ちとは違い、「松井一朗」というサッカー選手が誕生しても不思議はありません。

 もちろん、パパローも、最終的にはイチローの選択だと思っています。もしイチローが「サッカーがしたい」といえば、「どうして?」と聞いて、その理由に納得したら、「いいよ」と答えるでしょう。ですから、間違っても「たいき君もサッカーだし」というような安易な理由では、「ダメダメダメ」です。

 ただし、週2回通う預かり保育には、「カルロス君」といういかにもサッカー少年になりそうな名前のお友達がいます。「野球よりサッカーの方が競技人口が多いでしょう。世界中の人と、サッカーを通して触れ合いたいんだよ」なんて言われたら……。そう考えると、少し顔のひきつるパパローです。

2006年6月26日 (月)

城島選手にはなれず……

 シアトル・マリナーズの城島健司捕手は、幼い頃からお父さんに鍛えられてきたそうですが、そのお父さんは、城島捕手に中学生ぐらいまで水泳をさせていたといいます。運動能力が抜群に高かっただけに、オリンピックを目指す強化コースに入らないかと誘われたこともあったようです。しかし、水泳は、あくまで体を鍛えるための補助的練習でした。

 実は、パパローも、イチローを地元のプールに連れていったことがあります。05年9月、イチローが1歳10ヵ月の頃です。水泳は全身運動ですし、地面や床を踏ん張る必要もありません。水泳は、全身の筋肉をバランスよく、かつ、柔軟に鍛えるのにちょうどいいトレーニングになると思っていたからでした。城島捕手の話を聞いた時も、大いに納得しました。

 100_2322 その年の夏は、毎日のように、夕方から三浦海岸へ行き、波打ち際で遊んでいました。パパローに抱っこされて海に入ったこともあります。プールに連れていった時、イチローは、すでに水を怖がらなくなっていました。すぐに幼児用プールの中を走りまわったり、ビート板でパチャパチャしたり、滑り台で遊んだり、イチローは水遊びがとても楽しかったようです。マンションから転落して重症を負った俳優のKさん一家と一緒になったこともあります。ちょうどお子さんがイチローと同い年で、楽しく遊ばせてもらいました。週に2度、1時間のプール遊びはアッという間に過ぎました。

 また、プール遊び後、ロビーで休んでいたら、更衣室から出てきた3人の女子高生が、「かわいい~」と言いながら、イチローに近づいてきたこともありました。そのうちの一人がしゃがみ、「おいで」と両手を広げると、イチローは吸い込まれるように走っていきました。

「おいおいおいおい」

と心の中で叫ぶパパローの存在など無視して、女子高生の胸に飛び込んでいきます。

「知らない人に誘われちゃ、ダメ、ダメ」

 これまた、心の中で叫ぶパパローの存在など忘れ、イチローはニコニコしています。「いくつ?」とか、「プール好き?」とか聞かれていますが、当時のイチローは、まだ質問に答えることはできません。ニコニコしているだけです。

 パパローは、「パパと一緒に来たの?」とか、「パパはどこ?」と質問されないかなと思って耳をそばだてていましたが、女子高生は、そんなオジさんには全く関心がないようで、やがてイチローを下ろし、「バイバイ」と手を振っています。すると、イチローはロービーの長椅子に上体を預け、「うーん、うーん」とお尻を振っているではありませんか。思わず、「誰に似たんだ」と思いましたね。まあ、「パパは、あの人?」なんて指差されていたら、親子でお尻を振ってたかもしれませんが。

 そんなこともあったりして、イチローは、すっかりプールが大好きになりました。1ヵ月も通うと、ピールの床に手をついてハイハイのように進むようになったし、プールの近くを車で通ると、「パパ、プール行くの?」とか、「プールは?」と尋ねるようにもなっていました。パパローも、このままプールに通い続ければ、いいトレーニングになると期待しました。しかし、2ヵ月目の途中でプールには行かなくなりました。理由は、プールが、パパローの性格に合わなかったとしか言いようがありません。

 プールに通っていたのは、平日の午後です。ですから、幼児用プールは、たいてい空いていました。しかし、そこでビニールのボールをつかって遊んでいると、監視員が飛んできて、「ボール遊びは、他の人に危険なので禁止されています」と言いました。といって、2人の周りには誰もいませんでした。また、イチローが滑り台を歩いて上がっていると、すかさず監視員がやってきて、「滑り台を逆走してはいけません」と言いました。それをきっかけに、パパローは、監視員の視線がとても気になるようになったのです。

 パパローは、子供の頃から監視されるとか、拘束されるというのが大嫌いです。しかし、どこのプールにも、必ず監視員がいます。人命にかかわることなので、それは仕方ないことですが、そういう場に身をおくことが苦痛になってきました。

 パパローの気持ちは、すぐにイチローに伝わります。楽しくないのか、幼児用プールを出て、あちこち歩き回るようになりました。パパローは、とりあえず後についていきますが、やる気もありません。「あっ、危ない」と思った時には、すでに遅く、イチローが大人用プールの側で足を踏み外し、ドボンと落ちてしまいました。ゴボゴボと沈みます。パパローが、

