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2009年11月12日 (木)

嵯峨野トロッコ列車に乗ってきました。

091110_  10日の誕生日には、幼児園をお休みして「嵯峨野トロッコ列車」に乗ってきました。

091110__2  トコッコ列車は、亀岡と京都の嵯峨を結ぶ観光列車で、保津川に沿って走ります。そのため、景観がすばらしく、紅葉の時期に乗りたいなと思っていました。イチローは、車内で家族3人の記念写真も撮ってもらって喜んでいました。

 パパローは、そのトロッコ列車の線路が、かつての山陰線の線路だったことに感激でした。子供の頃、SLに乗って綾部から京都へ行くのが楽しみでしたが、トロッコ列車の線路は、まさに当時のままでした。

 嵯峨駅で降りて、そのまま嵐山へ。嵐山も、一度家族で来たいと思っていたところでした。                                              

イチローは、もちろん初めてで、ママローは埼玉から来た家族旅行も含めて3度め、ハパパローは、子供の頃以来、たぶん2度めです。 091110__8

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 ただし、イチローは、嵐山の景色より、お土産選びに熱心で何軒ものお店であれこれ見た結果、選んだのが、なんと、まるで本物のパンがついているようなストラップでした。  20091112

2009年11月11日 (水)

6歳になりました。

091025  11月10日に、イチローは6歳になりました。これまで元気に育ってくれたことに、感謝したいと思います。また、6年前、イチローの誕生を心から喜び、分娩台の上でバットの握り方とフォークボールの握り方を教えたことをいつも忘れず、イチローに接していきたいと思っています。

 これからの1年間には、小学校入学という大きなイベントがあります。9日には、入学する上林小学校へ行って、健康診断を受けたり、5年生のお兄さん、お姉さんたちに遊んでもらったりしてきました。

20091110  そのとき、自分の名札を自分たちで作ったのを見て、保護者への講演で来られていた先生が、「もうひらがな書けるのかあ。小学校で何を習うの?」と言ったら、イチローが「漢字」と答えたそうです。さすが、勉強やる気満々のイチロー君です。

 バースデーケーキは、恒例になっている綾部のシャトレー・シラキさんに20091110_2 お願いしました。今年は、イチローのはまっているテレビアニメ『CODEリョーコ』のイラストをお願いするのかと思ったら、マリナーズのイチローでした。

 さすがにポイントは押さえてきますねー。

2009年10月26日 (月)

なぜ、こんなに脚の長い絵を描いたのか?

0908  前回のブログで、イチローの絵を載せたら、「なぜ、こんなに脚を長く描いたんですか」と尋ねる人がいた。

 イチローに聞いても、その理由はよくわからないので、推測すると、イチロー自身が、そういう身体意識をもっているからだと思いますね。つまり、水着をつけた時、イチローは、おそらく自分の脚は、みぞおちのあたりまで分かれていると潜在的に感じているのでしょう。

 といえば、もうピンときた人がいるかもしれません。

 バタ足ですね。

 イチローは、今年の3月までスイミングスクルールに約9ヵ月通っていました。そこでバタ足を教えてもらいましたが、ポイントは、ヒザを曲げずに足をバタバタさせることでした。

 そのため、毎晩のように、このバタ足の練習をしました。その時、パパローが教えたのが、脚がみぞおちのあたりまで長くなったつもりでバタバタさせることでした。こういう意識をもつことで、無駄な力を抜いたまま脚をバタバタさせることができます。専門的には、「割れ腰」と呼ばれる身体意識です。

 というわけで、水着姿の絵を描くと、イチローは、潜在的な感覚で脚はこの辺まで分かれていると思ってしまい、自然に、これだけ脚の長い絵を描いたのだと思います。

 ですから、パパローは、この絵を見た時、「おー、練習の成果が、こんなところにも出たなあ」と思ってうれしかったです。

 

2009年10月23日 (金)

勉強は野球を通じて。

0908   最近は、素早く夕食も、お風呂も済ませ、夜の8:30から始まるアニメ『CODEリョーコ』を待ってい ますが、先日、こんなことを言ってました。

「時計は、じっと見とったら、なかなか進まんで」

 こんなことが言えるんだなあと思うと、何かに夢中になるということは、やはり大切なんだなあと思いました。

 

さて、前回の続きですが、イチローの「小学校へ行ったら勉強をしたい」という気持ちは大切にしてあげたいと思っています。というか、パパローの感覚では、すでに野球を通じて勉強を始めていると思っています。

 たとえば、2歳の頃には、金本選手や藤川投手などの背番号を見て数字を覚えましたし、今は、野球を見ながら、得点の簡単な足し算くらいはしています。また、プロや大学の応援歌を覚えたことで、「掃天かける日輪」(阪神タイガース)とか、「光輝あまねき伝統のもと」なんて言葉も覚えています。

 実は、パパローは、小学の頃、甲子園に出場する学校の所在地を地図で調べ、甲子園まで電車で来る場合、どのルートで来るのかをたどっていました。留萌高校が初出場した時には、「るもい」という響きにワクワクしながら北海道で「留萌」を探したのをよく覚えています。

 また、都市対抗野球も見ていたので、各都市の産業も自然に覚えました。「川崎市代表は東芝」と知っていれば、川崎市の産業は「電機」と答えられ、「浜松市代表はヤマハ」と知っていれば、「浜松市では楽器作りが盛ん」とすぐにわかります。野球に限らず、社会人スポーツを見ていれば、各地の産業がわかり、おまけに、「日本は確かに資本主義国なんだなあ」と思ったりしました。

 さらに、小学6年で憲法の条文を覚えた時は、当時ファンだった巨人の選手の背番号で覚えました。たとえば、第一条なら、王選手が現れ、「象徴天皇制」と言ってから、王選手が「天皇は、日本国の象徴であり」というように話してくれるというイメージで覚えました。野球を通じて、いくらでも勉強はできると思います。

 それ以外でも、野球のことを知るために新聞を読むようになったり、テレビニュースを見るようになったりして、それが、のちに大きく役立ちました。

 また、タイガー・ウッズの高校の数学の先生が、「タイガー君は、ゴルフが忙しくてなかなか学校に来られないけれど、ゴルフ場で代数や幾何を勉強している」と言ったように、野球のプレーをしていても、たくさんのことが学べます。

 パパローは、勉強が目的になると、子供がかわいそうだと思います。受験のためとか、成績をあげるため、数字を追いかけるようになると、誰でも苦しいものです。だから、勉強は、夢中になっているものを通じて楽しくできればと思っています。

 というわけで、イチローの勉強への意欲は、野球を通じて、かつ、いろんな側面から満たしてあげたいなと思っています。

2009年10月19日 (月)

ベーンキョ、ベンキョ、ヤキュー!

 20091010                    来年、小学校に入学するイチローが、

「一年生になったら」

と歌うので、「友達100人できるかな」と続けるのかと思ったら、

「ベーンキョ、ベンキョ、ヤキュー」

と叫びました。小学生になると、勉強するぞと燃えているらしく、普段から、

「小学生になったら、学校から帰っても遊んどったらアカンで。宿題せなアカンもん」

と言っています。

 パパローとしては、そのうち、「塾に行きたい」なんて言い出すんじゃないかと不安です。パパローは、子供の頃、塾に通ったことがありませんし、イチローにも行ってほしくありません。最大の理由は、「時間がもったいない」です。

 勉強は「読み、書き、計算」ができれば、それでいいと思います。塾に行くより、他にすることがあるだろうというのが基本的な考えです。パパローの場合は、それが野球(プレーと観戦、新聞、雑誌のチェック)と読書でした。

 でも、実のところ、イチローは塾に行くとは言わないと思っています。入学予定の上林小学校の同級生が、(今のところ)9人で、わざわざ塾に行かなくても、まるで塾のような少人数制だからです。

 現在の1年生(6人)の授業を見学に行きましたが、先生は、全員が理解したのをしっかり確認してから授業を進めておられました。上林小学校では、ここ数年、このような少人数制の授業が行われており、これは上林中学校でも続きます。

 すると、いわゆる「落ちこぼし」「落ちこぼれ」が発生しにくく、綾部高校や福知山成美高校へ進む上林小、中の卒業生は学力レベルが高いらしいです。さらに、高校でも大学進学を目指して勉強した子は、京都大学を始め、関西の有名大学に進んで行きます。小学1年から9年間、少人数制の教育を受けるため、基礎学力がしっかり身につくようです。

 というわけで、1年生になったら、勉強に意欲を燃やすイチローも、わざわざ塾に行かなくても、学校で普通に勉強するだけで十分というわけです。こうした環境(勉強面だけではありませんが)を気に入って、都市部から転入される家族も増え、本当は、当初6名の予定の同級生が、今では9名に増えています。

 だから、イチローも、1年生になったら、本人の希望通り、学校で普通に勉強をしながら、放課後や休日は野球を思い切り楽しめばいいなあと思っています。

 田舎で良かったです。

2009年10月13日 (火)

イチローは、『CODEリョーコ』に夢中です。

 イチローは、現在、『CODEリョーコ』というテレビ番組に夢中です。

20091012_code 『CODEリョーコ』は、「トゥーン・ディズニー」というチャンネルで放映しているフランスのアニメで、6月頃、たまたま見て夢中になったのですが、7月に放映を終了しました。とても残念がっていたところ、9月頃から再開されたのです。

 現在は、土曜から水曜日まで毎日放映されています。週末は午後3時半からで、平日は午後8時30分からの30分です。そのため、平日は、午後8時半までに夕食もお風呂も済ませて待っています。

「リョーコ」というのは、スーパーコンピュータにある仮想世界のことで、コンピュータ・ウイルスに支配されています。そして、そのコンピュータ・ウイルスが、現実の世界へも攻撃を始めました。この事実を知ったフランスの大学生4人が、コンピュータ・ウイルスの現実世界への攻撃を阻止するため、仮想世界へ行って戦うという話です。

 仮想世界へ行くことを「バーチャライゼーション」と呼ぶようで、スーパーコンピュータを操る男子学生のジェレミーが、「ウーリック、転送開始」、「スキャン」、「バーチャライゼーション」と順番に言いながらキーボードを操作すると、男子学生のウーリックが、戦士となって仮想世界リョーコに入って、コンピュータ・ウイルスと戦います。このときだけ、ウーリックたち戦士は3Dで描かれています。

 イチローが、登場人物で一番好きなのは、このウーリックです。剣をもって戦い、最も強いからだそうです。ただし、最近、「ウーリックって、全然笑わなんなあ」と、現実社会でも全く笑わない学生であることに、お笑い大好きのイチローは、少し不満のようです。

 それでも、放映が終わると、ほんの少しの間だけ、ウーリックになり切ってひと暴れします。

「イチロー、偉いぞ」と思ったのは、幼児園で『CODEリョーコ』ごっこを1人で始めたと聞いたときです。よく、1人で遊びを始めるなあと思って、そのベンチャー精神に感心しました。

 今では仲間が2人いるそうです。1人は番組を見ていて、もう1人は見ていないので、イチローの後にくっついてマネをしているそうです。

 先日は、ついに『CODEリョーコ』が夢に出てきたと言ってました。夢中になっていることが、文字通りに、夢の中にまで出てくるとは、なかなかいい経験をしているなあと、高校時代の定期試験の勉強で、一気に暗記した内容を夢の中で復習していたパパローとしてはうれしくなりました。

2009年10月 9日 (金)

運動会がありました。

 昨日(7日)は、朝7時の時点で綾部市に「大雨、洪水、暴風警報」が出ていたので、綾東幼児園は臨時休園となりました。

091003_  その4日前の3日(土)に、幼児園で運動会がありました。前日に雨が降り、「たぶん延期だろう」と思ったのですが、子供たちがてるてる坊主を作って雨雲を吹き飛ばしたのか、当日は晴れ間が広がり、運動会日和となりました。

091003__2  イチローは、かけっこやリレー、太鼓、ダンス、親子競争に参加しました。まず、横須賀時代に、2歳で運動会に初参加した時、ダンスの最中に棒立ち後、グラウンドに引かれた石灰に興味を持って触っていたことを思い出すと、ずいぶん成長したものだなあと思いました。

 また、昨年と比べても、太鼓やダンスにメリハリがついてきて、一年でも、ずいぶん成長するなあと思いましたね。

 走るのは、クラスでも速い方ではあるようですが、俊足4人に比べると、ちょっと差をつけられますね。瞬発系の筋肉には、あまり恵まれなかったようなので、将来的には、それを踏まえてトレーニングしていくことになるなあと思ったのでした。

 実は、この日は、秋季京都府高等学校野球大会の準決勝。近畿大会への出場を決定する大事な日でした。パパローは、特に2試合目の福知山成美対塔南戦を見たかったので、試合の途中からでもいいから、運動会終了後、ただちにわかさスタジアム京都まで駆けつける予定でした。球場までは、クルマで一時間ちょっとかかります。

 ところが、なんと、イチローの運動会は予定通り行われたのに対して、高校野球は、朝方の☂の影響で、一時間遅れの試合開始。おかげで、家族3人で駆けつけ、福知山成美戦は、ベンチの上で応援しながらたっぷり見られました。

 こういうとき、パパローは、「何かに守られているなあ」と安心します。

 試合も、8対5で福知山成美が勝ち、近畿大会への出場を決め、イチローも「よっしゃあ!」と雄たけびをあげていました。今年の秋は、綾部高校が早く負けたので、今は福知山成美です。昨年に引き続き、春のセンバツに出場してほしいです。

 ちなみに、イチローは、福知山成美の校歌を何度か聞いていて、「幸あれ~、母校」が面白いと気に入っています。

2009年9月24日 (木)

監督が代わりました。

 090911

 朝、けっこう涼しくなってきた今日この頃。先日、起きてきたイチローが、

「寒い、寒い。今、こんなけ寒かったら、冬、どうなるん?」

と嘆いているので、

「冬になったら、ストーブつけるし、コタツもあるやん」

と言うと、

「あっ、そうか。ちゃんちゃんこも着るしなあ。それから、扇風機もつけるし」

「そうそう、涼しい風が吹いてきて、       寒いわッ」

 朝から、イチローとパパローは、こんな会話をしています。

さて、

「体をゆるめる」ということにとても理解のあった綾部高校野球部の監督が、校務の多忙なこともあって退任され、新しく、顧問の蒲田(かばた)先生が監督になられました。

20090911 イチローは、前任の梅原監督にもかわいがってもらっていましたが、蒲田先生とも練習の合間に遊んでもらったり、お昼の休憩には、一緒にご飯を食べに行ったこともあるなど、とてもなついています。

 これからも綾部高校へ通って野球を学び、新監督や選手たちと交流できればと思います。そして、来年の夏には試合に勝って、念願の校歌が一緒に唄えればと思います。

  英語の先生でもある蒲田新監督は、綾部高校に赴任されて2年目。今の2年生が入学した時からなので、その前から野球部に通っているイチローの方が”先輩”になりますね。

 そういえば、最近、イチローは、野球部での態度がでかくなって、

「もっと早く練習に来なさーい」とか、

「ホームラン、打てよぉ」

などと叫んでいますが、野球部に関わる期間でいえば、どの選手よりも長くなっています。

 

 選手たちには、イチローが、綾部高校時代の杉山投手(現巨人)のピッチングを見て、思わず、

「杉山くんて、カッコイイなあ」

と漏らしたように、イチローが真似したくなるような選手に成長してもらいたいです。

2009年9月13日 (日)

甲子園に行ってきました。

0908  9月9日は、幼児園の月に一度のお弁当の日で、今回、おかず部門はパパローが担当しました。お迎えの車の中で、

「お弁当、おいしかった?」

と尋ねると、イチローは、

「うん」

とにっこり。

「何が一番おいしかった?」

「梨」  (皮、むいただけやっちゅうの)

「二番目は?」

「ミニトマト」 (洗っただけやろが)

「三番目は?」

「ブロッコリー」  (茹でただけや」

 まあ、関西人として、答え方もずいぶん上手になりました。

090911_2  11日には、阪神対横浜戦に行ってきました。金本と浅井がホームランを打って、能見が好投。2対1で勝った試合です。

                      20090911席は、前回と同じレフト側外野席で、周りの応援は熱いし、守備につく金本の近くということでイチローが気に入っているところです。しかも、今回は、2回に金本と浅井のホームランが飛び出し、その打球がバッチリ目で追えたことで、大喜びでした。