「どのあたりまで沈むかな」

と見ていたら、50センチほど沈み、今度はグワーンと上昇してきました。子供が水中に落ちても10秒間は大丈夫というのを知っていたので、パパローは落ち着いていたのです。プールに入って抱き上げた時には、落ちてから5秒ぐらいしか経っていませんでした。それでも監視員が控え室からも飛び出してきて、2人の周りを取り囲んでいました。

 イチローは、びっくりしたようでしたが、泣きはしませんでした。パパローは、

「強いなあ」

と心の中で感心しながら、その一方で、監視員たちに、

「すみません。大丈夫です」

と頭を下げていました。同時に、心の中では、

「もうプールに来ることはないな」

と思っていたのでした。城島健司にはなれませんでしたが、マリナーズのイチローがプールに行ったとは聞いていません。やっぱり、浮気はしちゃいけないなというのが教訓でしょうか。

 その後、プールの近くをクルマで通ると、イチローは、

「プールは行かないの?」

に続いて、

「イチ、プール、落ちたよね」

と、しばらくの間、昔話をするように話しかけていました。

2006年6月20日 (火)

筋トレに励む2歳のイチロー

 イチローのおやつは、10時と3時という約束になっています。でも、午前は9時半頃になると、子供用の折りたたみ椅子を抱えたイチローが、ダダダダダダダーとキッチンへ走っていきます。そして、椅子に乗り、三段チェストの最上段からアンパンマンラムネ、キャンディ、ビスケットなど気に入ったおやつを選びます。それをリビングのテーブルの上に並べて、10時になるのを待っています。

 イチローとは、外から帰ったら、手を洗う約束もしています。玄関でクツを脱ぐと、やはり折りたたみの椅子を抱えてタタタと洗面所へ行きます。そして、その椅子に乗って、手をちょこちょこっと洗います。また、パパローやママローがキッチンで料理を作り始めても、イチローは折りたたみ椅子をもってタッ、タッ、タッと走ってきます。その上に乗り、「そのお肉、どうするの?」「トマト、切るの? イチ、トマトだーい好き」などと言いながら見ています。たまには、「ピーマン、食べないッ」と機嫌をそこねたりもしますが…。

 100_0201 2歳7ヵ月のイチローは、毎日、折りたたみ椅子を抱えて、家の中を走り回っています。その椅子の重さは、約3キロ。これが、イチローの筋肉トレーニングです。すでに1年近く続けています。

 その前は、半分ほど水を入れた2リットル入りペットボトル(水の量によって1・5~2キロ)を抱えて歩いていました。ヨチヨチ歩きの頃は、「枕、ちょうだい」というパパローに、そば殻の枕(約1キロ)をヨロヨロしながら運んでいました。これらも、イチローにとってはすべて筋トレで、イチローの筋トレ歴は、すでに2年近くになります。

 野球選手として、ピッチャーの投げるボールを打ち返すには、それに負けない筋力を必要とします。また、ボールをできるだけ遠くへ飛ばそうとすると、強い筋肉が欠かせません。しかし、いくら筋力がついても、その筋肉に柔軟性がなければ、バットを思うようには振れません。筋肉が、自分の思うように動いてくれないからです。野球界では、中学生や高校生ぐらいから、マシーンをつかった筋トレが行われていますが、高校時代に並外れたパワーで注目されても、大学やプロに進むと力を発揮できない選手には、筋トレで無駄な筋肉をつけたり、筋肉を硬くしてしまったケースが少なくありません。

 そこで、イチローには、小さい頃から「自然な形」で筋肉を強くしてほしいと思いました。「自然な形」というのは、生活の中で行う動作によって、ということです。つまり、何かを持ったり、抱えたりすることを繰り返すことで、自然に筋肉を強くしてほしいということです。だから、折りたたみ椅子を抱えて走ることが、イチローにとっての筋トレになると考えたのです。

 また、同じように筋トレをしても、効果の上がる人と、そうでない人がいます。たとえば、マリナーズのイチローも、マシーンによる筋トレをしていますが、成功例です。読売ジャイアンツの小久保裕紀選手も、青山学院時代に、バッターとして急成長したのは、筋トレを取り入れたからでした。逆に、オリックス・バファローズの清原和博選手は、ジャイアンツ時代に筋トレをすることで丸太のような腕になりましたが、成績は下がりました。

 その境目は、体の前側か、後ろ側かにあると、パパローは考えています。同じように筋トレをしても、胸や腹筋といった体の前側の筋肉を鍛えすぎると、かえって動きのキレが鈍くなります。反対に、体の後ろ側をしっかり鍛えると、キレ、パワーともアップします。イヌやネコといった動物のお腹は、とても柔らかく、背中の方がよく鍛えられています。それこそが、動物本来の姿なのです。人間も、同じです。

 しかし、鏡に、ムキムキとなった自分の姿を映してうっとりできるのは、体の前側です。また、胸や腹筋を鍛える方がストレスが強いので、「オレ、頑張っているなあ」とか、「この苦しみに耐えてこそ未来があるんだ」とか、錯覚しやすいのです。実際、イチローは、背中の筋肉がしっかり鍛えられていますし、ハンマー投げの室伏広治のように、オリンピックの個人種目でメダルを取るような超一流選手たちには、体の後ろ側をしっかり鍛えることが常識となっています。

100_0890  そのために重要なことは、背中が、顕在的にも、潜在的にもしっかり意識されていることです。長嶋さんの現役時代は、つねに背中を鏡に映して、ユニフォームの着こなしをチェックしていたと聞いたことがあります。

 といって、うちのイチローに「背中を意識して」と言っても無理ですから、その代わり、させてきたのが、生後2日目からうつ伏せで遊ばせることでした。動物と同じように腹ばいになって遊ぶことで、自然に背中の意識が強くなり、枕を抱えたり、椅子を抱えたりしても、背中の筋肉を使うようになるのではと思ったからです。

 ただし、最近は、うつぶせ寝をさせると、突然死する危険性があると言われています。そのため、イチローが生まれたときにも、いつうつ伏せにさせたらいいのかなあと悩みましたが、それが解決したのは、なんと誕生の翌日でした。なんでも、飲ませたビタミンK2を吐いてしまったそうで、パパローが病院へ行くと、イチローはうつ伏せにされていました。そして、首を持ち上げ、顔を動かせてました。「なんと、まあ、たくましい」と感激して、それから、毎日少しずつうつ伏せにして遊ばせてきました。

 現在、椅子を抱えて走り回っているイチローは、しっかり背中の筋肉が鍛えられています。そして、ママローが「もう、力負けするわ」というぐらいたくましく育っています。

2006年6月13日 (火)

骨太プロジェクト

 ママローの妊娠がわかったとき、パパローが真っ先にしたのは、『初めての妊娠・出産・育児』(ナツメ社)という本を読むことでした。子供ができるというのは、初めての体験でしたし、妻が妊娠したといっても、母体の中でどんなことが起こっているのか、ほとんど知りませんでした。身重の妻にどう対応すればいいのか知るうえでも、まず、基礎知識を頭に叩き込んでおくことが必要だと思ったのでした。

 その本を読んで、ピピンと来たことがいくつかありました。その一つが、「妊娠三ヵ月頃、頭と胴、手足がはっきりしてきて三頭身になってきます」と書いてあることでした。同時に、この頃には、手や足の指がはっきりと分かれるとも書いてありました。それを読んで、

「そうか、そうか。じゃあ、妊娠三ヵ月頃から始めなきゃ」

と思ったのです。始めたのは、「わが子の骨太プロジェクト」でした。

 人間は「体が資本」といいますが、野球選手は、まさにそうです。実際、類まれな野球センスに恵まれながら、身体の故障で野球人生を棒に振る選手はたくさんいます。高校や大学野球も取材しているパパローは、過去に、そういうケースをたくさん見てきました。反対に、メジャーリーグや日本のプロ野球で生き残る選手たちというのは、例外なくたくましくて、強い体をもっています。

 では100_0837、「強い体」とは、どんな体かといえば、パパローは、まず、骨が丈夫なことだと考えています。「骨格」「骨組み」という言葉があるように、骨は、強い体を作る大本だと思っています。また、「骨のあるヤツ」「骨太の人間」「気骨のある人」という言葉もあるように、骨の丈夫な人間は、芯のしっかりした人間にも育ちやすいということでしょうか。そして、その骨は、どうやら、頭や胴、手足のはっきりする妊娠三ヵ月頃から作られていくらしい。ということは、わが子を骨太にする準備も、その頃から始めることができるということです。

 骨を丈夫にするのは、何といってもカルシウムの摂取です。当時、胎児は、男の子か、女の子なのか、まだわかりませんが、男の子なら野球、女の子ならサッカーをしてほしいと思っていました。さっそく妻に話をして骨太プロジェクトが始まりました。

 妊娠三ヵ月といえば、つわりのひどい時期でもあります。妊婦さんによっては、食べる量がガクンと減る人もいるようですが、妻の場合は、いわゆる「食べづわり」でした。食べずにはいられないというもので、骨太プロジェクトにとっては、なんとナイスな体質なんでしょうか。しかも、子供の頃から小魚や牛乳、チーズ、大豆、海藻などカルシウムの吸収率の高い食べ物が大好きでした。ホントにせっせ、せっせと、毎日、カルシウム食品を食べていました。ちなみに、髪の毛が生え始める妊娠五ヵ月頃からは、毎日のようにヒジキも食べていましたが、ママローのそういう努力の甲斐もあって、イチローは、とても骨太で、抱くとずっしりと重い赤ちゃんでした。