  その後も、阪神の攻撃のたびに、スティックを叩いて応援。周りのファンと合わせて楽しそうでした。

今年の甲子園観戦は、これで終わりです。

 今年は、新型インフルエンザ騒動で自粛したり、食中毒になって行けなかったりありましたが、野球のことがだいぶわかり、長く野球を見られるようになった一年でした。昨年は、ご飯を食べたら、野球より客席の人たちに興味をもち、ずっと見ていたり、お話をしてもらったりしていましたが、今年は、野球そのものに興味をもてるようになりました。

 おそらく、大きくなって思い出してみてと言っても、ほとんど忘れてしまっていて、思い出せないと思います。パパロー自身も、幼稚園や小学生低学年の頃、高校野球を見に甲子園へ連れて行ってもらっているようですが、座席を道路に見立て、車を運転する真似をして歩いていたという記憶しかありません。

 パパローが、最もよく覚えているのは、中学生から高校生にかけて見た試合です。高校時代の江川や定岡、巨人の王や長嶋、阪神時代の掛布など、本当に細かな動きまでよく覚えています。そして、脳にインプットされている彼らの動きが、事あるごとに映像としてよみがえり、それが、今の仕事や、いろんな意味で人生の楽しみにつながっています。

 中学生、高校生の頃の記憶が、30年以上経った今、これだけ鮮明によみがえるのも、やはり、幼稚園の頃から甲子園に連れていってもらっていたからだと思います。幼稚園時代の脳に野球の試合が強烈にインプットされているから、中学、高校生時代に見た試合が、より強烈な記憶として残っているのでしょうし、また、幼稚園時代の体験を通じて野球が大好きになっていたから、今でも記憶が鮮やかによみがえるのだと思います。

 コツコツという人生の積み重ねは、本当に日々刻々と行われているのだと思います。

2009年9月 3日 (木)

この夏、最初で最後の海へ

20090830  8月31日に、この夏、最初で最後(たぶん)の海へ行ってきました。

 7月に行く予定はあったのですが、その日は雨が降って肌寒く、8月は埼玉・東京行き、インフルエンザ感染もあって、なかなか行けませんでした。

20090830_2  30日は、太陽が顔を出したので、「よっしゃあ」という感じで、若狭湾の長井浜へ行ったのでした。

 当初は、砂浜で少し遊び、かき氷でも食べて帰ってこようと思っていたのですが、水の中に入ると温かく、とても気持ちがよかったので、イチローは、パンツ一丁で海に入りました。

 何組か海に入ったり、砂浜でビーチバレーをするグループはありましたが、人影はまばら。海の家も閉まっており、かき氷は食べられませんでした。

 幼児園では、プールに何度か入りましたが、今年は、パパローとはプールに一度も行かないまま終わりました。

2009年8月31日 (月)

甲子園へ行ってきました。

20090828  28日(金)に、甲子園球場へ阪神対巨人戦を見に行ってきました。

 阪神が、狩野選手の3ラン本塁打などで5点を取り、能見投手の好投もあって5対1で勝った試合です。

20090828_2

 席は、外野席(左中間)の2列目で、周りは、年間チケットを持って毎試合のように来ている人たちばかり。熱狂的応援団のど真ん中だったんですが、イチローにとって、さらに刺激的だったのは、幼稚園児や小学校低学年くらいの子たちも、小旗を振ったり、応援リーダーの真似をしたりしていたこと。

 この日、イチローは、何も応援グッズを持っていかなかったんですが、思わず、手拭きを手首に巻き、手拍子なんかでよく参加していました。

 20090828_3 もちろん、『六甲おろし』もよく歌ってました。右頬に、遊んでいてこけて、できた傷跡があるんですが、そんなことも忘れて楽しんでました。

 パパローは、プロの投手のボールのキレの良さを改めて感じました。ほんの2週間前には、同じ甲子園で菊地雄星君(花巻東)や今宮健太君(明豊)の150キロ台のボールを見ましたが、今日の能見投手のボールは、140キロ前後でした。数字の上では、能見投手より高校生の方が遅いのですが、ボールのキレは、能見投手の方が数段上です。

 その理由は、さまざまありますが、投球フォームもその一つ。と思っていたら、イチローが、スーパーの袋におもちゃなどを詰めて歩いていましたので、

20090819「ちょっと、その荷物をかついでみな」

「そのまま、ヒジを前へ出してごらん」

といって、ヒジが前へ出る形をつくらせました。おそらく、日常の中でも、このなような習慣も、後の投球フォームに影響するのだと思います。

2009年8月27日 (木)

元気になりました。

 イチローは、インフルエンザも治り、24日(月)から元気に幼児園に通っています。

 090825 翌25日には、自転車の補助輪をはずして乗ってみました。といっても、補助輪をつけて長く乗っていて、ようやくはずす気持ちになったということで、練習しなくても、すぐにスイスイ走れました。

 まだ公道で乗るのは危なっかしいので、イチローの野球用専用グラウンドで、しばらく練習させたいと思っています。

 イチローは、何をするにも、たいていゆっくりです。自転車も、お友達は、昨年から補助輪をはずす子が多かったですが、イチローは、はずそうとはしませんでした。

 三輪車も長く乗っていましたし、それ以外のことも、あまり急がないタイプです。小さい頃から、「イチが、イチが」と言って、いろんなことを自分でしたがりましたが、そうかといって、トイレトレーニングにしても、歯磨きにしても、ひらがなや数字にしても取り組んだのは遅い方で、親も、「いずれ気が向けば、できるようになると」とのんびりと構えている方だと思います。

 世の中には、DMを送ってきて、やれトイレトレーニングを始めなきゃとか、小学校へ行く準備をしなきゃと煽る会社がありますが、うちでは、そういう会社のことを「脅迫型産業」と呼んで相手にしていませんでした。

 これからも、イチローのペースで、のんびりと歩んでいきたいと思います。

 だから、野球も、最近は、ほとんどしていません。変なクセがつくと困るからで、いまは、野球への興味が持続すればいいなあと思っています。

 今年の夏は、高校野球を見に甲子園へ行けませんでしたが、明日は、巨人対阪神戦を見に行ってきます。

2009年8月20日 (木)

インフルエンザに感染しました。

20090805  イチローは、埼玉から14日に帰ってきて、天の川がはっきりわかる綾部の夜空を見上げて「きれいやね」と言っていたんですが、16日の夜から発熱。17日に診察を受けたところ、インフルエンザA型に感染していました。

 潜伏期間や行動を考えてみると、どうやら、埼玉からの帰りに感染したようです。病院では、集団感染ではないからと詳しい検査をしてもらえませんでしたが、新型インフルエンザの可能性が高いようです。

 さっそくタミフルを処方してもらって飲ませたところ、翌18日には症状も落ち着き、今日は熱も下がってだいぶ元気になりました。

 もうしばらくは家でおとなしくしていて、元気になったら、また野球をしたり、見に行ったりしたいと思います。

2009年8月 9日 (日)

埼玉にいます。

 8月4日から、埼玉のおじいさんとおばあさんの家に行っています。

20090805  5日は、パパローの打ち合わせについて、都内の某出版社へ行きました。そこはポケモングッズを制作、販売しているところで、ロビーには、現在上映中の映画の看板があったのでした。そこで、さっそく記念撮影をしました。

 そして、せっかく来たからと、ポケモングッズをたくさんもらいました。

 中でもすごかったのが、511枚のポケモンシールです。大きな紙に、511のポケモンのシルエットがあって、そのシルエットに合ったシールを貼っていきます。

 イチローと2人で取り組んでくると、お互いにだんだん疲れてくるのですが、狙ったシルエットのシールを見つけ、「あったぁ」と言いながらシールをはがして貼ろうとして、「あれ、どこやった?」と言うと、2人で大笑い。こんなことでも笑うと、疲れが吹っ飛びます。改めて、笑うことって偉大だなとつくづく思いました。

20090805_2  関西人は、仕事の中にもお笑いを交えます。イチローも、いつも心にお笑いをもってほしいなあと思いましたね。

 20090805_3 その後、ママローも一緒にフジテレビへ。そして、夏のイベント「お台場合衆国」を見てきました。

人が多くて、暑くて大変でしたが、イチローは、ほんの少しだけグッズも買ったりして楽しそうでした。

 パパローは、夏の甲子園大会が始まるので帰ってきましたが、イチローとママローは、まだ埼玉にいます。

2009年8月 3日 (月)

「CODE リョーコ」に夢中でした。

090718  イチローは、6月から7月にかけて、ケーブルテレビで放映していた『CODE リョーコ』というアニメに夢中でした。ホタルの飛ぶ頃から、暑さを避けて実家の方にいることが多くなり、たまたま見て夢中になったようです。

 『CODE リョーコ』は、フランスのアニメで、パパローも詳しいことはわかりませんが、インターネットに「リョーコ」というバーチャルな世界があって、それがコンピュータウイルスの影響で現実世界を襲うようになり、現実世界の大学生が、それと戦うという内容らしいです。現実世界を普通のアニメで描き、インターネット内での戦いの場面は、3Dのコンピュータグラフィックで描かれているというのも、このアニメの特徴だったようです。

 イチローは、このアニメをたまたま見て、すぐにハマりました。平日は毎日、7時30分からの放映だったのですが、それまでに食事とお風呂を済まし、放映の15分も前からテレビの前に座っていました。終了すると、ディズニーランドで買ってきた光る剣を持って、戦いの場面を真似しては、部屋の中を走りまわっていました。

 ある日は、幼児園から帰ってくると、

「今日は、お遊戯室で『コード リョーコ』ごっこした」

と言いました。それで、「えっ、誰としたん? 誰か『コード リョーコ』知っとる子、おっちゃった?」と尋ねると、

「だーれも、おってないで。ボク、一人で遊んだ」

と言ってました。

「幼児園まで行って、一人遊びかぁ?」と思ったのですが、このアニメ番組は、世界78ヵ国で放映され、なかでもアメリカでは長期に渡って人気番組となっているようです。

「将来、どこかの国の人と、『CODE リョーコ』話で盛り上がるかもしれない」

と思いました。

 ところが、この『CODE リョーコ』が、7月26日で放送を終わってしまったのです。27日に、いくら待っても放映しないので、調べたら、すでに終了していました。それを知ったイチローは大ショックで、しばらく、いまにも泣きだしそうな様子でうめいたり、転げまわったりしていました。

 再開されるといいですけどね。

2009年7月28日 (火)

今年も校歌が歌えませんでした。

090725  第91回全国高等学校野球選手権京都大会で、綾部高校は、初戦で洛星高校に0対4で負けました。

 綾部高校の校歌を覚えているイチローは、試合に勝って、選手やマネージャー、保護者の方々と一緒に歌えることを楽しみにしていましたが、今年も叶いませんでした。

 相手チームは、京都で一番の進学校ですが、野球でもしっかりと指導され、攻守ともよく鍛えられていました。完敗でした。

 もう綾部高校では、新チームがスタートしました。今度のチームとは、一緒に校歌が歌えればと思います。

2009年6月16日 (火)

レンコンさんは誰と一緒に住んでいるんでしょう。

0905  綾部高校へ行くのに、畑と小さな川にはさまれた堤防を歩いていると、イチローが、突然、

「レンコンさんは、誰と一緒に住んでいるのでしょう」

と言いました。「えっ?」と思っていると、続けて、

「ピーマンさんとオクラさん。ピーマンさんは、種がかわいいね」

と言いました。おかしくて、すぐに携帯電話にメモしました(というのも変な表現ですが、今はそんなことのできる時代です)。

 うちでは、イチローが生まれたときから日記をつけていて、言葉をしゃべるようになってからは、ちょっとした名言、迷言も書きとめています。最初はママローが記録していましたが、ある番組がきっかけでパパローも積極的にメモするようになりました。

 まだ横須賀にいた3、4年前、ケーブルテレビで『明石家電視台』という番組をみていたら、その中で、素人も参加する出場するクイズ番組をしていました。

 そのときの問題が、「604年、聖徳太子の作った17個のものといえば?」でした。

 バラエティ番組にしては、まともな歴史の問題です。回答者は、大阪の女子短大生でした。司会の明石家さんまが、「604年、聖徳太子の作った17個のものといえば、さあ、何?」と問うと、その短大生は、

「クッキー」

と答えたのでした。パパローは、テレビに向って

「カタカナやん」

と突っ込んでましたね。

 このときは、「えー」と思いました。「憲法」と正解できなくても、まあ、仕方ないかとは思いますが、よりによって「クッキー」ですからね。

 聖徳太子が、クッキーは焼いてへんやろ。

 ところが、数日後、意外な事実を知りました。すでに縄文時代には、ドングリ類をアク抜きして製粉し、水で練ってから焼いて食べていたそうです。

 クッキーやん。

 ということは、それよりずっと後の時代の聖徳太子も、エプロンをしていたかどうかは知りませんが、クッキーを焼いていた可能性は否定できません。 「いくらなんでも、聖徳太子がクッキーは作らないだろう」とも思いますが、そんなことをいえば、現在では、聖徳太子が実在の人物ではないという説すら強くなっています。

 というわけで、すごいのは、この女子短大生の直感です。それ以来、パパローは、どんな突飛な発言も、侮れないと思うようになったのでした。

 イチローは、綾部高校で、梅原監督の真似っぽく、

「(巨人に入った)杉山ぁ~、ボール、もうちょっと大きならんこ」

と言ったこともあります。「いくら杉山君でもボールは大きくできんやろ」と思いますが、もっと伸びるボールを投げて、打者にボールを大きく見せたらという意味にも取れます。実際、浮き上がって打者に近づいてくるようなすごいボールは、打者にボールが大きくなったように見えるようです。

 それでは、レンコンさんが、オクラさんとピーマンさんと一緒に住んでいるというのは、どういう意味なのでしょうか。

  突飛な発言は、あまり深く考えてもいけません。4年間の教訓です。

2009年6月11日 (木)

綾部高校・甲子園・早稲田大学・阪神タイガース

090608  だいぶ前の、ひらがなを覚えている頃、イチローが「ぱぱとばあばは、なんか似てる」と言うので、「そりゃあ、親子だもんな」と思ったら、「ぱとば、が」と言ったので、「そっちかい」と思ったことがありました。

 最近、イチローが「ママと○○ちゃんのお母さん、どっちが大きん?」と言いました。ママローが、「それは見たらわかるやろ、○○ちゃんのお母さんでしょ」と答えたら、「○○ちゃんのお母さんて、何歳なの」って言ったので、やっぱり「そっちかい」でした。てっきりサイズの方だと思っていましたが、同じ「そっちかい」の話でも、イチローは、ずいぶん成長したなあと思います。

 前回のブログで、イチローが、夏の高校野球に備えて、綾東幼児園へ通う車の中で綾部高校の校歌を覚えたと書きましたが、校歌はまず、パパローが歌うのをじっと聴き、それから一緒に歌いながら覚えていきました。

 校歌は、「四尾山の朝のかぎろい」で始まります。「四尾山」は車の中から指さして教えられますが、「朝のかぎろい」は意味もわからず、暗記します。そういえば、「『まなーびのみーちー』って、どういう意味?」って聞いたこともありました。

 意味はわからなくとも、5、6回も聞くと覚えます。それから、一緒に歌って微修正して、ほぼ完璧に覚えました。完全に覚えてしまった最近では、こちらが歌詞を間違えたりすると、ボソッと「高く、新たにやろ」などとつぶやいて直されたりします。

 現在、車の中で歌っているのは、この綾部高校の校歌と、夏の甲子園大会のテーマ曲「栄冠は君に輝く」、早稲田大学の第一応援歌「紺碧の空」、そして、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」です。

 まあ、ここから先は妄想ですが、これらの歌をつなげると、綾部高校で甲子園に出場し、早稲田大学で活躍して阪神タイガースに入団する、というストーリーが出来上がっているといえなくもありません。偶然ですが、そのようになっているなあと思ったのでした。

 綾部高校出身のプロ野球選手は、過去にただ一人で、今年、巨人に入った杉山投手だけです。ですから、これまでに、このルートをたどった人はいません。

 もっとも近いのは、大阪の北陽高校で甲子園に出場して早稲田大学から阪神に入った岡田彰布前監督と、埼玉の聖望学園で甲子園に出場して早稲田大学から阪神に入った鳥谷敬選手でしょう。