 その後、イチローはミルクで育ちましたが、離乳食の頃からは、また、しらすやミルクがゆなどを作って骨太プロジェクトを再開させました。イチローは、市販の離乳食を食べさせても、吐き出していました。手作りの離乳食で、しかも、おいしくないと食べませんでした。当時、作る側としてはなかなか大変でしたが、骨太プロジェクトにとっては、これまた、なんとナイスな赤ちゃんだったのでしょうか。そのせいか、2歳7ヵ月になる現在も、カルシウム食品が大好きで、ほぼ毎日、しらす、牛乳、ヨーグルトを食べています。週2回の預かり保育にもっていくお弁当も、たいていしらすのおにぎりで、小腹が空いたときには、スルメやコンブを噛んでいます。もちろん、ビスケットや飴、アイスクリームといったおやつも大好きですが、カルシウム食品は、毎日欠かせません。

 生後2歳7ヵ月で、骨太プロジェクトは、すでに3年2ヵ月が経過。これからも、しっかり骨太プロジェクトを進め、骨の髄から丈夫な人間に育ってほしいと思っています。

 長嶋茂雄や王貞治といった偉大な選手はもちろん、上原投手や城島捕手など野球選手として大成した人たちは、決まって、「丈夫な体に生んでくれた親に感謝したい」と発言しています。イチローも、そう言える日が来ればいいなあと思います。

 

2006年6月 5日 (月)

応援しなぁーい……

 今年の春も、イチローとパパローは神宮球場へ早稲田大学の試合を見に行きました。イチローが、初めて学生席で応援したのは、4月24日の対明治大学戦のことでした。もう2歳半になっており、チアリーダーに突進することもありません。その日、イチローが学生応援席に近づいていくと、多くの学生たちから声をかけてもらいました。

 パパローは、少し離れた席から試合を見ながら、時々イチローの姿を追います。初めのうちは、WBCを取材したパパローが、アメリカで買ってきた「JAPAN ICHIRO 51」のユニフォームを着ていたことで話かけてもらっているようでした。受け容れてもらったと感じたのか、イチローは、早稲田の応援曲に合わせて踊り始めました。

 100_1932 イチローは、生後一ヵ月頃から、パパローの携帯電話にダウンロートしてあるコンバートマーチを聴いて育っています。と同時に、♪タッタター タタタタ わせだー というメロディーに合わせ、応援団の振り付けも練習していました。1歳半からは応援歌の『紺碧の空』にも親しみ、まるでチアリーダーのように踊っていました。

 応援音楽に合わせて踊るイチローに、学生服を着た応援団員の男性が面と向ってしゃがみ、一緒に振りをしてくれます。さすがにこれには一歩、二歩と後ずさりしていましたが、同じことをチアリーダーにしてもらうと、顔を輝かせて三歩前進しています。そういうところがますます学生に大受けで、チアリーダーも、イチローの間近にまで迫ってポンポンを振ってくれています。まるでイチロー専属のチアリーダーみたいです。うらや……。いや、パパローも試合どころではありません。出来れば、代わって……。いやいや、イチローは、紙製のメガホンまで持たせてもらって大喜びです。

 やがて、イチローの居場所は一人のチアリーダーの横になりました。彼女が席に座ると、イチローも、その隣の席に座ります。彼女が立って踊りを始めると、イチローも立って踊ります。横一列に並んだチアリーダーの端に、イチローも加わっていたのでした。立って応援する時には、チアリーダーたちと同じように、イチローもグラウンドに背を向け、応援する学生たちの方を向きます。そんな様子が、一般学生たちにも受けているようでした。翌日、声はガラガラにかれていましたが、本当に楽しい時間を過ごせたのでした。

 次に、神宮球場へ行ったのは、3週間後の5月15日の対法政大学戦でした。その間、イチローは、自宅で毎日のようにメガホン片手に『紺碧の空』を歌っていました。その日も、メガホンをリュックに入れ、

「早稲田の応援するの」

と張り切って出かけました。そして、ONYのおにぎりでの腹ごしらえもそこそこに、前回と同じようにイチローのユニフォームを着て、いそいそと早稲田大学の応援席に近づいていきました。

 ところが、前回とは、ちょっと雰囲気が違っていました。リーグ戦も大詰めを向かえ、しかも、対戦相手は優勝を争う法政大学。応援席にも、子供の相手をしている余裕はなかったのかもしれません。手を振ったり、声をかけてくれる一般学生はいましたが、チアリーダーも、応援団も、前回のように相手はしてくれません。前回、隣にいてお世話してくれたチアリーダーも、この日はどこにいるのかわかりませんでした。逆に、応援席の中の方まで入ってしまったイチローは、外へ連れ出されてしまいました。

 遠目からも、しょんぼりしているのがわかります。トボトボと歩いて、パパローの席まで帰ってきました。

「抱っこー、抱っこー」

 すぐに甘えてきました。おそらく、生まれて初めて体験する「疎外感」だったと思います。一緒に応援したかったのに、前回のようには受け容れてもらえなかった。子供は、そういう雰囲気に敏感です。イチローも、それを肌で感じ取っているのです。でも、どうすることもできません。