090610_2

といって、イチローは、球場へ行っても鳥谷選手には目もくれず、背番号「6」の金本選手の大ファンです。

 なぜ、金本選手なのかは今のところ不明ですが、あまりに大好きなので、幼児園へもっていくお弁当も、ママロー特製の「阪神・金本弁当」なのでした。

2009年6月 8日 (月)

綾部高校の校歌、練習してます。

 090606 朝、綾東幼児園へ行くクルマの中で、イチローは綾部高校の校歌を練習しています。

 去年の今頃も練習して、けっこう歌えるようになっていたので、6月になってから始めて、もう一人で歌えるようになりました。

 練習する目的は、もちろん夏の京都予選で野球部を応援して、選手や監督、顧問の先生、それにいつもかわいがってもらっているマネージャー、そして顔なじみになった保護者の皆さんとも一緒に校歌をうたうためです。夏の予選は、勝てば校歌がうたえるので、まず、1勝です。

 今年の京都は、スポーツライターとして予想すると、福知山成美がやや抜けた存在だと思います。戦力的に見ても、かなり強いです。でも、田所監督にそう言うと、「そんなにうまいこと行かへんのですよ」とおっしゃるように、高校野球は何が起こるかわかりません。そういうところも、見る側とすれば、高校野球の魅力の一つですが、なじみの深い福知山成美にも頑張ってほしいと思います。

 綾部高校は、春の大会は1つ勝ちましたが、次で勝てると思った相手に負けてしまいました。それでも、今年は春の大会でベスト8に残った鳥羽や東山に、練習試合では勝っています。大会に向けてうまく仕上げていけば、面白い存在になれるのではないかと思っています。

 最近、イチローは、試合中の得点経過もわかるようになりましたし、得点の足し算も数え、数えできるようになってきました。この土、日で計3試合見た練習試合では、「綾部12点、相手は1点、いえーい!」と喜んだり、途中経過を見て「まだ2対2か、なーんや」と言ったりしてました。

 せっかく校歌も覚えたので、今年の夏は1回といわず、何度も歌いたいものです。

2009年6月 5日 (金)

イチローの大好物

20090512  現在、5歳のイチローの大好物は、

さしみ、イクラ、さけ、ほっけ、ちりめんじゃこ醤油炒めのおにぎり、

おもち、さつまいもの天ぷら、ちくわの天ぷら、とりのから揚げ、フライドポテト、カレーライス、トマト煮、ホットケーキ、焼き肉、たまご焼き、肉じゃが、するめ

トマト、キュウリ、アボカド、いちご、ぶどう、スイカ、パイナップル、ヨーグルト、りんご、りんご入りポテトサラダ、きゃべつの切ったん、大根の煮たん、

ポケモンパン、茶そば、たこ焼き、ふりかけ、

 といったところです。

 けっこういろんなものを食べます。一日ごとというより、一週間単位でバランスよく食べればいいかあと思っているくらいです。もちろん嫌いなものもありますが、あんまり気にしていません。

 というのも、あのマリナーズのイチローが、子供の頃、かなりの偏食だったからです。とにかく野菜はほとんどダメという偏食のうえ、少食で、食べるのも遅かったようです。クラスの仲間が食べ終わっても、一人で食べていたそうです。

 イチローのお父さん(チチローさん)の方針も、「食べたくないものを無理して食べるより、食べたいものを食べたいだけ食べる方がいい」というものだったと、本に書いてありました。

 いくら「めざせ!イチロー」であっても、そこまで真似する必要はないと思いますが、イチローでも偏食があったんだと思うと、「偏食くらいまあ、いいか」という気持ちになります。

 ついでながら、パパローの高校時代までも、かなりの偏食で、野菜はよく食べましたが、豚肉はダメで、鶏肉はじんましん、食べられる肉は牛肉だけでした。そのため、家族が鶏肉料理のときも、パパローだけ牛肉を用意して食べてました。

 また、カップ麺などインスタントものを食べると、かならず腹痛を起こしてましたし、エビ、カニもじんましんで、生魚がダメで、寿司はまったくのNGでした。煮魚もダメでしたので、魚は干物の焼いたものをたまーに食べたくらいでした。

 でも、学生になって、刺身が食べられるようになり、また、いくら食べて飲んでも学生は1300円という西武新宿線・都立家政駅近くのおいしいお寿司やさんに通うようになり、寿司が一番好きな食べ物になりました。仕事も含めて、日本国内はたいてい行きましたが、海沿いのところではいつも寿司を食べてました。

 というように、先の好みは、どうなるかわからりませんしね。だから、パパローも、イチローの食べ物は、あまり気にしていません。ご飯の前に、おやつを食べるのはダメというぐらいです。

 なお、マリナーズのイチローは、自宅から球場入りするときは、決まってカレーを食べるそうです。そのカレーは、野菜をすりつぶして入れた奥さんの特製みたいです。

2009年5月28日 (木)

甲子園行きを自粛しました

 本当は、昨日、甲子園球場へ阪神対西武戦を見に行く予定でした。席も、イチローの大20090526 好きな金本選手を目の前で見られるように、レフト側外野席の最前列を取っていたのですが、新型インフルエンザの影響で観戦を中止しました。

 綾部では、まだ患者は出ていませんが、兵庫県や大阪府は患者も多く、学校や幼稚園が休校になっていました。そんなところへ5歳の子供を連れていって、万が一にも感染してしまったら、イチローがかわいそうです。また、入院したり、事情聴取を受けたり、症状以外でも大変な思いをしなければなりません。

 それに綾部に新型インフルエンザを運んできたことになっても大きな迷惑となります。

 というわけで、もっと早い段階で観戦中止を決めていました。イチローとママローは、先週の土曜日からの東京行きも中止をしており、最近は、中間テストの明けた綾部高校野球部に行っただけで、静かな日々を送っています。

 ただし、昨日のナイター中継をみると、お客さんは満員で、中には、小さな子供もいました。0・8秒ほど気持ちが揺れましたが、来月は行けるといいなあと気持ちを落ち着かせました。

 イチローは、ナイター中継を見ると、すぐに「あっ、金本」と金本の姿を見つけて喜んでいました。

 

 ここ数日、外国のコンピュータからの発信と思われる迷惑コメントが、多数送られています。そこで、コメントを頂く場合には、迷惑コメントを防止する手続きを取って頂くことにしました。お手数をかけますが、よろしくお願いします。

2009年5月24日 (日)

イチローの好きなテレビ番組

 20090512 ゴホン、ゴホンとイチローが咳をしたので、

「咳は、手をお口に当ててやで」

というと、イチローは、おでこに手をあて「ゴホン、ゴホン」と空咳をしました。

「あっ、熱あるかみようと思ったら、咳がでた」

新型インフルエンザの影響で、楽しみにしていていた東京へも、甲子園へも行けませんが、イチローは大丈夫です。

 外出を控えるようにといわれると、家でテレビを見る機会が増えます。普段イチローのテレビ視聴時間は、1週間に5時間前後です。

 実家にはテレビがありますが、綾部高校近くのアパートにはテレビを置いていません。実家の方で過ごす週2,3日だけ見ます。好きな番組は、

『吉本新喜劇』

『こちらかきくけ公園前』

『はねるのトびら』(回転SUSHIとギリギリッスのみ)

以下はディズニーチャンネルです。

『ミッキーマウスクラブハウス』

『新くまのプーさん』

『リトルアインシュタイン』

『スティッチ』

『お助けマニー』

『キム・ポッシブル』

といったところです。

 吉本新喜劇系の番組は、横須賀にいた1歳頃からケーブルテレビで見ています。しかも、当時、他の番組はすぐに飽きたのに、吉本新喜劇だけは30分以上も見続けていたので視聴期間は長いです。

 小さい頃から、「お化けが出たらどうするん?」というイチローの質問にも、パパローの答えは「ごめんくさいと言って笑わせ、仲良くなる」でした。

 本人は、「一回、出てみたい」と言ってます。

イチローはいぶし銀系?

 23日㈯は、イチローの通う綾東幼児園の参観日でした。

 その数日前、イチローが、

「家族の絵を描くんだけど、誰を描いたらいい?」

と聞いてきました。

「ママを描いてあげれば」

とパパロー(なんとも奥ゆかしい)。

「パパ、描きたい」

「パパを描きたいの?(ちょっとうれしい)。じゃあ、パパとママの2人は?」

「一人しかあかんのやもん」

「それじゃあ、ママ描いてあげればよいやん」

「パパを描きたい」

「そうなん(かなりうれしい)。なんでパパがいいの?」

「描くの簡単やもん」

20090523 「簡単」て、あんた。

それで描いてくれたのが、この絵です。

 この日は、子供たちのドッヂボールも見ました。以前、「ぞう組(年長組)」になったら頑張りたいことで、イチローが挙げていたのもドッヂボールでした。

 登園していた21人を2組に分けて、プレーボール。パパローが以前から運動能力が高いと目をつけている子たちは、最前列で果敢にボールを奪って相手チームの子を狙いに行きます。

「おお、いいねぇ」

0905 と思いつつ、イチローは? と探すと、なんと逃げるばかり。ボールを取って当てようという気はさらさらなく、まさに専守防衛でした。

ボールを投げることは、生後6ヵ月頃からしていて、今でも野球ボールならけっこう強いボールを投げます。だから、ドッヂボールでも投げれば、強いボールが投げられると思うのですが、最前列で目立つより最後まで生き残ろうという意思が伝わってきました。

試合後、「なんでボール持って当てへんの?」と尋ねると、

「何人残るかで、勝つか、負けるか決まるもん」

考えてますねー。勝敗を考え、少しでもポイントに役立つようにと、ひたすら逃げる。華やかな活躍はしないけれど、いぶし銀系の選手といえそうです。

ただ、イチローの生き残り戦術は、クラスにも認めてくれているお友達がいるようで、逃げるイチローを盾にして、さらに生き残ろうという子もいました。

2009年5月19日 (火)

縄跳びが上手になりました。

20090322  イチローが、縄跳びを始めたのは4月半ばのことでした。でも、初めて自分でやってみたところ、縄を体の後ろからヒョイと上げると同時に跳んでいまい、縄が一回転する前に着地していました。

 そこで、まず、縄を体の後ろから前へ回す練習だけさせました。そして、スムーズに縄を回せるようになると、つぎはジャンプだけ練習させました。最初の頃、ジャンプするとヒザを曲げていたので、ヒザを伸ばしたままその場で跳ぶ練習をさせたのです。

パパローの教える練習法は、たいてい、こうして一部分だけに絞って練習する「分習」です。

 0905 すると、10分ほどで何とか跳べるようになり、あとは、自分で縄跳びを持っては外出して綾部高校野球部のマネージャーに見てもらったり、ママローに見てもらって練習したようで、数日で連続跳びと走り跳びもできるようになりました。

 何も教えなくても自分でこなしてしまうというところまではいきませんが、教えてあげると素直に聞いて、パッパッとこなすので、教えるのが大好きなパパローとしても教え甲斐があります。

2009年5月 7日 (木)

京町家に泊ってきました。

090501  連休を利用して、埼玉からママローの妹のちーちゃんが遊びに来てくれました。ちょうどよい機会だなあと思って、関西に引っ越した2年半前から興味があった京都の町家に、一緒に泊ってきました。

 お世話になったのは、西本願寺近くにある「nao炬乃座」さん。築100年近い町家を一軒丸ごと貸してくれます。

 Photo 到着すると、オーナーの女性が迎えてくれ、さっそく家の中を案内してくれました。お風呂は、陶器の大きなバスタブにリニューアルされていて、檜の木玉がたくさん置いてありました。「お風呂に浮かべていただければ、いい香りがしますよ」といわれ、イチローは、その木玉をとって鼻先に。オーナーの女性から、

「いい香りがするでしょう」

と聞かれると、イチローは、

「いま鼻が詰まっていて、わからへん」

 一同爆笑のなか、パパローは「ナイス・ボケ」と小さくガッツポーズしてましたね。

 ここに泊ったのは一晩だけでしたが、とても快適でした。ホテルや旅館のように部屋の外を通る人の気配は、まったくありません。まるで家にいるようなのですが、そうかといって、家の中に食器棚とか、読みかけの本とか、生活を感じさせるものもありません。「旅の途中の家気分」という非常に新鮮な感覚でした。ホテルや旅館に何百回泊まったかわかりませんが、この種の居心地のよさは初めてでした。

 それに建材が天然で、それが100年の間に熟成されていますからね。年代物のワインと一緒で、醸し出される空間の味わいが、なんとも「はんなり」でした。空間が、「まあ、お座りやす20090501」と言ってくれているような感じがしました。

  090501snola         今回は、西本願寺や竜安寺に行ったり、河原町界隈で日本初上陸というSNOLA(フローズンヨーグルトでトッピングいろいろ)に寄ったりもしたのですが、イチローがもっとも楽しかったのは、

「お風呂で、木の玉を浮かべてバシャバシャしたこと」

でした。そういえば、陶器のバスタブというのも乙なものでしたねぇ。

2009年5月 1日 (金)

秋、見つけよ。

 20090408          4月になって暖かい日が増えたので、イチローを幼児園へ迎えに行って山間の実家へ帰る日も増えました。

 最近は、実家までの道路をたくさんの毛虫が、もそもそと歩いて横断しています。だから、パパローは、いつも毛虫を避けながら慎重にクルマを運転しているのですが、そんな帰り道、イチローと旧小学校跡のグラウンドへ寄って一緒に遊ぶ日も増えました。

 グラウンドですることは、いつものように野球、サッカー、かけっこ、鬼ごっこなどですが、最後は葉っぱや花、虫たちとのふれあいです。早春ならふきのとうやつくし、いまならフキやイタドリに興味をもっていて、先日は、フキを3本とって「夜のおかずにしよ」と持ち帰りました。

20090408_2  また、ある日は、イチローが、

「なあ、パパ、秋、見つけよ」

と言ってきました。

「いまは、春やで」と返すと、

「いまは春やけど、秋のものも残っとるやろ」

と言うんです。

「なるほどなあ」と思って、パパローは辺りを見回し、赤紫っぽい葉を見つけて、「これ、秋みたいじゃない?」と聞きました。すると、イチローは、

「それは、生えてたやろ。春のもんやで、あかん」

 そう言うとイチローはしばらく辺りを探し、こぶし大の石をつかんできました。

「僕、これ」

「そんなん石やん」

「この石は、秋からずっとあるやろ。秋、見つけたぁ」

いやあ、5歳になって、こんなこと言うようになりました。

2009年4月26日 (日)

スイミングをやめました

 20090221 昨年4月から通っていたスイミングクラブを退会しました。

 3月の始め、お風呂でイチローが、急に、

「パパ、僕、スイミングやめたい」

 と言いました。楽しく通っていると思っていましたので、その言葉には、ちょっと驚きました。理由を聞いてみると、はっきりしたことはわからないというか、言葉では説明できないようでしたが、お風呂に入りながらいろいろ話をしたり、この1年を振り返ってみると、

 クラスが土曜の午後3時から1時間半でしたので、どこかへ遊びに行くこともできず、綾部高校の野球部の練習に行っていても、途中で抜けなければなりませんでした。また、夕方に終わるので、スイミングが終わるとクルマの中で寝てしまうことも多かったのも、イヤだったのかなあと思います。

 イチローも、理由を尋ねるなかで、「もっとお子様(ランチのようなメニュー)を食べにいきたい」とか、「もっと野球がしたい」と話してました。まあ、「もっと野球がしたい」といえば、パパローが納得すると思っているのかもしれませんが。イチローは、それくらいは計算できる子です。

 そうかといって、平日のクラスに変更すると、大好きな綾東幼児園を早退しなければならず、それもイヤだったようです。

 というわけで、ママローとも話して退会することにしました。スイミングクラブでは、よいトレーニングをして頂いていたのでもったいないですが、1年で泳げるようにはなったので、イチローもよく通ったと思います。

20090405  それで3月下旬からは、土曜日に福知山の三段池公園へ行ったり、綾部高校へ行ったりしています。とても楽しそうです。まあ、元気に身体を動かせていればいいと思います。

 今日は、綾部高校野球部の春季京都大会の試合があって、勝てば2次戦進出(ベスト16)だったんですが、東舞鶴高校に1対6で負けてしまいした。4月になってからの練習試合で、東山や鳥羽という京都では強い学校にも勝っていましたが、今日は不運と悪い面とが重なり、残念な結果になりました。

 イチローも試合を見に行っていて、試合後、選手に「また勝てばいいやん」と声をかけていました。

2009年4月25日 (土)

イチローの4つのお願い

Photo  イチローが、ミルキーを綾部高校の野球部にもって行った時、マネージャーから、その包み紙にペコちゃんのイラストが10個描かれていると、ひとつ願いごとが叶うと聞いてきました。それ以来、ミルキーを食べると、包み紙のペコちゃんを数えていましたが、結局、4枚見つかったそうです。

「ぼく、4つお願いできるんやで」

と言っていたので、イチローの4つのお願いを聞いてみました。

1つ、お友達がたくさんできること。

(綾東幼児園のぞう組と横須賀のひまわりの時のお友達、それに親戚の子供たちと秋田県のお友達。スイミングで知り合った子。それと綾部高校野球部の選手、マネージャーたち。いまもたくさんのお友達と親しくさせてもらっています)

2つ、さつまいもをたくさん食べること。

(そんなにさつまいもが好きだったのか。たしかに、天ぷら、焼きイモから大学いもまで大好きです)

3つ、野球のイチローになること。

(オー!)