「もう一度、行っておいで」「行かなーい」「応援したいでしょ」「応援しなぁーい」

 イチローの目から涙がこぼれてきました。

「応援しないもん…」

 しばらく涙が止まりませんでした。客席の上の方へ行き、おにぎりを食べました。そして、さわやかな風に吹かれながら、パパローはイチローを抱っこしたまま、しばらく席に座っていました。六大学の試合では、7回に応援団同士でエールの交換を行います。大切な儀式ですから、それまではチョロチョロと応援席に近づかない方がいいと思ったのです。

 エールの交換も終わった後、パパローは、もう一度イチローに、

「せっかく応援したくて来たんだから、もう一度、行ってごらん」

と声をかけました。「いやーだぁ」とぐずります。でも、2度、3度と声をかけると、「うん」とうなずいて走っていきました。

「おー、行ったかあ」

 パパローは、それだけで大満足でした。まだ2歳半なのに、心の中はとても複雑だっただろうのに、諦めず、前へ進むことができました。小走りに応援席に近づいていくイチローの背中に、背番号「51」が揺れています。

「よーし、よく行った。背番号51を背負う資格があるぞ」

 パパローは、イチローの背中に語りかけていました。

 応援席に行ったイチローは、勇気をだしてチアリーダーの中に入って行きます。しかし、すぐに一人のチアリーダーに声をかけられ、そのままイチローはパパローの席に向って歩いてきます。だけど、この時は、晴れやかな表情をしていました。

「お姉さんに、何て言われたの?」

「『パパはどこ?』って言ったから、『あっち』って言ったの」

 パパローは、イチローをしっかりと抱っこしました。そして、二人で『紺碧の空』を歌いながら神宮球場を後にしたのでした。

2006年5月29日 (月)

チアリーダーに突進!

「明日、野球見に行こうか」

 2歳半のイチローにそう話しかけると、決まって、

「高校生?」

と問い返します。この春、甲子園球場へセンバツ大会を見に行ったり、横浜高校のグラウンドへ練習試合を見に行ったことで、イチローはすっかり高校野球のファンになっています。

「高校生じゃなくて、大学生」

 そう答えると、イチローは、

「早稲田? 行きたーい、行きたーい」と飛び跳ねます。神宮球場で何度も観戦している早稲田大学も、イチローは大ファンなのです。2日に1度は、

 ♪しむる者 我らぁ 早稲田 早稲田 覇者 覇者 わせだぁ~

 と口づさんでいます。早稲田の応援歌『紺碧の空』も超お気に入りとなっています。

 初めて、早稲田大学の試合を見に行ったのは、05年5月14日(土)のことでした。イチローは、当時1歳半です。

  100_0581  この日、早稲田対明治は二試合目で、午後2時開始の予定でした。自宅から1時間半かけて神宮球場へ着いたのは、11時半ぐらい。時間的に余裕があったので青山通りの「ONY」でおにぎりを買い、球場近くのビルのテラスで腹ごしらえをすることにしました。そのテラスには噴水もあって、空は五月晴れ。ちょっとしたピクニック気分かなと思ったのでした。

 ところが、それが大きな間違いでした。食べ終わってゴミを片付けていると、イチローがパパッと歩き出しました。「あっ」と思った時には手遅れで、噴水の池に右足がズルッ。続けて左足もバシャ。そして、ジャボッと水の中に座ってしまいました。

 小さな子供を連れていると、「まさか」と思うことが起きるんですよね。今なら、必ず着替えを持参していますが、当時は、パパローも新米パパ。おむつの替えは持っていても、着替えまではリュックに入っていませんでした。

「どうしよう」

 イチローを抱っこしながら、そう思ったパパローの頭にふと浮かんだのは、インドで見た光景でした。パパローは取材や遊びで、アジアだけでも20カ国近くに行っています。インドの田舎では、おばちゃんたちが大きな岩の上に洗濯物を並べ、乾かしていました。

「これだ! さあ、イチ、ズボンと靴下脱ごうか」

 五月晴れの空からは、太陽の光がサンサンと降り注いでいます。さっそくズボンや服を脱がせ、石のオブジェの上に並べました。そして、干したズボンの上からパンパンと叩き、水分をコンクリートに吸収させます。パパローが、

「やっぱり、いろんな国に行っておくものだ」

 と一人で悦に入っていると、イチローのちっちゃな声が聞こえてきました。

「あちゅい、あちゅい」

 焼けた石の上でイチローが、お尻をモゾモゾさせていました。ありゃりゃ、イチローまで乾かすところでした。慌てて抱きかかえ、

「ゴメン、ゴメン。でも、こうしないと野球が見られないからね」

 そう謝ると、イチローはコクンとうなづき、けなげにも、

「イチも」

 と言うではありませんか。それからは、親子で手を揃え、靴下やズボンをパンパン叩きました。東京のど真ん中で、石のオブジェを叩いている変わった親子。見かけた人がいましたら、私たちでした。もっとも、その場所が、球場へ向う通りからは少し引っ込んだところにあったのが、せめてもの救いでしたが……。しかし、親子の共同作業の甲斐あって、ズボンや靴下は30分もすれば乾きました。インドのおばちゃんの知恵は、やはり偉大です。