4つ、強いバッターになること。

(オー! オー!)

以上でした。

20090422  このブログを始めて、ちょうど3年になります。最初は、親戚の方たちに近況を伝えようと始めましたが、だんだんアクセスして頂く方々が増え、現在は1日に50~100人の方々にアクセスしてもらっています。ありがとうございます。

 なかには、「イチロー」や「綾部高校」に反応してアクセスしたものの、「はっ?」という方もいらっしゃると思います。そんな方には、まぎらわしてすみませんと申し上げます。

 ちなみに、アクセスして頂く方々は、京都と東京在住の方々がそれぞれ全体の30%を占めて最も多く、つぎが大阪の方たちで全体の15%、4番目が前住地の神奈川からで全体の10%ほどとなっています。

 仕事の関係もあって、更新が不定期なんですが、できるだけ更新していきたいと思っています。今後もよろしくお願いします。

2009年4月 5日 (日)

WBC,福知山成美効果かな?

 4月3日に、福知山にある三段池公園へ遊びに行ってきました。

 20090403 ここは野球やサッカー、ラグビーのできるグラウンドやテニスコートもありますが、芝生が敷かれた広場に子ども用の遊具もあって、休日には、福知山や綾部あら小さな子供たちが集まってくる場所です。

 イチローも、この公園が大好きで、「三段池公園、行こか」というととても20090403_2 喜びます。その日も、春休みでお天気に恵まれたこともあって、たくさんの親子でにぎわっていました。

 イチローとは、まず、芝生でバッティング練習、キャッチボール、相撲、サッカーのパス練習をして、公園内をぶらぶら。葉っぱやどんぐりなどを見て回って、最後に遊具で遊ぶというのが、いつものパターンです。

今回、「へぇ~」と思ったのは、普段はサッカーをしている親子の方が多いのに、野球をしている親子が目立ったことです。

 やっぱり、WBCで日本が優勝した影響でしょうか。そういえば、前回のWBCで優勝した直後も、横須賀市ハイランドの公園でも、いつもサッカーをしていた子供たちが、一時期野球をしていました。

 まあ、福知山の三段池公園の場合、センバツに福知山成美が出場してよい試合をしたことも大きいと思います。それに、今回目立ったのは、野球をしている女の子と親が5組もいたことです。これは、今春、福知山成美に女子硬式野球部ができたからかもしれません。

 ただ、うちの場合、世の中で何が起きようと、野球中心で、あと相撲とサッカー、散歩です。

 4月1日、センバツ高校野球を見に、家族で甲子園球場へ行ってきました。準決勝戦で20090402 清峰が報徳学園に4対1、花巻東が利府に5対2で勝った試合です。

 イチローは、お土産として、幼児園へ持っていくハンカチを買ってきました。 

2009年3月31日 (火)

春休みになりました。

 少し前に、セブンイレブンの前を通ったら、イチローが「ここのセブンイレブン、(京セラドームへ)イチローを見に行く前に買ったところやろ」と聞くので、

「そうや。あの時、何を買ったんやった?」

と尋ねたら、

「覚えとるでぇ。パパ、言うてみ」

だって。

 通っている幼児園の話をしていて、「先生に怒られたことある?」と聞いたら、「あるで」と答えたので、「何で怒られたん?」と聞いたら、

「知らんで。夢の中の話やもん」

だって。いやあ、将来、野球での駆け引きが楽しみです。

090225  そんなイチローも、幼児園の「ぱんだ組(年中組)」を無事終了。春休みになりました。その直前、最後のクラスだよりをもらって帰ってきましたが、その中に「ぞう組(年長組)」で何をがんばりたいか、先生が一人一人に聞いて書いてくれていました。

 実は、パパローは、イチローと同じ組で3人の運動能力の高い子に目をつけていて、将来、一緒に野球ができたらなと思っています。その3人のうち2人が、なんと「野球をしたい」と話していました。そして、もう一人が「サッカー」でした。

 うん、うん、やっぱり運動能力の高い子は野球か、サッカーだよね、と思いながら読んでいくと、イチローの頑張りたいことも書いてありました。

「ドッヂボールをしたい」

ド、ド、ド、ドッヂボール。

パパローは、0・5秒ほどあ然としたのですが、なにしろ、駆け引きの巧みなイチローです。その真意を理解しました(?)。

つまり、ドッヂボールを一生懸命して、肩を強くしたいんやなと。そして、野球のボールが少しでも遠くへ、少しでも速く投げたいんやなと思ったのでした。

090317 ただし、本人には、怖くて、まだ確認できていません。

(ママローとカタカナを覚えていた時には、「ヤキュウセンシュ」と書きたいと言って書きました)

2009年3月18日 (水)

イチロー、脱力の効果に気がついたかな。

 0901メジャー(巻尺)を持ち出してきたイチロー。「パパ、冷蔵庫の上で端っこ持ってて」と言って、メジャーを床まで伸ばしました。「おっ、冷蔵庫の高さを測るんか」と思ったら、イチローは、

「パパ、数字いくつ?」

だって。

「0や。ずっと0やで、端っこは」

 

  そんなイチローは、毎朝、幼児園へ行く車の中で、「うーん」と言いながら鼻から息を続けてだすトレーニングをしています。もともとは、スイミングで顔をつけたとき、鼻から息をだす方法を教えてもらい、これはいいトレーニングになると思って、昨年の9月から、ほぼ毎日つづけてきました。

「せーの」でイチローが鼻から息をだすと、パパローが数をかぞえます。最初の頃は「10」まで続けるのもやっとでしたが、いまでは「20」は軽いです。

最近は、「20」までを3回クリアするまで、車を降りられないというルールにしています。実際、幼児園に到着しても3回目がクリアできなかった朝は、園の前に停めた車の中で5度ぐらい「うーん」にチャレンジしたこともありました。

すると、気合いを入れて「うーん」と言いながら鼻から息を出すのですが、そんなときは、「15」ほどで息切れしてしまいます。そんなことが数回つづくと、イチローは、ちょっと「うーん」のトーンを変えてみたり、自分で工夫します。

あるとき、

「パパ、僕なあ、ボーッとしてやったたのに、『20』まで行ったで。ボーッとしてする方がよくできるで」

と言いました。

大人になれば、たいてい、

「脱力する方が、なんでもうまくできる」

という事実に気づきます。でも、子供のうちに、気づく子はどれぐらいいるのでしょうか。数年前に『すべてはゆるむこと』という本を出版したパパローですが、脱力効果に気づいたのは、20代も後半の時でした。そのとき、自分で気づかなかったという不甲斐なさを棚上げして、もっと早く、だれか教えてくれていたらなあと思ったものです。

だから、うちのイチローには、早いうちに教えてあげたいと思っています。でも、それを言葉で伝えるのではなく、できれば、自分で気づくようにもっていってあげたい。「うーん」のトレーニングを毎日続けているのは、そんな狙いもあります。そのため、イチローが、「ボーッとしてする方がよい」と言ったのは、とてもうれしかったです。

マリナーズのイチローは、21歳のとき、「バッティングで一番大切なことは?」と問われて、「脱力」と即答しました。それを聞いて、この人は本当にすごいと思ったのが、とても印象に残っています。うちのイチローは、7歳ぐらいで「バッティングで一番大切なのは脱力」と実感をもって言ってほしいなあと思います。

ちなみに、WBC侍ジャパンのイチローは、「脱力が一番大切」ということを忘れてしまったような状態で、バッティングも不調ですね。イチローは、脱力のための即効トレーニングをいくつも知っているはずです。ホテルの部屋でちゃんとしてないですね、困ったもんです。

2009年3月 6日 (金)

イチロー、イチローの衰えを指摘。

090225  昨日は、テレビで、イチローと日本対中国戦を見ていました。といっても、イチローは、イチローの打席ぐらいしかまともに見ていないで遊んでいましたが。

 あれは、イチローの第4打席のことでした。うちのイチローが、イチローの打席になってもテレビを見ないので、一緒にいたばあばが、「イチローやで、テレビ見なよ」と声をかけましたが、それでも見ません。まあ、確かに、イチローのそれまでの3打席は、いずれも不甲斐ないスイングで凡退していましたので、パパローは、「もういいや」と思っているのかもしれないと考えていました。

 その第4打席も、結局、イチローはショートゴロに倒れたのですが、そのとき、ばあばが、「ほれ、イチローが打ったで」と言うと、うちのイチローがこう言い返したのでした。

「あれは打ってへんで。バットの先っぽに当たっただけやで。バットの真ん中で打たなあかん」

 ビックリしました。普通、5歳児が、こんなことを言います? しかも、いつの間に、イチローのバッティングをちゃんと見てたのでしょうか。さらに、どこで、そんな言葉を覚えたんだろう。 

 パパローが、綾部高校野球部で練習のお手伝いをする中で覚えたり、ふだんの自分のバッティング練習の中で、そんなことを感じていたのかもしれません。ちなみに、うちのイチローがバッティングの練習をする時、パパローは、「いまのはいいねぇ」とか、「惜しい」ぐらいしか声をかけません。

 最近、うちのイチローは、幼児園の先生に「僕、野球のことしか知らん」というのが流行りなんですが、ひょっとすれば、野球についてかなりの知識をもっているかもしれません。聞いても教えてくれないところが、また不思議です。

 

 パパローの見立てでは、イチローは、まだ体ができていませんね。かつて、イチローは、「もも裏の張りが好不調のバロメーター」と話していたことがありますが、先日、京セラドームで見たイチローは、ひと目で「もも裏がまだできてない」とわかりました。そのため、下半身にキレがなく、バッティングでも開きが早くなったり、下半身で粘れなくなってボールを捉えるタイミングがズレていると思います。だから、うちのイチローが指摘した通り、バットの先っぽや下っ面でボールを打ってしまうのでしょうね。

2009年2月27日 (金)

わくわくした1ヵ月でした。

 イチローにとって、この1ヵ月は本当にわかうわくした日々でした。初めてイチローを生で090201 見るというのが、すごく楽しみだったようです。

 なにしろ、生まれた直後からイチロー選手の話はしていますし、家にはポスターも貼ってあります。テレビや新聞で顔や姿を見るたびに「あっ、イチロー」と叫び、「アメリカへイチローを見に行く」というのが最大の楽しみのようになっていました。

0901 「ええと、あと〇日寝たら、イチローやろ」

と指折り数え、

「25日は、給食食べた頃に迎えに来て、行くん?」

と何度も確認していました。当日の朝は、いつもより1時間も早い6時半に自分で起きだしてきましたし、幼児園に着いたのも普段より30分も早かったです。そして、幼児園まで迎えに行くと、

「キタ~!」

と叫んで走り回っていました。

 イチローには、何歳になっても、わくわくした日々を送ってほしいです。そのためには、いまのうちからわくわくした日々をできるだけ体験して、わくわく感を心にいっぱい刻んでおいてほしいと思います。

 わくわくさせてくれる野球に感謝。そして、イチロー選手の存在に感謝して、これからも野球とイチロー、阪神タイガース、甲子園球場で盛り上がっていきたいと思います。

2009年2月26日 (木)

イチローを見てきました。

 090225 2月25日に、京セラドームへ行ってイチローを見てきました。

 イチローは、初めて生で見るイチロー選手に大感激。たぶん豆粒ぐらいにしか映っていませんが、打席とライトの守備につくイチロー選手の写真も撮ってきました。

 でも、まともに試合を見ていたのは、イチロー選手と先発の松坂投手、それに抑えの藤川投手ぐらい。あとは何かを食べているか、少し後ろに20090225 いた10代の大学生3人組に遊んでもらっていました。

 スタンドが一体となって「イッチロー」と声をかけると、うちのイチローが「はーい」と返事しながら手を振ったり、「イチローがこんなんしてる」と言いながら、イチロー選手の腰に手を置いた立ち姿やストレッチを真似して笑わせていたので、「前田、前田(関西の子供の漫才師)か」と突っ込まれたりしていました。

 2年前なら、女子高生や女子大生のところへ遊びに行ったのですが、やっぱり5歳になると、羞恥心もできてきて、遊びに行くのはお兄さんたちのところですね。

 通っている綾東幼児園では、先生やクラスのお友達が、「イチロー君が行っている」というのでテレビ中継を見ていてくれたようです。今朝、幼児園へ送っていくと、女の子たちが靴箱のところまで迎えにきてくれて、

「イチローは映っとったけど、イチ君は映ってなかった」

とか、

「昨日は夜の九時までテレビでやってたので、今日、イチ君は休みかと思っとった」

と声をかけてもらいました。

 将来は、本当に野球の試合でテレビに映り、お友達から「昨日、見たで」と言ってもらえるようになるといいんですけどね。

2009年2月 3日 (火)

綾部高校の校歌がうたえる日

 20090111          センバツ高校野球の出場校が決まって、プロ野球のキャンプが始まって、少しずつ野球シーズンが近づいています。イチローは、今年も、パパローと一緒に、たまに綾部高校の野球部へ顔を出しています。

 最近は、梅原監督のお話もしっかり聞くようになりました。

 そういえば、昨年の夏頃、綾部高校の校歌を覚えました。ある日、イチローが、パパローに聞きました。

「なあ、綾部高校の校歌って、いつ歌うん?」

「綾部高校が試合に勝ったら」

「いつ勝つん?」

「……」

 そうなんです。綾部高校は、昨年の夏は初戦敗退。秋は2戦2敗と、イチローが校歌を覚えてから、まだ勝利はなし。現在、野球部は、まず1勝をめざして練習に励んでいます。

 イチローも、球場の応援席で早く校歌を選手やマネージャーたちと一緒に歌えればいいですね。

 

 2月25日に、大阪の京セラドームへ、日本対オーストラリアの練習試合を見に行きます。この試合で、イチローは、初めて生のイチローを見ることになります。

 イチローも、とても楽しみにしていて、いまから幼児園の先生にも「2月25日は早く帰るで(早退します)。イチロー見に行くから」と行っているそうです。

 教室のホワイトボードに「2月3日」と書いてあるのを見て、「えっ、今日って23日なん。あと2つ寝たら、イチローを見に行くん?」と聞いてきました。よほど待ち遠しいようです。

2009年1月28日 (水)

自信をもたせる子育てとは?

 今年初めてのブログを「今年も、自信をもたせる子育てで」というタイトルで書いたら、それを読んだ知人から、「イチロー君が、横綱朝青龍やボクシングの亀田三兄弟のようになってもいいの?」と言われたました。

 なるほどねぇ。

 自信過剰と、根拠のない自信、つまり、虚勢ですね。

 自信をもたせる子育ての結果が、自信過剰になったり、虚勢になっては困りますが、その大きな原因は、結局のところ、社会性の欠如にあると思います。

 もともと、パパローは、子育てのもう一つの大きな柱は、「社会の中で協力し合って生きていく力を身につけること」と考えています。これは、現在のイチローなら、家庭や幼児園の中で楽しく過ごすことで身につくことだと思います。

 社会性ということでいえば、うちの場合、イチローには、小さい頃から「やさしくね」と「大事、大事」という言葉をよくかけていました。

 20081205 たとえば、横須賀の公園でお友達と遊んでいても、パパローはしょっちゅう「やさしくね」と声をかけていて、ママローは、よく「大事、大事だよ」と声をかけていました。葉っぱや花を大事にするように、お友達やおもちゃも大事にしてねという意味を込めていました。

 現在、イチローは、幼児園などで「やさしい子ですね」とよく言われますので、小さい頃から0901 のメッセージは浸透しているのかなと思っています。

 また、もう一方の「自信をもたせる子育て」とは、具体的には、ほめることが中心になりますが、むやみにほめるのではなく、ほめる目的や場面、方向性も考えています。それは、現在のところ大きく分けて5つあります。

ひとつは、上で書いたように、社会で協力し合って生きていく力を身につけるため、そのような場面で、そのような方向でほめるということです。公園でもっと小さな子と一緒に遊んでいて、やさしくできたら、その行動について具体的に指摘しながら、やさしくできたねとほめるといった感じです。

 ふたつめは、基本能力を育てるためです。

 基本能力とは、将来、どんな道に進むにしろ、基本となる力のことと考えています。具体的には、元気を出すこと、本気になれること、根気よくできること、旺盛な好奇心をもつこと、向上心をもつこと、集中力を身に着けることなどで、こうした基礎能力を育てるため、それが育つような場面で、それが育つ方向でほめるということです。

 みっつめは、「脳力」のアップのためです。

「脳力アップ」といっても、専門的なメソッドに頼るのではなく、日常生活の中に自然な形で組み込んだものです。すでにイチローが生まれた直後から、いくつもの仕込みをしています。

 たとえば、イチローは、1歳半から一時預かり保育に通い、現在は幼児園に通っています。その約4年間は、ずっと片道15分ほどかけて送り迎えをしていますが、そのクルマの中は大きなチャンスです。

 その日、どんなことをしたか、先生がどんなことを言ったかなどの話を聞きます。すると、それを語るイチローの頭の中には、その日の出来事が映像として浮かんでいるはずで、狙いはそこです。たとえば、試験勉強でも、大事なことを映像として覚える方が効率はいいことはよく知られていますし、文章を書くにも、いろんなことが映像として浮かべば、それを見ながら書けばいいので、とても楽ちんです。もちろん、過去の出来事が映像として脳にインプットされれば、記憶にも残りやすいです。

 何かの刺激に対して、頭の中で映像がパッ、パッとフラッシュすればいいなあというのがあって、願わくば、イチローの頭の中の映像は、パパローの映像より、もっと鮮明で、表示スピードが速くなればいいなあというのもあるのでコツコツと続けています。現在では、すごく細かなことを話したり、人やものの動きのわかるような話をしたとき、特にほめるようにしています。

 081130          よっつめは、基礎具体力を身に着けるためです。

 基礎具体力とは、ある分野にとって基礎となる具体的な能力という意味です。はさみで切るとか、読み書き計算とか、野球ならボールを投げたり、ボールをバットで打つことです。

 野球以外は、ほとんどママローに任せていますので、パパローは、横で見ていてほめる役です。

 いつつめは、『すべてはゆるむこと』(小学館文庫)の著者としては、やはり、ゆるんでいるときですね。体や心がゆるんでいるなあと思うときには、激しくほめます。

 とまあ、このような感じで日々イチローに接していれば、自分自身に自信をもち、自立した子になってくれるんじゃないかなあと思いながら子育てを楽しんでいます。

2009年1月21日 (水)

高校ラグビーのトーナンメント表を切り抜きました。

 パパロー、ママローとも、新聞記事のスクラップをしています。その影響で、イチローも、今年から本格的に新聞記事の切り抜きを始めました。 20090120                   

 これまでも、京都新聞に気に入った写真などがあると切り抜き、ガラス戸に貼ってはいました。 せっかくなので、今年からは、切り抜いた写真などをノートに貼るようにしたのです。

 まず、切り抜いたのが、ふくろうの石像の写真でした。そして、2番目がロシアからウクライナを経由してヨーロッパ各国へ送られるガスのパイプラインの地図です。イチローは、まだひらがなと少しのカタカナしか読めないので、やはり、切り抜くのは、写真や地図でした。 20090113        

 ところが、先日、イチローが切り抜いている記事を見てビックリ。なんと、高校ラグビーのトーナメント表を切っていました。それが、どういうものなのか、本人はわかっていないようですが、その上に、常翔啓光学園の優勝を伝える記事と写真があり、ラグビーに関係する面白い図と思ったようです。

 そういえば、今年のお正月は、病後であまり外出せず、家でテレビを見る機会が多かったですが、その中に、高校ラグビーも入っていました。しかも、京都成章がベスト4へ進出したので、パパローと一緒にけっこう気合いを入れてみてました。

 また、イチローにとっては、これまでテレビでラグビーを見たことがあっても、サッカーとラグビーの違いをはっきりと認識したのは、今回が初めてのことでした。それに、早稲田大学が優勝した大学ラグビーの決勝も、スイミングに行く直前まで、クルマの中でテレビ観戦しました。今年のお正月は、ラグビーづいていたこともあって、思わず切り抜いてしまったのですね。

 1枚のトーナメント表には、本当にたくさんのドラマが詰まっています。書かれているのは、出場チーム名と点数、そして、勝ち上がりを示すラインだけです。しかし、そのシンプルなデータの奥に、いくつもの場面が見えてきます。イチローの切り抜いたトーナメント表でも、パパローなら真っ先に、準々決勝で8対7と1点差に迫られた京都成章が、佐賀工の怒涛の攻めを体を張ったタックルでしのぎ切った場面が浮かびます。ほんの小さな紙片でも、実に多くの人間の思いの丈が詰まっているのです。

 スポーツ好きにとって、トーナメント表は、それほど大切なものです。イチローは、よくそんな大切なものを的確に切りぬいたと感心します。そして、セロファンテープでノートに貼られたトーナメント表には、5歳で記事のスクラップを始めたイチローの思いの丈も詰め込まれたのでした。

 せっかく始めた新聞記事のスクラップ。ずっと続けていけるように、見守ってあげたいと思います。

 

2009年1月20日 (火)

今年も、自信をもたせる子育てで。

 新年おめでとうございます。

 パパローの仕事が少したて込んで、ちょっと遅い初書き込みとなりました。

 081130 昨年末、インフルエンザにかかり、楽しみにしていた関東行き(親戚に会ったり、TDLに行く予定でした)が中止となりましたが、イチローは、元気で新年を迎えました。

 081130 といっても、病後なので、家で過ごすことが多かったです。ぬり絵をしたり、絵を描いたり、お笑い番組を中心にテレビもよく見ました。お笑いの中でイチローのお気に入りは、「吟じます」の人で、

「感じがする~。あると思います」

 というのを真似していました。

 昨日の朝、幼児園へ送って行った時、上履きに履き替えたイチローが、担任に、

「バイバイ」

と手を振り、

「先生にか」

 と突っ込まれていました。これを見て、パパローは、さっそくお笑い番組効果でボケてみたのねと思ったのですが、帰宅後に聞いてみると、本当に間違えたと告白していました。

 でも、間違えた後も、何食わぬ顔で先生に向かって「バイバイ」と手を振りながら教室に入っていったので、「あれは、さすが、イチくんやったね」と誉めておきました。

  子育てを始めて、5年と2か月。

 子育てとは、子供に自信を持たせることかなと思います。

 今年も、この方針を軸にイチロー、ママローと楽しく暮らしていきたいと思います。

2008年12月29日 (月)

インフルエンザでした。

 16日(火)に発熱して幼児園を休み、良くなったと思ったら、18日(木)に再び発熱。病院へ連れていったら、初めてのインフルエンザにかかっていました。

 20081224_4         

 高熱と咳に苦しめられて、結局、25日(木)までお休み。楽しみにしていた幼児園でのお餅つきやクリスマスパーティーにも行けませんでした。イブは、家で、予約していたケーキだけを食べました。なんとも散々の学期末となってしまいました。

 インフルエンザにかかる前、イチローに、「サンタさんに、どんなクリスマスプレゼントをお願いするの?」と尋ねたら、なんと、

「プレゼント、いらない」と答えたのでした。

 イチローは、ホントに物欲がないです。これは、やっぱり親の影響でしょう。普段から、ほとんど物を買わないですからね。そういうところを見ていると思います。

 でも、数日後、「やっぱり、プレゼント欲しい」と言いました。何かと思ったら、

「お弁当箱」

 なんとも現実的な子供です。

 そういえば、今使っているシンカンセンのお弁当箱は、横須賀時代から3年ほど使っていて、新幹線のキャラクターがはげかけているし、1年ぐらい使っている箸箱は、ヒビの入ったところに、水に強いバンドエイドが貼ってあります。まだ使えることは使えるのですが、けっこう古くなったので、新しいのが欲しいということでした。

 というわけで、クリスマスの日は、サンタさんからのお弁当箱のプレゼントを待っていたイチロー。

 親としては、5歳から、こんなに現実的な対応でいいのだろうかと、ちょっぴり不安でもあり、さすがうちの子と安心もし、でした。

2008年11月29日 (土)

風邪をひいてました。

 11月16日にいとこの結婚式がありました。イチローは、生まれて初めて結婚式に出Dscn3247 席。その後の披露宴では、ウエディングケーキを載せたワゴンを押して運ぶ役もしました。

 その日、イチローは、やはり生まれて初めての正装も体験しました。新郎のお友達の男性たちには「かっこいい」、「こんな小さい頃、こんなカッコイイ服を着た記憶ないなあ」などなど、新婦のお友達の女性たちには「かわいい」とたくさん声をかけてもらいました。20081116

 でも、その後、風邪をひいてダウン。幼児園も休みました。

 今年は、4月から、水疱瘡にはかかりましたが、風邪で休んだことはありませんでした。休んだのは、家族旅行と甲子園球場へ阪神戦を見に行った日だけです。スイミングに通い始めたこともあってか、とても元気でしたが、急にやってきた寒さに参ってしまったようです。

 それでもよく我慢をして、熱を出したのがパパローの原稿の締め切り直後というのが、何とも親思いのイチローでした。

2008年11月11日 (火)

天理高校の内野選手を見に行きました。

 11月2日(日)、西京極球場で行われた高校野球の近畿大会決勝を見に行ってきました。

 20081102 本当は、京都代表の福知山成美の雄姿を見せたかったのですが、残念ながら、前日の準決勝でPL学園に2対3で負けてしまいました。それで、PL学園対天理の決勝戦を見に行きました。西京極球場までは、クルマで1時間ちょっとです。

 今日のお目当ては、天理高校の1年生で、1番レフトの内野聡君でした。右投げ左打ちの選手で、とにかくバッティングが柔らかい。しかも、軸がしっかりしていて、美しいスイングをします。

 『インコースを打て 究極の打撃理論』の著者としては、イチローに、この内野君のようなバッティングを真似してほしい。素晴らしいお手本になると思います。しかも、内野君は、京都出身。お父さんが天理高校出身で、進学したそうです。

 試合が始まる前、イチローとキャッチボールをする内野君を近くまで見に行ってきました。それからバックネット裏に戻って、「内野君はどの子?」というと、「18」をつけた背番号は見えなかったのに、18人の天理高校の選手の中から、しっかり内野君を見つけました。

 バックネット裏のすぐ近くの席には、阪神、巨人、横浜などのスカウトがいます。巨人のスカウトは、綾部高校の杉山君の担当者ではなかったけれど、「こんにちわ」とご挨拶。まだ若いスカウトなので、13年後……なんて思ってしまいます。 

 試合が始まると、バックネット裏では、まず、打球がどこへ飛んだか集中して見る練習をしました。イチローは、阪神タイガースの試合でも練習していますので、高校生の打球の速さだと余裕でした。

 と同時に、手帳片手に1球ごとに記録します。といっても、「PL学園の勧野甲輝くんは、素材的には1級品だけど上体の力に頼りすぎ」なんて書くはずもなく、スコアシートを記入するパパローの真似をして「Ω」のような記号を書いているだけでした。

 それでも1球ごとにペンを走らせるので、スカウトたちがちらっと見てましたね。

 

2008年10月31日 (金)

綾部の杉山投手が育成ドラフトで巨人に指名されました。

 30日の新人選択会議(ドラフト)で、綾部高校の杉山晃紀投手が、巨人から育成ドラフトの1巡目に指名されました。杉山君は前向きに考えるということなので、綾部出身者では、ソフトバンクの神内靖投手に続いて2人目、綾部高校からは初めてのプロ野球選手が誕生することになりそうです。

 Photo             イチローは、じいじに保育園まで迎えに行ってもらって、帰宅後は、一緒にドラフト中継のテレビを見ました。

 このあたりで名前が出るのではないかと思っていた6巡目、中日が近江高校の小熊君を指名しました。甲子園大会へも出た速球派です。パパローの取材では、近畿地区の高校生投手のなかでは報徳学園の近田君が最も高い評価で、その次に小熊君と杉山君が評価されていると聞いていましたので、そろそろ杉山君も指名されるんじゃないかという期待が高まりました。

次の選択は、日本ハムです。この日本ハムも、杉山君を高く評価してくれていましたので、「いよいよ来るか」と固唾をのんでいると、「スギ」と聞こえて、思わずガッツポーズをしそうになったら、その次が「ヤ」、止まり。「マ」がなく、帝京高校の杉谷君の指名で思わずズッコケてしまいました(杉谷君、ごめんなさい)。

 その後も、なかなか名前が出なかったことで、やきもきしましたが、育成ドラフトで名前が出てバンザイしました。イチローも、よく知っている人がドラフト指名されて、すごく刺激になったことでしょう。

 巨人のスカウトには、投手としてはもちろん、打者としても高く評価されていましたので予想していた球団でした。また、巨人の育成枠からは、山口鉄也投手が1 軍に上が080606_2って大活躍しているように、近年、育成システムもしっかりしているので、よい球団に指名してもらったと思います。さらに、育成コーチの川中基嗣さん(元内野手)のお父さんは、綾部の方で、ここでも縁を感じます。ちなみに、上原投手や岡島投手のお父さんも綾部出身です。

  まだずいぶんと気が早いですが、しっかりトレーニングを積んで1日でも早く1軍で活躍してほしいと思いますね。巨人・阪神戦で甲子園に来るようになれば、楽しみが増えます。イチローは、阪神ファンですが、杉山君が登板すれば、その時だけ巨人ファンに変身するんじゃないでしょうか。

でも、まあ、プロの世界は甘くないですし、現実を見据えれば、じっくり体づくりから取り組んで、いま年中組のイチローが小学3、4年になる頃に活躍してくれればいいなあと思います。

 

2008年10月24日 (金)

遠足に行ってきました。

 綾東幼児園の秋のバス遠足に行ってきました。うちは、幼児園の行事にはたいてい両親で参加なので、パ081017 パローとママローも一緒に、京都駅近くの梅小路蒸気機関車館へ行ってきました。

 館内には本物の蒸気機関車が展示してあって実際に乗って見学したり、ミニチュアの電車の走るセットがあったり、本当のSLに乗せてもらったりで、とても楽しかったです。

 まあ、パパローの子供の頃は、京都と綾部の間をまだSLが走っていて普通に利用していました。といっても、幼稚園児の親でそんな経験があるのも、もう珍しい存在です。中学校でパパローの1学年下だった女性が、いまでは孫の送り迎えをしてますからねー。

 周りのお父さんやお母さんとは一世代違うので、今回の遠足でも、皆と一緒に行動しようという発想がなかったです。館内に入って記念撮影後、ほとんどの親子は蒸気機関車の見学に向かったのですが、うちは、そのまま広場のテーブルを確保してお弁当を広げてました。そして、皆がお弁当を食べ始めた頃、蒸気機関車のところへ行ったので、機関車の運転席もほぼ独占状態。そうこうしているうちに、お友達が集まってきて、イチローも一緒に遊んでました。

 081017_2 イチローは、実際にSLに触れることができてうれしかったようですが、小さい頃から、電車が大好きというタイプでもないです。電車に乗って出かけるのは楽しかったようですし、新幹線にも、もう何度も乗っています。でも、電車の本やおもちゃに、いつも夢中というタイプではなく、ましてや、電車の名前や鉄道会社名を覚えたということもなかったです。

 普段、幼児園でも、お友達に何かを教えてあげるというより、反対に教えてもらっているようです。たとえば、うちでポケモンのテレビ番組は見ていませんが、幼児園で、番組に登場するモンスターの名前を教えてもらっています。また、うちでは恐竜の話をしたことがないのに、恐竜に詳しいお友達に名前を教えてもらって、けっこう覚えています。

「ドダイトス」や「ピンプク」、「ポッチャマ」、「ティラノサウルス」といった名前を教えてもらっては覚えて帰ってくるので、これは小学校の授業のシュミレーションになっているなあと思いますめ。

 では、イチローは、どんなことに興味をもっているのかといえば、やっぱり、野球ですね。一番のお気に入りは、マリナーズのイチローですが、「55番の松井君より、18番の松坂の方がかっこいいで」とか、「阪神タイガースの6番は金本」とか、「藤川は22番」とか話してます。

 野球選手の話がクラスのお友達と話せるようになるのは、小学3年ぐらいでしょうかねぇ。

2008年10月13日 (月)

プリキュア5ごっこ

 通っている幼児園で、イチローは、5人の女の子と3人の男の子でプリキュア5ごっこをしているようです。

20080927  プリキュア5というのは、日曜の朝に放映しているアニメで、中学生の女の子5人が、何かの謎を解くため(番組の案内を読んでみたけど理解できませんでした)、変身して襲ってくる敵と戦うというような内容らしいです。イチローは、その中で「ココ」という役をしていると言ってました。番組紹介を読むとけっこう重要な役らしいです。

 と、パパローも、その番組については何も知らないのですが、実は、イチローもほとんど知りません。普段、テレビをあまり見ないので、プリキュア5の番組を見たのも1回か、2回くらいです。自分の役の「ココ」が、どんなキャラクターなのかも全く知らないです。そんなので、よく一緒に遊べるなあと驚きます。

「ココって、どんなことするん?」

「わからんで」

「そしたらプリキュア5ごっこの時、どうしとん?」

「女の子が、怪獣が来るで逃げなよって言うの」

「ああ、プリキュア5が教えてくれるんやね。それで、『逃げなよ』と言われたら、ココは逃げるん?」

「逃げへんで。強いもん」

「ココって強いん?」

「あのなぁあ、怪獣が来たら、仮面ライダーに変身するん」

 さすが、イチロー!