 やっと球場に入ると、まずは、バックネット裏へ。早稲田の3番打者は、その年の秋、ヤクルトスワローズの希望枠だった武内晋一選手。先発ピッチャーは、翌年のドラフト候補の宮本賢投手です。ネット裏には、たくさんのスカウトが来ていました。そこで、パパローの知り合いの横浜ベースターズや読売ジャイアンツのスカウトに「はじめまして」のご挨拶。将来、イチローがお世話になるかもしれないと、パパローの手が汗ばみました。スカウトの方々には、やっぱり、「マツイイチロー」という名前は大ウケで、まあ、「つかみはOK」というところだったでしょうか。スカウトの頭の片隅に、名前だけは色濃くインプットされたはずです。

 イチローは、しばらくパパローのヒザの上で試合を見ていましたが、すぐにモゾモゾ動き始めます。パパローはリュックからスコアシートを一枚出して、イチローに落書きをさせました。それでも動きたくて仕方ないイチローは、やがて客席を歩き始めます。急な階段を上がったり、下がったりするので、パパローは後をついて歩かなければなりません。すると、突然、阪神タイガースのスカウトの前で、ピッチングの真似をするではないですか。阪神のスカウトは、かつて阪急ブレーブス(現在のオリックスバッファローズ)の豪速球投手だった山口高志さんです。パパローにとっては、山口さんが関西大学のエースとして大学日本一に輝いて以来のヒーローでもあります。その山口さんが、イチローの投球フォームを見てニコッと笑ってくれました。

「おう、もうアピールか、大胆な」

 そう思うと、パパローは全身がしびれ、まともに立っていられないほどでした。

 それから、イチローは内野席中段の通路を歩き、早稲田側の客席へ行きました。そして、早稲田ファンのおじさんたちと一緒に拍手をしたり、大声を出し始めました。1歳半の幼児が、そんなことをしていると、とても目立ちます。イチローの姿を見て笑ったり、声をかけてくれるおじさんもいました。すると、イチローはうれしくて、ますます大声を張り上げて、何やら叫んでいます。

「初めての観戦で、早稲田ファンになったかな」

 早稲田はパパローの母校でもあるので、ちょっぴりジーンとくるものがあります。パパローの学生時代にも、よく応援に通ったものでした。学生応援席を見ると、昔と変わらず、詰め襟の応援団が声を張り上げ、ポンポンをもったチアーリーダーが踊っています。若い学生たちをぼんやりと眺めながら、パパローが20年以上も前の学生時代を思い出していると、

「ゲーッ」

 イチローが、早稲田のチアリーダーに向って突進して行くではないですか。「ちょっと待って」と大声を出すのは、恥ずかしすぎます。叫んだところで、イチローが待つはずもありません。全力疾走して、追いかけるしかないんです。チアリーダーも、この緊急事態に気づいたようですが、踊り続けるしかないでしょう。イチローがまともに彼女にぶつかっていったら、一体どうなるのでしょうか。

 パパローは、必死に追いかけました。まるでラグビー選手のようです。イチローの腕に手をかけたのは、チアリーダーのわずか1メートル手前。すんでのところで、イチローを抱きかかえることに成功しました。

「こんにちは」

 とチアリーダーに挨拶している場合ではありません。パパローとしては、とにかく頭を下げるしかありませんでした。客席は、もう大爆笑です。イチローも、ケラケラ笑っています。パパローの顔は真っ赤でしたが、なぜか、心は妙に落ち着き、しぜんとイチローの頭をなでなでしていました。なんだか、不思議な気分でした。パパローは、これまで球場で素晴らしい試合やシーンを見て幸せな気分に浸ったことは数えきれません。でも、球場で大爆笑されて、これほど幸せな気分になったのは初めての経験でした。

「イチ、また早稲田の試合を見に来ようね」

 こうしてパパローとイチローの神宮球場通いが始まりました。

2006年5月22日 (月)

たそがれ泣きもトレーニング

 イチローは、夜泣きはほとんどしませんでしたが、その代わり、1歳すぎまで夕方になれば激しく泣く「たそがれ泣き」をたまにしました。

 子供の泣き声や泣く姿を見るのはつらいものです。泣き始めると、最初のうちはミルクを飲ませてみたり、おむつを替えてみたり、抱っこしてあやしたり、考えつくこと全てを試してみました。しかし、どうしても泣きやんではくれません。そればかりか、パパローやママローが何かするたびに、泣き声が激しくなっていきます。やがて、イチローを泣きやませられない自分の方が悪く思えて、しだいに気持ちがイライラ。正直にいえば、泣き叫ぶイチローを憎らしく思ったことさえありました。