 仮面ライダーを登場させるもんなぁ。

 おそらく、プリキュア5ごっこは日本全国の幼稚園や保育園で行われているでしょうが、ココが仮面ライダーに変身するという子は、そうはいないと思います。

 何万人分の一、何十万人分のイチ、かな。

「変わってますね」と言われるのを最高の誉め言葉と思うパパローは、「でかした、イチロー」とうれしくなります。しかも、イチローは仮面ライダーのこともほとんど知らないので、自分なりの動きをしているはずです。独自の発想で動くというのがいいんですね。

 既存のイメージに合わせて体を動かすより、自分の動きたいように動く。その結果として、何かを表現していく。ちょっとした違いのように思えますが、脳の働きを考えたら、大きな違いだと思います。

 まあ、プリキュア5が大好きな子にとって、イチローは、「訳、わかんない」存在でしょうけど、とりあえず付き合ってもらっているようです。そういうお友達たちにも感謝しつつ、自由な発想で元気いっぱい体を動かしてほしいと思っています。

 

2008年9月28日 (日)

運動会がありました。

 9月27日に、通っている綾東幼児園で運動会がありました。

 20080927 イチローは、かけっことクラスの全員が出場するリレー、太鼓、お遊戯、つなひき、それと親子競技に出場しました。

 太鼓とお遊戯も、しっかりできました。横須賀時代の2歳、3歳で運動会に参加して、棒立ちのまま終了というのも見ていますので、「おー、成長したなあ」と思うと、とても感動的でした。当時は、「どうなるんだろう」と思ったこともありましたけどね。いまとなっては懐かしいです。

 走るのは、速い方ではあるらしいんですけど、本人の話によれば、30人ほどのクラスで5番目らしいです。運動会の練習で走ってみて、それぐらいだったということでした。やっぱり、速い子はいますねぇ。

 運動会のクラスのかけっこでは、俊足揃いが集まった最後の2組には入ってました。そして、5人で走って、判定で3位だったですね。

 20080927_2 走る様子を見ていると、けっこうスピードはあると思うんですけど、追い抜きそうになるとスピードゆるめちゃうんですね。そして、後ろのお友達が気になって振り返ったりもしてました。

 後で聞いてみると、本人にそういう意識はないみたいです。まあ、昨年の運動会では、1位でゴールに到着しながら、他の子を待って一緒にゴールしましたからね。勝ちたいという気持ちより、お友達に気をつかうというのか、勝ち負けより大事なことがあるというのか、自然にそんな気持ちになるのかもしれません。

 そういえば、パパローは、大学受験が終わった後、もう人と争そわなくて済むと思ったら、とても気が楽になったのを覚えています。だから、就職活動もせず、在学中に仕事を始め、独立とともにフリーの道を歩みました。フリーランスのライターなら、他人と競争する必要はなく、自分の作品が社会で評価されるかどうかだけですしね。

 そんな親なので、イチローに、あまり勝ちたいという気持ちがないのも当然なのかもしれません。まあ、いいやね。

2008年9月15日 (月)

琵琶湖は、ほふく前進中でした

 綾部の実家の近くに、「白髭神社」という小さなお宮さんがあります。パパローの子供の頃から、家族で初詣に行っていた神社で、ふだんも近所の友達と境内でソフトボールをして遊び、「みんなが遊んでくれるので、雑草が生えなくてええわ」と喜ばれていた神社です。

 いまは、イチローが、毎年7月に催される夏祭りに行っています。

 かつて横須賀に住んでいたときも、近くに「白髭神社」がありました。「しらひげさんとは縁があるなあ」というわけで、家族でお参りに行きましたが、そのとき、綾部の白髭神社について、こんな謂われがあることを思い出しました。

 昔、うちの近所の人が、旅人を手厚くもてなしたところ、その人は、近江の白鬚神社(こちらのヒゲは、鬚の字)の人で近江から鯖街道を通って小浜を経由してこの地を通り、綾部の市街地方面へ行く途中ということで、そのもてなしに感謝する印として分社をしてもらったというものです。

20080910  というわけで、いつか、本宮である滋賀県の白鬚神社に行かなきゃね、と思っていたのですが、今回の琵琶湖への旅で、ちょうどうまくお参りすることができました。

 行ってビックリしたのは、その本宮が2000年の歴史をもつ古い神社だったことです。国道161号線沿いにあって、陸側にも鳥居や本殿がありますが、道路をはさんで湖のなかにも鳥居があって、ちょうどその鳥居の前にいるとき、ボートでお参りに来ているカップルもありました。

 古い神社なので、紫式部が父親の越前赴任に同行して、この辺りで京の都を恋しく思う歌を詠んでいて、その歌碑が立っていたり、与謝野鉄幹と晶子夫妻も訪れて歌を詠んでいました。

 イチローは、何を感じたかわかりませんが、物書きのパパローとしては、真水のあふれる雰囲気といい、淡海に立つ鳥居といい、子供の頃から「お清ちゃん、ムラちゃん」と親しんだ紫式部の歌碑があることといい、しかも、今年は『源氏物語』の千年紀で、何だか心が洗われるような気持ちになりました。

 ママローも、出身地の埼玉県に「しらひげさん」が33ヵ所も分社されており、子供の頃の滋賀県担当といい、しらひげさんといい、深い縁を感じていましたね。ママローとイチローは、お守りを買いました。

 ただ、パパローがちょっと気になったのは、琵琶湖と神社の関係です。

 というのも、琵琶湖が誕生したのは400万~600万年前のことらしいですが、その場所が、現在の三重県伊賀市辺り。その後、琵琶湖は北上して現在の場所にいるのですが、現在も、年間1センチずつ北上を続けているというのです。そして、100万年後には、若狭湾へ抜けるようで、琵琶湖は、現在もひっそりとほふく前進を続けているのでした。

 100万年後、琵琶湖は若狭湾へ抜けるのか。そのとき、白鬚神社はどうなる?

 そんなことを考えながら、うちら家族は、琵琶湖がこの先ほふく前進するであろう鯖街道を通って若狭湾へ抜けて帰ってきたのでした。

 鯖は通るし、神社も通るし、琵琶湖まで通るという鯖街道。これから、うちら家族もちょっとやみつきになりそうですが、帰り道、イチローはチャイルドシードでぐっすりと眠っていました。

2008年9月13日 (土)

琵琶湖へ行ってきました。

 9月9、10日と、家族3人で琵琶湖へ行ってきました。

 綾部からは舞鶴・若狭道で小浜まで行き、そこから鯖街道を経由してマキノ町へ。そこで一泊して、翌日は比叡山の麓のブルーベリーファームで食事をして帰ってきました。

080909 琵琶湖を選んだのは、誕生日を迎えたママローのリクエストです。

 埼玉にいた小学生の時、ママローのクラスでは、生徒がそれぞれ一つの都道府県を担当、その特色を調べて、みんなの前で発表するという社会科の授業があったそうです。

 その時、ママローは滋賀県を担当して、それ以来、ずっと気になっていたといいます。なんとも律儀なエピソードですが、そういうわけで、イチローも琵琶湖へ行くことになりました。

Photo  といっても、2日間のうち20時間はホテルにいて、部屋で遊んだり、ビーチを散歩したりしていました。

 20080909 海辺のようにベタベタしたり、ピリピリとした塩分の刺激がないだけに、湖畔の空気がとても淡白で、サラリとしていました。なにかと薄めの好きなママローは、とても気に入ったようでした。そして、視線の先には、静かな湖面が広がっています。真水のあふれる雰囲気が、気に入ったのかもしれません。

 大津のような都市部とちがって、マキノ町あたりは京都、大阪の避暑地の一つということもあって人口も少なめ。さらに、9月の平日で観光客も少なく、そういうところも落ち着けたようです。

 偶然であっても、そこには縁があります。子供の頃のちょっとした偶然に感じた縁。関東から関西に移り住んだママローには、今回の家族旅行が、その縁をさらに手繰り寄せる機会となったようでした。

 パパローにも、子供の頃の琵琶湖についての思い出があります。小学4年ぐらいだったと思いますが、「琵琶湖が日本一の湖なら、世界一はどこや」と調べてみました。すると、カスピ海というのがわかり、「それで、どれぐらいの大きさやちゅうねん」と調べたら、なんと、その湖の面積が日本の面積とほぼ同じだったのです。

 そりゃあ、ビックリしました。「世界は(スケールが)ちゃうわ」、と衝撃的でした。そして、その思いは、40年近く経った今も持ち続けています。だから、スポーツライターをしていても、日本一より世界一、オリンピックのメダリストに興味がいきます。柔道の谷亮子さんなど多くの人にインタビューしましたが、そのたびに話を聞きながら「やっぱり世界はちゃうわ」とわくわくしてきます。

 イチローは、今回の家族旅行で、海でも、川でもない、湖というのがあることを知りました。また、湖周道路を車で走っている時、ママローとこんな会話もしました。

「もう大津に入ったで」

「大津って。ここらへんは、おうみ(近江)いうんやで」

「おうみって、そんなんどこで知ったん?」

 これからイチローは、「琵琶湖」をキーワードに、どんな感性を育んでいくのでしょうか。

 

2008年8月13日 (水)

北京五輪の水泳を見てます

20080713  北京オリンピックが始まって、イチローもテレビ観戦しています。いろんな種目を少しずつ見ますが、もっとも興味があるのは、やっぱり、スイミングスクールに通っているので水泳です。

 しかも、水泳の中継は、水中カメラを使っていろんな角度から撮影されています。それを見ながら、パパローとイチローがもっとも注目しているのは、自由形のバタ足ですね。

「あのバタ足、見てみ、どう思う?」

と聞くと、イチローは、

「ヒザ、曲がってへんで」

と言いながら、畳の上に腹ばいになり、ヒザを曲げたバタ足をしてみせ、

「こんなん、しとってないで。こうやで」

と言いながら、マネしています。

 イチローは、4月からスイミングスクールに通い始め、今では「ヘルパー」と呼ぶ浮きを腰につけ、ビート板をもって泳いでいます。8月になってからは、「1、2、パッ」といって、息継ぎも練習し始めたようです。自分が習っているので、見ていて楽しいんでしょうね。

 12日の朝には、テレビのニュースで北島康介の金メダルのシーンも何度も見ました。イチローも、ひと目見て、「速いなあ」と言ってましたので、そのスピード感がわかったようです。

「イチも、北島選手と一緒に泳げたらいいなあ」

「えっ、ヘルパーもつけとってないし、ビート板も持っとってないし。一緒には泳げんで。あんなん(ゴール後のガッツポーズ)するんも、恥ずかしいし」

意外に冷静なイチローでした。

2008年7月29日 (火)

スイミングスクールに通って正解でした。

  イチローが、スイミングスクールに通い始めてから4ヵ月になります。まだ泳げないです けど、水中20080517にしゃがんでプールの底に置かれた輪を拾えるようになりましたし、ヘルパーつけてラッコのようにプカッと浮くこともできるようになりました。

 スクールの様子を見学していると、わずか4ヵ月16回の受講だけで、これだけできるようになったということが感動ものなんですが、習っていることをイチローに聞いてみると、スイミングは思った以上に効果が大きいかもしれないぞとうれしくなってきます。

 もともと、スイミングを習いたいと言ったのはイチローです。パパローとしては、マリナーズの城島選手も子供の頃はスイミングに通っていたというし、野球のトレーニングになればいいなあと思いました。

 最も期待したのは、脱力の感覚を身につけることです。マリナーズのイチロー選手が、かつて「バッティングで最も大切なことは?」と問われ、ズバリ「脱力」と答えていましたが、脱力しようと思って無駄な力が簡単に抜ければ、誰も苦労はしないでしょうね。野球でそれができる人が、イチローや城島のような超一流選手になれるのだと思います。

 だから、うちのイチローにも、水泳で脱力の感覚を身につけてほしいと思いました。水に 20080713_2 浮くには、無駄な力を抜かないといけませんからね。それが、習い始めてから4ヵ月もたたないうちに、お風呂で遊んでいたら、いい感じで脱力できるようになっているではありませんか。まだ指一本で支えてあげないと浮んでいられませんが、イチローは無駄な力を抜いて水に身を任せていました。

 こんなに早く上手にできるようになるとは、もうビックリしましたね。このまま続けていけば、かなり期待できるのではないかと思いました。

 もう一つは、呼吸です。

 パパローは、顔を水につける時、息を止めるか、口からブクブクと息を吐くかのどちらかだろうと思っていました。ところが、イチローに尋ねると、なんと、鼻から息を抜くという方法を習っているとか。

 これは、かなり高度です。またまたビックリしました。そして、すごいなあ、と感動しました。

 慣れないと短い時間しかできませんが、慣れると、口から息を吐くより長くできるようになります。また、口より鼻から息を抜く方がよほど深く脱力できます。さらに、泳ぎながら鼻からちゃんと息を抜こうと思えば、普段から鼻呼吸がしっかりできていないと難しいでしょうし、逆にいえば、泳ぎながら鼻から息がしっかり抜けるようになれば、普段の生活でも鼻呼吸が身についているということでしょう。

 普段から鼻呼吸ができれば息が深くなって脱力が進み、気持ちは落ち着くし、度胸は据わるし、ここ一番でも実力が発揮できるようになります。もういいことずくめです。古来、「心身一如」というのはよく聞きますが、「心呼一如」、「身呼一如」とも言われるほど、呼吸は心身のありようと密接に結びついています。

 さすがに水泳は、オリンピックで金メダルを獲る選手のいる種目ですね。こんなに小さいうちから、高度な方法を教えてもらっているのですね。

 というわけで、六月までは、幼児園へ送っていくクルマの中で阪神タイガースや早稲田大学の応援歌を歌ってましたが、七月からは、親子で鼻から息を抜く練習をしています。最初の頃、イチローは、ゆっくり「5」数えるほどしかできませんでしたが、1ヵ月も経たないうちに「10」以上続けられるようになりました。

2008年7月22日 (火)

自転車を買ってもらいました

 20080608         もう2ヵ月も前のことになりますが、じいじに自転車を買ってもらいました。

 買ってもらった頃は、市民グラウンドの横にある昔の交通公園でよく乗っていました。

 6月下旬からは、避暑のため、上林の実家で生活しているので、幼児園から帰ってから実家の庭で乗っています。一昨日、20080609 初めて自転車で公道を走りました。イチローは、ちょっと誇らしげな顔をしていました。

 ただ、お友達には、もう補助輪なしで乗っている子が少なくないようです。でも、イチローは、まだ補助輪をつけているというか、自転車に乗り始めて、まだ2ヵ月しかたっていません。

 でも、このペースがいいような気がします。自転車に限りませんが、パパローは、同年代の子供たちの中で最先端をいくよりも、少し遅いペースでついていくのが、けっこう好きです。そして、先へ先へと進んでいくより、一つ一つの段階を存分に経ていくことの方が大切だと思っています。

 そういう意味でいえば、イチローは、自転車に乗る前には、三輪車に乗っている期間がとても長かったです。毎日のように家の庭を乗り回し、経営しているお店の中まで乗ったまま入ってました。また、近所へ散歩に行くのも、必ず三輪車に乗っていました。だから、今年の春頃には、三輪車に乗るスピードもかなり速くなっていました。

 そんな春のある日、ばあばと散歩に出ました。その途中で、イチローが「鬼ごっこするで」と言い残して、三輪車をガンガンこいだそうです。ばあばが後を追いましたが、とても着いていけません。アッという間に見失ってしまったのです。

 驚いたばあばは、近所のお店で電話を借りて、家で店番をしていたじいじに連絡をしました。しかし、イチローは、まだ家に帰ってません。慌てたじいじが、店番をお客さんに頼み、クルマで捜索に出たのでした。すると、ものすごいスピードで三輪車をこぎ、イチローが鬼から必死で逃げていた、とさ。

 というように、三輪車に長期間乗ったおかげで、足の回転力が、なかなかのものなのです。

 20080625 実は、パパローの頭には、イチローの成長段階について、一つひっかかっていることがあります。それは、生後8ヵ月半ぐらいで立ち上がり、ハイハイの期間が短かかったことです。

 ハイハイの期間が短かったからといって、それが成長にどんな影響があるかはよくわかりません。

 ただ、身体操法の専門家として、イチローの動きを見ると、股関節の動きに比べて、肩甲骨の動きにやや物足りなさが残るのは、ハイハイの期間が短かったことも多少なりとも影響しているのではないかと考えています。

 今は補助輪をつけた自転車に思う存分乗ればいいと思っていますが、2年後に小学校へ入学するまでには、ハイハイの期間が短かった分の埋め合わせをしてあげたいなと思っています。

2008年6月22日 (日)

40試合目の観戦と集中力

 080606 6月6日に、甲子園球場へ阪神対ソフトバンク戦を見に行ってきました。

 家族3人で座ったのが、センターよりのレフトスタンド。新井選手の同点ホームランが、わずか5mほどのところへ飛び込んできました。といっても、阪神ファンが一斉に立ち上がったので、イチローはホームランボールを目で追うことができませんでした。その瞬間、パパローがイチローを抱き上げればよかったのでしょうが、不覚にも油断してました。

 試合は、阪神が5対2で勝ちました。200806065 そして、この試合が、ちょうどイチローにとって40試合目の観戦でした。

 また、この試合では、ソフトバンクが、九州移転20周年を記念して南海ホークス時代のユニフォームで試合をした日でもありました。実は、パパローは、南海ホークス最後の試合を当時の大阪球場で取材していて、パパローにとっても懐かしい企画でした。

 試合中には、この日も、イチローと外野席から打球を追う遊びをしました。ピッチャーが投げるところから注目して、バッターが打てば、その打球を追い、どこへ飛んだか指でさすという遊びです。

 野球では、ボールから目を切らないのが鉄則です。いい選手というのは、常にボールに集中しています。そして、バッターボックスに立ってボールに集中していくと、どんなに賑やかな応援でも聞こえなくなるそうです。そういう意味でも、この遊びは集中力を養うトレーニングになるとも思っています。

実は、集中Photo力の養成は、子育てのなかでとても大切にしていることの一つです。集中力は、何をするにも大切なことだと思うからです。

 たとえば、イチローと同い年(今年5歳)の子供たちを見ていても、ひらがなやカタカナを読んだり、書いたりする子が少なくありません。イチローに送られてくるDMを見ていても、もっともっと早い段階から、小学校へ上がる準備として文字の習得がプログラムに入っていました。

 イチローは、現在、ひらがなだけがだいぶ読めるようになったところです。

 もちろん、文字を覚えることは、大切なことだと思います。でも、それほど急ぐこともないと思っています。だから、文字は、ママローが遊びながらゆっくり教えています。小学校へ上がる準備ということでいえば、集中力を身につけておくことの方が大切だと思っているからです。小学1年の勉強は、先生の話を集中して聞いているだけでもいいぐらいでしょう。

 今、通っている幼児園でも、最も重視しているのは、先生の話をよく聞いて覚えることです。帰りのクルマの中では、必ずといっていいほど、「先生、どんな話をしちゃった?」と聞いて、その日の出来事などを話します。また、イチローは、2歳の頃から先生の物まねが大好きなので、先生の真似をさせたりもします。その口調や口ぐせまで、本当によく覚えているものです。

 こんなことを毎日繰り返すことで、先生の話を注意深く聞くようになり、自然に集中力も養われる思っています。そして、身についた集中力は、野球も含めていろんな場面に応用されると思います。

 どんな分野でもそうでしょうが、雑音に気を取られているようでは、いい結果は得られませんからね。

 

 

PL学園の1年生4番はすごい

 スポーツ新聞を読んでいて、久しぶりに「ギョア~~~」と声を挙げてしまいました。

 6月1日付け日刊スポーツ(関西版)に、あのPL学園の「1年生4番」のことが紹介されていました。高校に入学してまだ2ヵ月なのに、立命館宇治との練習試合で4番を打ち、2安打3打点の鮮烈デビューを果たしたという記事でした。その1年生というのが、勧野甲輝君という選手で、実は、この選手は、関西では中学生の頃から有名でした。パパローも、その名前を聞いていました。

 昨年の話では、勧野君は、中学3年生でもう180センチ、80キロ以上という立派な体をしていて、投げては140キロ以上の球速をマーク、打ってもホームランを量産しているということでした。そして、PL学園に進んだということも聞いていましたので、1年生4番としてデビューしたという新聞の見出しを見つけても、この段階では、「勧野君、やっと出てきたか」と思ったぐらいだったんです。

 記事を読み進んでいくと、勧野君のお父さんというのがパパローと同世代で、甲子園で輝くように」という思いを込めて「甲輝」と名づけたと書いてありました。「へぇ~」と思いましたが、今ではそういう父親は珍しくないし、ここまででも「ふーん」と思ったぐらいでした。

「ギョア~~~」と叫んだのは、その次の文章です。

「父と打撃練習していた姿を『富田林リトルリーグ』の監督に見初められ、わずか4歳で入部した」

 リトルリーグの監督に見初められた? それが、よ、よ、よ、よ、4歳の時。

 4歳といえば、今のイチローと同じじゃないですか。少年野球の監督にスカウトされるとは、一体どんな4歳だったんだ?

 20080517 イチローも、バッティングは大好きです。たとえば、綾部高校へ行った時も、ソフトボールや野球経験のある女子マネージャーに投げてもらって打つことがあります。初めて彼女たちに相手をしてもらった時も、パカーンとかっ飛ばしたので、「え、打つんだ」、「すごーい」と言われてました。

 でも、打つと言っても、ビニールバットですからね。芯でボールを打つと、「パフッ」と音が出ます。いい当たりも飛ばしますけど、そんなに続くわけではありません。

 新聞記事は詳しく書いてなかったので、勧野君が4歳の頃、どんなバッティングをしていたかは不明です。

 いやあ、知りたいなあ。

 今度、PL学園の試合を見に行く機会があったら、応援席で勧野君のお父さんを探して、ぜひ尋ねてみたいと思いました。

 しかし、4歳で少年野球チームへ入部とは、本当にすごいですね。

2008年5月22日 (木)

「ボク、野球したい。あそこで打ちたい」

 イチローは、だいたい9時頃に寝ます。3月までは幼児園で昼寝をしていましたが、4月からはなくなりました。なので、最近は夕食も食べずに寝たり、夕食後、すぐに寝てしまうこともありますが、たいてい9時頃に歯磨きをして布団に入ります。

 0801 その日も、そうでした。その日というのは、1月のことで、NHKでマリナーズのイチローの特集番組が放映された日です。まだ実家にいるときのことで、番組では、イチローが毎日、奥さん手作りのカレーライスを食べて球場入りすることや、毎年、記録がかかる試合になると吐き気をもよおすぐらいのプレッシャーに襲われることなどが、イチロー本人の口から語られました。

 番組は夜の10時からで、イチローが寝てから、パパローとママローの2人で寝ていました。すると、イチローが起き出してきて居間へやってきたのです。

 6時頃から寝て8時、9時に起きることはあっても、9時に寝たのに10時過ぎに起きることは、まずありません。でも、ピンと来ました。イチローの番組なので、イチローも見たかったのだろうと思いました。Photo

 といっても、少し番組を見て「イチローや」などと言ってましたが、そのうちブロックで遊び始めました。

 やがて番組も終わりに向かい、画面にはシアトルのセーフコフィールドで打席に立つイチローが現れました。低いアングルから撮られた画面は、緑の芝生が美しく、イチローのかっこよさが一段と引き立っていました。

 その瞬間、イチローが、アメリカへイチローを観に行きたいと思っていることを思い出し、「ねぇ、イチは、ここへ行きたいんやろ?」と声をかけました。イチローが視線を移すと、画面にはイチローがバットを振り、一塁へ向かって走り出す場面が映っていました。

「ボク、野球したい。あそこで打ちたい」

 イチローが、そう言ったのでした。

 もう4ヵ月も前のことですが、イチローの”重大発言”としてブログに収録しておきます。

 実現するといいなあ、と思います。

 そういえば、番組で、マリナーズのイチローは、「50歳で、4割を打って引退したいですね」と話してました。'73年生まれのイチローが50歳になるのは、いまから15年後です。そのとき、イチローは20歳。

イチローからイチローへ。

メジャーリーグで、そんなリレーが実現できれば本当に最高です。究極の夢ですね。

身長が100センチになりました。

 5月20日に幼児園で身体測定があって、身長がちょうど100cmになりました。

 20080521 今年の初め頃から、「いつか、いつか」と待っていたのですが、ようやく到達です。生まれたときが50cmほどでしたので、4年半で2倍になりました。

 また、測定結果も、中途半端な数字にならず、「100.0」と気持ちいいものになりました。担任の先生の配慮もあったのかもしれませんが、真面目でまっすぐなイチローらしい数字です。20080520

 身体測定は、毎月、20日前後にあります。帰宅後、「もしかして今日あったのかも」と出席ノートを見たら、「100.0」という数字が飛び込んできたのでした。

 そこで、綾部高校の野球部に少し寄ってから、地元のケーキ屋さんでお祝いのケーキを購入。家族3人でお祝いしました。

 イチローは、何でもそうですが、ケーキを選ぶのも、ひと通り目を通したら、ほとんど悩むことなく即決。そして、外れがほとんどありません。いい運をもって生まれてきたなあと、

20050520

いつも感心します。この日、イチローが選んだのは、おもちのような皮でアンとよもぎ、クリームをつつんだものでした。

 イチローは、この後、どれだけ大きくなるんでしょうか。野球選手になるには180cm以上になる方がいいんでしょうが、巨人の小坂選手や横浜の仁志選手、広島の梵選手や東出選手などは小柄ですからね。小柄でも活躍することはできるので、身長より、元気に成長してくれる方がいいというのが、これからの願いです。

2008年5月21日 (水)

イチロー、綾部高校の杉山投手を大絶賛

 甲子20080517_3園球場へ阪神対ヤクルト戦(8対5で阪神の勝ち)を観に行った翌5月17日には、福知山球場へ綾部高校の応援に行きました。

 この日は、両丹大会が開かれました。「両丹」とは丹波と丹後のことで、毎年、この時期に京都北部の高校のスポーツ大会が開かれています。硬式野球の部もあり、綾部高校野球部は、福知山球場で大江高校と対戦しました。

 ちなみに、「京都北部」といっても、京都市の北部、上賀茂神社のあたりではありません。パパローは、大学進学で東京へ出た頃、「京都出身です」というと、「京都のどこですか?」と問われ、「北部です」と答えると、「上賀茂神社のあたりですか」とよく聞かれたものです。そして、「京都の北部で日本海の方です」というと、「えっ、京都に海あるんですか」と言われることもありました。さらに、「綾部」や「福知山」と言っても分かってもらえず、「舞鶴」を知っているという人がたまにいるぐらいでした。京都北部とは、京都の日本海側で日本三景の一つ「天の橋立」のあたりです。

  で、この両丹大会は公式戦とは違うので、パパローはイチローを連れて行きました。すると、イチローは女子マネージャーや控え選手に付いていき、メガホンをもらって応援を始めました。最初のうちは最前列にいましたが、この日は五月晴れで、ノドが乾いたようで、最後尾に下がって、選手のお母さんたちからもらったお茶を飲みながら、応援していました。

 途中で飽きるかと思ったんですけど、試合終了まで頑張りました。イチローの応援といえば、2歳の頃、神宮球場へ早稲田の試合を観に行き、チアリーダーに突進したり、チアリーダーと一緒に踊っていたのを思い出しますが、4歳になったいまでは、控え選手の声に合わせてメガホンを振っていて、すいぶん成長したと思いました。

 この日、綾部高校の先発投手は、控えの3年生でした。彼が好投をして、試合は綾部高20080517_4 校が大量リードします。そして、6回の大江高校の攻撃から、エースの杉山君が登場。140キロ台の切れのあるストレートを投げ込むと、バットにかすりもしません。3人連続三振に切ってとりました。

 すると、イチローが、パパローや選手の保護者のいる方へ振り返り、「杉山君て、カッコいいなぁ」と言いました。これには、保護者の皆さんも大ウケでした。やっぱり、ドラフト候補のすごさというのは、4歳児にもわかるんですね。

 プロ野球も観に行きますが、プロ野球の選手とちがって、杉山君は身近な存在ですからね。ふだんから練習の合間に話をしてもらったり、パパローが杉山君の身体調整(マッサージのようなもの)をしているのを側で見ていたりします。4歳から、すごい経験と大いなる刺激をもらっているイチローです。

 

 

綾部高校野球部に通ってます。

 イチローは、最近、綾部高校野球部の練習によく行っています。

 20080517 昨年末から、パパローが野球部の練習を手伝うようになりました。スポーツライターとして高校野球からメジャーリーグまで取材してきたので、監督や後援会の方から「力を貸してほしい」と頼まれました。これは、体の使い方やトレーニング法を勉強してきたパパローにとっても願ってもないことでした。

 京都の高校野球といえば、平安高校や京都外大西、京都成章あたりが有名ですが、京都北部からも、これまで、楽天の野村監督の母校である峰山高校と福知山成美が甲子園に出場しています。でも、パパローの母校でもある綾部高校は、夏の予選ではベスト4が最高。まだ甲子園には一度も出場していません。まず、甲子園に出場することが大きな目標です。

 また、綾部高校からは、一人のプロ野球選手も出ていません。峰山高校からは野村監督や西武の岡本投手を始め、過去に何人ものプロ野球が出ていますし、福知山成美出身のプロ野球選手も出ています。阪神タイガースの杉山直久投手は、隣の東舞鶴高校出身です。さらに、福岡ソフトバンクの神内靖投手は綾部生まれ、綾部育ちですが、高校は宮崎県の延岡学園へ進み、甲子園にも出場しました。綾部高校出身のプロ野球選手を育てるのも大きな目標です。

 実は、今年の綾部高校には、杉山君といういいピッチャーがいます。しかし、昨年秋まで、ボールは速いけれどボールの伸びがもう一つで、ピッチャーとしても伸び悩んでいました。そこで、昨年末から腕の使い方を修正して、ゆるゆる調整法を指導したところ、今年になってボールがよく伸びるようになりました。すると、4月からプロ野球のスカウトも来てくれるようになり、いまではドラフト候補になっています。

 チーム全体でも、ゆるゆる調整法に取り組んだ結果、「緊張しなくなりました」とか、「動きがスムーズになりました」などの効果が出て、春季大会では京都府のベスト8へ進出。センバツで全j国ベスト8の平安には1対3で負けましたが、6回までは1対0でリードしていたこともあって、チームのモチベーションは高まり、夏は、本気で甲子園を狙えるまで成長しています。