 医学的にも、乳児が、なぜたそがれ泣きをするのか、はっきりした原因はわかっていないそうです。ところが、ある日を境に、パパローの気持ちがスーッと楽になりました。

 胎児100_0397は受精の瞬間から生まれるまで、単細胞生物から始まった35億年の生命の歴史を40週間で経験するとよく言われます。しかし、パパローが思ったのは、生まれたばかりの赤ちゃんというのは、まだ「人間」にはなっていないということです。なぜなら、人類は直立二足歩行をすることで人類となりましたが、赤ちゃんは生後1歳前後まで歩けません。ということは、人間の姿形こそしていますが、胎内の羊水にいた時期が水中動物時代なら、生まれた直後は両生類。そして、ハイハイの時期がは虫類から四足動物ではないかと思うのです。

 そう考えると、イチローがたそがれ泣きをしていた時期は、生命の歴史でいえば、両生類やは虫類に当たります。

「カエルかぁ。カエルなら、ゲコゲコ鳴くわ」

 そう思いました。パパローは山深い里の村で育ったので、夏の間の子守唄はカエルの鳴き声だったのです。今でも、あの音声多重放送のようなカエルたちの鳴き声が、頭の中に響いてきます。それを思い出していると、カエルが鳴くのも、生命の歴史という大きな流れの中では陸上生活に順応するために心肺機能を鍛えているのではないのか。これと同じで、イチローがたそがれ泣きをするのも、元気な人間に育つためのトレーニングではないかと思ったのです。すると、激しく泣くことも、メジャー・リーガーへの道につながっていきます。それからでした。イチローが激しく泣いても、抱っこしながら、

「おお、トレーニング始めたんか。しっかり泣けよ。めざせ、マリナーズのイチロー!」

 そうささやいていました。そう思うと、トゲトゲした気持ちが静まり、穏やかな自分に戻れました。パパローは、取材に出なければ、夕方には自宅にいます。イチローが泣き始めると、まず、パパローが抱っこして励まし、思う存分心肺機能のトレーニングをしたら、ママローと交代するようになりました。すると、イチローは、ママローの柔らかな胸の中でゆっくりと眠りに落ちていくのでした。

 あっ、そういえば、子守唄代わりに、夏川りみさんの『涙そうそう』にも大変お世話になりました。あの穏やかで温かいメロディーと歌声に、イチローも安心して身をまかせられるのか、眠りやすかったようです。

 ちなみに、イチローが夜泣きをしなかった理由は、パパローにもわかりません。ただ、一つ考えていたのは、昼間しっかり運動すれば、夜はぐっすり眠るのではないかということです。そのため、原稿を書いていて疲れると、イチローとよく遊びましたし、部屋に赤ちゃん用トレーニングジムを置いたり、ハイハイして登るように布団で山をつくっておいたり、水を入れたペットボトルをおいて”筋トレ”できるようにしておいたり、家の中をトレーニングジムのようにしていました。

 それでも夜泣きをした時には、パパローが、

「夢の中で、ランディ・ジョンソンを打てんかったんか。あの高速スライダーはやっかいやなあ。でも、イチは、大丈夫やで。次の打席では絶対に打てるから、思い切ってバットを振ってきな」

 そうささやきながら、背中をさすりました。これで、本当に泣き止んで眠るのですから、うちのイチローは、本当にメジャー・リーガーになった自分の将来を夢で見ていたのかもしれません。

2006年5月15日 (月)

イチロー級の強肩めざして

 赤ちゃんは、母親のお腹にいるうちから歩く練習をしており、生まれてからも足裏を床に着けてやると、歩くように足を動かします。これを「原始歩行」といい、赤ちゃんに体験させると動きが活発になって、つかまり立ちをしたり、歩き始める時期が早くなるといわれています。

 実際、生後1週間で「原始歩行」を体験したイチローは、おむつを替えるのにも苦労するほど足が活発に動くようになりました。そして、生後8ヵ月目で立ち上がり、9ヵ月半で歩くようになりました。1歳をすぎた頃に歩き始める子が多いといいますから、イチローはとても早かったことになります。

「おっ、やっぱり原始歩行の効果はスゴイやん!」

と驚きましたが、同時に、

「やばい」

とも思いました。早く立ち上がって歩き始めたことで、逆に、ハイハイをする期間が短くなってしまったからです。

 というのも、パパローは、マリナーズのイチローのように強肩選手になるには、肩甲骨がよく動くことと、100_0565その周りのインナーマッスルがよく鍛えられていることがカギになると考えています。現実に、マリナーズのイチローは、ライトの守備位置でよく体を動かしていますが、後方のライトスタンドから見ていると、本当に肩甲骨がよく動いているのがわかります。そして、試合中に”レーザービーム”を披露する時も、肩甲骨が大きく、鋭く動きます。つまり、マリナーズのイチローは、子供の頃から肩甲骨をよく動かしながら、ボールを投げる練習をしてきたことでインナーマッスルが自然に鍛えられ、アメリカの野球ファンも驚くほど肩の強い選手となったのだといえます。

 一方、赤ちゃんがハイハイをしている姿を見ても、よく肩甲骨が動いています。ということは、ハイハイをしっかりしておくことが、将来の強肩選手につながっていくということです。

 ところが、うちのイチローは、ハイハイの時期を短縮して立ち上がってしまいました。それで、もう一度ハイハイをさせようと思ったのですが、立ち上がることを覚えてしまったイチローは、なかなかハイハイをしようとはしませんでした。しつこく続けること約1年、やっとハイハイをしっかりするようになってくれたのは2歳をすぎてからです。

 パパローは、夜、うちにいると、たいてい野球中継を見ています。イチローもパパの側へ来ますが、5分もしないうちに野球中継には飽きてしまいます。

「ねぇ、遊ぼう」

 というので、そこがチャンスです。ハイハイでワンワンごっこをしたり、追いかけっこをしたりするようになりました。パパローは、横目でテレビ画面をチラチラ見ながら 、一緒にハイハイするイチローを見て、

「しっかりハイハイして、取り戻そうね」

と心の中で話しかけてます。おそらく、イチローが幼稚園児になっても、パパローは一緒にハイハイしていると思います。すべては、マリナーズのイチローのような強肩選手になるためです。

2006年5月 9日 (火)

生後3ヵ月で井口選手クラス

 ホワイトソックスで活躍する井口資仁選手のお母さんに、インタビューしたことがあります。

 印象に残ったエピソードの一つに、井口選手が0歳児の時、お母さんが保育園へ迎えに行くと、彼だけベビーベッドではなく、床に寝かされていたという話がありました。井口君の元気が良すぎて、ベッドの柵にガンガンぶつかるのだそうです。それで仕方なく、保育士さんが床に寝かせていたというものでした。

 100_0189_1その話を覚えていたので、イチローはどうだろうかと楽しみにしていました。生後3ヵ月の時、隣の部屋からガン、ガクンという音が聞こえてきました。慌てて様子を見に行くと、寝ているイチローがベッドの柵にぶつかっているではありませんか。

「やったぁ」

と、ガッツポーズをとってしまいましたね。生後3ヵ月とはいえ、その活発さは”井口クラス”。すぐに、イチローをベッドから降ろしたのは言うまでもありません。これを何度か繰り返し、やがて、うちのベビーベッドは物置となりました。

 イチローは、床に寝かせても動きが活発でした。たとえば、おむつを替える時にも、脚をバタバタさせてじっとしてくれません。パパローは脚を押さえれば何とかなりましたが、ママローはおむつを替えるだけでヘトヘトになります。生後6ヵ月検診で、イチローの動きを見た小児科のお医者さんが、思わず「お母さん、大変でしょう」と言ったほどです。また、1歳半の歯磨き指導で、イチローと同じぐらいの子供が集まった時、パパローとママローには、他の子供たちの動きがスローモーションにしか見えませんでした。イチローの素早い動きに慣れた目には、拍子抜けするほどゆっくりとした動きでした。

 しかし、同じように活発でも、井口君とイチローには大きな違いがありました。井口君の活発さが遺伝によるものと考えられるのに対して、イチローはそうは考えられないことです。実際、井口君のお母さんは子供の頃から運動能力が発達していて、井口君が高校を卒業するまでバッティング練習の相手を務めたという人です。それに比べて、パパローとママローは、決して運動能力が高いとはいえません。

 なのに、イチローがこれだけ活発に育ったのは、「原始歩行」を体験させたからではないかと思います。

 研究によれば、胎児が8ヵ月ぐらいになると、母親のお腹の中で歩く練習をするそうです。そのため、生後間もない赤ちゃんの足の裏を床につけると、歩くように足を動かします。これを「原始歩行」といい、生後1、2ヵ月ぐらいまでは、この能力が残っているそうです。そして、この「原始歩行」を体験した子供は動きが活発になり、立ったり、歩いたりする時期も早くなることが実証されています。

 これを知っていたパパローは、生後1週間で退院してきたイチローに原始歩行を体験させたのです。

「原始歩行をしてみよーね。元気になるでー」

 そう言って、イチローの左右の脇にそれぞれの手をあて、人差し指と親指で首を支えます。まだ首がすわっていないので、首をしっかり支えないと危険です。

「さあ、歩けるかな」

 そう言ってから、イチローの足の裏を床につけると、本当に足を動かして歩こうとしました。

「すごーい。すごい。さすが未来のメジャーリーガーや」

 誉めると、イチローはもっともっと足を動かそうとしているようでした。これを毎日2、3分ずつ2週間ほど続けたのです。現実に、イチローは8ヵ月で立ちあがり、9ヵ月半で歩きました。

 現在、2歳半になったイチローは、毎日、家の中を、道路を、公園を、砂浜を元気に走り回っています。その代わり、転んだり、何かにぶつかってはすり傷が絶えず、唇を切ったことも数えきれません。

 しかし、その元気で、俊敏な身のこなしを見ては、パパローは「ヨシ、ヨシ」とニタニタしているのです。

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