 パパローは、ふだんは週に2、3回、公式戦前は毎日のように高校へ通います。生徒の20080517_2 授業中に仕事をして、午後4時ぐらいからの練習に駆けつけますが、夕方はママローが仕事なので、公式戦や練習試合の前日以外は、幼児園でイチローを拾い、そのまま綾部高校を連れて行きます。

 イチローは、練習中、5人いる女子マネージャーに見てもらっており、楽しそうに遊んでいます。選手のミーティング中や練習の合間には、イチローもネットに向かってティー打撃をさせてもらったり、選手に追いかけ回されたりしています。

 こんな幼いうちから、高校野球に身近に接しられて、イチローも幸せなことです。しかも、いろんな高校球児を間近で見たり、話を聞いたりすることで、今後、イチローを野球選手としてどのように育てていくのがいいのか、じっくり考えることができます。パパローにとっても、望んでも簡単にはできないような貴重な体験をさせてもらっています。

2008年5月20日 (火)

イチロー、城島を見習いプールトレ開始

 4月から、イチローは週に一度スイミングに通い始めました。

 Photo 幼稚園の年中組になれば、スイミングに通ってほしいなあと思っていたところ、イチローが、会話の中で「Yくんがスイミングに行っとってや」と言いました。その言葉に反応したパパローが詳しく聞いてみると、クラスのお友達2人が、どうやら昨年からスイミングに通っていて、平日クラスのため、幼児園を早退するそうです。

そこで、すかさず、「イチくんも、スイミング行きたい?」と聞くと、「うん」というので即決。すぐに入会手続きをとりました。ただし、イチローは、平日には月に一度甲子園へ行くので、土曜日の午後のコースにしました。

 野球選手では、シアトル・マリナーズの城島捕手が、子供の頃からスイミングに通っていたことがよく知られています。野球のトレーニングにもなると、お父さんの勧めで幼稚園の頃に始め、小学生の高学年になるまで通っていたそうです。

 パパローも、水泳は全身運動であることと、脱力をしないとうまく泳げないという2点で、スイミングは野球にとってもいいトレーニングになると思います。特に、水中で脱力することを覚えてくれると、野球にも最高ですね。打つのも、守るのも、走るのも、いかにうまく脱力しながらできるかが、大きなポイントになります。マリナーズのイチローは、その典型のような野球選手で、城島も脱力が上手な方ですね。もちろん、筋パワーに頼った動きでもパフォーマンス力の高い選手はいますが、その一方で故障しやすく、長続きしにくいです。それに、専門のコーチに教えてもらうというのも、いい経験になると思いますね。Photo_2

 といっても、「幼児初心」というコースで、イチローはまだ泳げません。いまは水に慣れることと、顔を水につけるための準備って感じですね。それでも、先日は、プールの縁から水中のコーチに向かってダイビングしていたのは、「おー、そんなことができるのか」とちょっと感動的でした。

 イチローも、「このまま明日までプールにいたい」とか、「早くスイミング行きたい」とノリノリ。週に一度、楽しく続けていければと思っています。

今年2度目の甲子園

 5月16日(金)に、甲子園球場へ行ってきました。月に1度は行く予定で、4月のセンバツに次いで2回目です。この日は、阪神対東京ヤクルトでした。

20080516  試合は、序盤からヤクルトの先発村中に対して阪神打線が爆発。結局、8対5で阪神が勝ちました。

 例によってダイエーで夕食やお菓子の買い物をして、家族3人で席に着きました。イチローは、ご飯を食べたらいつものように遊ぶのかと思ったら、席が3塁内野席の前から20番目ぐらいで、金本や鳥谷といった左打者のファールボールがよく飛んできました。じっさい、ヤクルトの武内のファールが、席から2メートル付近に”着弾”してビックリする場面もありました。

 ちなみに、武内選手は早稲田大学出身の3年目で、早大時代には、イチローも神宮球場で見ています。といっても、イチローは、そんなこと全く覚えてませんが。

  隣に座ったイチローを見ていると、けっこうファールボールを目で追っています。「ボールが見られるようになったんだなあ」と思うとうれしくて、急きょ、今日のテーマを「ボールをよく見ること」にしました。

20080516_2  そして、イチローに「なぁ、なぁ、ピッチャーの投げるところからボールを見ていて、バッターが打ったボールがどこへ行ったか、言うてよ」と言うと、イチローは、指を指しながら「あっち」、「いま、捕っちゃった」などと答えてました。ヤクルトの田中のレフトフライのときは、打球がずっと目で追え、大好きな金本が捕ったので、とても喜んでました。

 あんまり長く見ていても疲れてしまうので、そんなに長くはしませんでしたが、野球観戦でもコツコツと続けていると、どんどん過ごす時間の中身が濃くなってくるんだなあとうれしいです。

 金曜日なので、幼児園はお休みしました。平日に行けるのは小学校に入学するまでなので、これからも月に一度は甲子園に行きたいです。幼児園の担任の先生2人は阪神タイガースファンらしく、月曜日にはいろいろ話しかけてもらったそうです。

2008年4月28日 (月)

予習する幼稚園児

「明日なあ、幼児園で桜の絵を描くんや」

イチローが、そう言ったのが4月15日の夜。つづけて、

20080415 「練習せなあかん」

と幼稚園児が言ったので驚きました。まさか、予習するってこと?

イチローは、スケッチブックとクレヨンを取り出し、やる気満々です。でも、いざ描こうとすると、「どう描いたらいいん?」とイメージがわかないようです。それで、パパローとママローが20080415_2 「見た通りに描いたらええで」とか、「どんな色だった?」などとほんのちょっとだけアドバイスして、あとは自由に描きました。

そして、どこから、誰が見ても桜の絵が描けました。かなり満足そうでした。

                            

20080425

 こっちは、幼児園で描いた桜の絵です。先に地面と幹、枝を描くように教えてもらったそうです。

 現在、クラスには25人ほどいますが、赤を使っているのはイチローだけでした。赤は太陽、それにほっぺだそうです。桜がニコニコ笑っているのをイメージしたそうです。「次は、どんなん描こうかな」と話しながら描き、「みんな、笑とっちゃった」とお友達にウケたのもうれしかったそうです。

 先月引っ越したマンションには、テレビを置いていません。いつ買いに行こうかと思っているうちに、「テレビのない生活は静かでええな」と、しばらく先延ばしすることにしました。すると、その日の出来事を話したり、本を読んだり、絵を描いたりして過ごすことが多くなりました。

 実家の方にはテレビがありますが、週末に帰っても、ディズニーチャンネルを少し観る程度で、テレビを見る時間がすっかり減りました。その分、怪獣ごっこなどでパパローと部屋で転げまわっています。

 

2008年4月15日 (火)

甲子園へ行ってきました

 4月3日に、センバツ高校野球の観戦で甲子園へ行ってきました。

 20080403 今回は、ばあばが、初めて「いっぺん、甲子園へも行ってみたい」と言ったので、パパローとイチローとで連れて行ってあげたのでした。その前日がばあばの73回目の誕生日で、球場横のダイエーで、お弁当と一緒にチョコレートケーキも買い、甲子園球場のスタンドでお誕生祝いもしました。

 この日は、準決勝で、聖望学園対千葉経済大付(4対2)、沖縄尚学対東洋大姫路(4対2)の2試合がありました。

 特に、沖縄尚学と東洋大姫路の試合は、8回裏に沖縄尚学が逆転するという面白い試合でしたが、イチローは、お昼ご飯とケーキでお祝いが終わると、球場内を走り回って遊んでいました。入ったのが3塁側内野席で、熱心に応援をする人が少なかったことも、阪神タイガースの応援を知るイチローには物足りなかったのかもしれません。

 早く阪神戦を見に行きたいみたいですが、4月のナイターはまだ寒いので、来月になったら行く予定です。

 ママローは、仕事でいけませんでしたが、埼玉出身なので聖望学園の結果がチラッと気になったみたいです。

2008年4月 3日 (木)

心のコンパスを信じて

 3月27、28日と東京ディズニーランドへ行ってきました。パパローは、27日に仕事の打ち20080328合わせが2件あって夕方からの合流でしたが、その27日は親戚とシーへ、翌28日は家族3人でランドを楽しみました。イチローにとっては、4度目のディズニーリゾートです。まあ、春休みで、すごい人でしたが。

 パパローにとって面白かったのは、28日の午前でした。 ママローがお土産選びなどの単独行動で、パパローとイチローの二人でランドを回りました。

 ママローには、「『トゥーンタウン』と『ファンタジーランド』がいいんじゃない」と言われていて、パパローはそちらの方を目指そうとしたのですが、まずポップコーンを買ってから(これにも15分ほど並びました)、イチローが 足を止めたのは、スター・ツアーズ前の演奏隊でした。それから、パン・ギャラクティック・ピザ・ポートというピザ屋さんに入り、ピザは買わなかったけど、科学的なレシピを基に全自動のピザ製造マシーンで作ったピザを宇宙に配達するという壮大な設定のアトラクションに見入ってました。

 20080328_2 モニター画面の周囲がピザ製造マシーンとなっていて、吊り下げられたチーズが動いていたり、焼きあがったピザが飛び上がったりしています。イチローは、その様子を真正面の”特等席”から、かなり長い時間見てました。本当は、2階に設けられたその席は1階で買ったピザを食べる場所なのですが、ポップコーンを食べながらけっこう粘りました。

 ようやく外に出ると、パパローは再びファンタジーランド方向を目指そうとしましたが、イチローは、ピザ屋のすぐ近くのショーベースで足を止めます。ちょうど11時からの公演が始まるところで、残念ながら入場はできませんでした。

 ところが、イチローは、このショーを見るというんですね。見ると言っても、次回の公演は12:30。入場するまででも1時間近く並び、それから開演まで30分も待たなければなりません。それを説明しても、イチローは「ここがいい」と言いました。

 このショーベースには、以前にも入ったことがありました。また、最近、家で見るテレビ番組は、ほとんどがディズニーチャンネルだけに、イチロー20080328_5にはピンと来るものがあったのかもしれません。園内の地図を広げて座り、指相撲やしりとりをしながら待ちました。

  このイチローの選択は大当たりでした。入場したイチローは、迷わず最前列の席に座りました。そして、「ワンマンズ・ドリームⅡ ザ・マジック・リブズ・オン」というショーにかなり満足したようでした。 20080328_6また、幼児向けのアトラクションの多いファンタジーランドへ行っていても、かなりの混雑ぶりで、少し待っても人気のショーを見た方がよかったようです。

 イチローは2歳の頃から、「イチが、イチが」と言ってたいていこのことを自分でしたがる子です。また、この日、自分で決めてショーを見たように、自分で選んだり、決めたりしたがります。親としても、できるだけ自分で決めさせ、決めたことはやり遂げるようにさせてきました。そうすると最前列でショーが見られて、ショーにも満足できたようにいい結果につながることが多いです。

 ディズニーシーに、船に乗って冒険の旅に出るシンドバットのアトラクションがありました。そこでは「心のコンパスを信じて、最高の宝物を見つけよう」というのがテーマになっていますが、とても深い言葉だと思います。自分の心に聞いて選択し、選んだことをやり遂げる。そして、そうすることが、いい結果につながるんだよということでしょう。

 でも、なかなか難しいのが、自分のありのままの心に聞くことなんですよね。自分の心に自信が持てなければ、誰かの意見や行動に頼ろうとするし、欲や悪意に動かされると、とたんに心が曇りますしね。また、親や学校の先生が厳しすぎると、大人になっても他人の顔色を伺うようになりますね。親や先生の気に入る答えを探そうとから、自分の心を見失っちゃうんですね。自分の心のコンパスを見失うと、後は嵐のなかを漂流するようなもんです。悪循環のスパイラルに陥りやすいですね。

 20080328_3 イチローには、できるだけ自分で決めさせ、親は、その決めたことをやり遂げるために応援したり、付き合ってあげようと思っています。そうすることが、自分の心のコンパスを信じることにつながっていくと思いますね。

 また、うちの場合は、親が、「野球」という大枠も設けました。でも、「野球」という枠のなかでも、自分で選択しなきゃいけないことは限りなくありますからね。将来的には「野球」を他の分野とリンクさせてもいいわけですし、まあ、何より、親が、イチローの成長に全身全霊、全知全能をかけてかかわることができます。

 いやあ、それにしてもディズニーリゾートはいいですね。心のアカを削り落としてピュアな気分になれます。親子ともどもガッツリと楽しめました。

2008年4月 1日 (火)

イチロー、2回目のメジャー観戦

 レッドソックス対アスレチックスの開幕第2戦(東京ドーム)を観戦しました。

 イチローのメジャー観戦は、生後4ヵ月半でヤンキース対デビルレイズ戦(東京ドーム)に次いで2試合目です。

     20080326     今回は、25日に新幹線で新横浜まで行き、その日は、かつて通っていた久里浜の美容院で家族3人カットしてもらって新横浜に泊まりました。         

 翌26日は、新横浜駅のキュービック・プラザという駅施設のオープンで、イチローは、スタバの2番目のお客さんになりました。

 そのスタバで朝食をとって東京ドームホテルへ移動。ここで北本のじいじとばあば、obaの三人と待ち合わせ、昼食をとって銀座へお買い物に行きました。

          ところが、ホテルに戻るタクシーに乗ったとたん、前日からの疲れでイチローは”夕方寝”。まず、パパローだけドームに向かい、イチローとママローは起きてから来ました。球場に着いたときには、もう試合は始まってました。

  でも、親戚の一家と一緒に見たこともあって、イチローも大盛り上がり。レフト側内野席にいたこともあって、レッドソックスの20080326レフトを守るマニー・ラミレスが目の前を通ったときには、指をさしながら、

「わあ、変なおじさん」

と大声をあげ、周りのお客さんにもけっこう受けてました。

 マニー・ラミレスといえば、メジャー・リーグを代表する強打者で、観戦した日も、アスレチックスの好投手リッチ・ハーデンからホームランを打ちましたが、長髪のトレッドヘアで、髪が背中にまで垂れているという野球界でも珍しい選手。イチローにとって、レフトといえば、阪神タイガースの金本選手なので、強烈な印象が残ったことでしょう。また、テレビでレッドソックスの試合を観戦して、イチローと一緒にラミレスを見たいと思います。

 前の席に3歳の男の子、うちらの席にはイチローと同い歳の女の子、そして、後ろに2歳の男の子と赤ちゃん。それは、それはにぎやかなメジャー観戦となりました。試合は、アスレチックスが5対1で勝ちました。

2008年3月31日 (月)

プチ引越ししました。

 3月2日、同じ綾部市内でプチ引越しをしました。

200712311046000 横須賀から引っ越してきたパパローの実家は、山間部にあるのでとても寒かったのと、パパローが綾部高校野球部の練習のお手伝いをするようになったり、ママローが市街地で働きはじめたり、イチローも4月からスイミングスクールに通う予定だったりで、綾部高校の近くにマンションを借りました。

 パパローの実家から新居までは、クルマで30分ほどです。クルマで30分といっても、距離にすると26キロぐらいあります。東京でいえば、東京駅から吉祥寺駅ぐらいです(平日の午前に東京駅から吉祥寺駅までクルマで一般道を移動すると、4、5時間かかりますね)。

 東京でも、東京駅周辺から山手通り、環七、環八と環状の主要道路を越えて山に近づくたびに気温が1~2℃ずつ下がりますが、盆地の綾部はもっと気温が変わります。

20080106  たとえば、山間にあるパパローの実家で雪が10センチぐらい積もっても、盆地の中にある綾部高校周辺は、うっすら雪が積もる程度で昼頃には消えて、「えっ、雪降ったん?」て感じです。気温も3℃以上は違うし、風がないので体感温度はもっと違ってきます。それにマンションは、高気密、高断熱で家の中にいても暖かい。3月2日に引っ越したので、中旬までは引越しの恩恵にあずかりました。ここ数日も寒いので、ちょうどいい感じです。

 もちろん、夏になると盆地の中は蒸し暑くなるので、そうなると、涼しい実家が待ってくれています。また、イチローも大自然の中で育てたいので、週末は実家に戻る予定です。イチローも、「じいじと畑仕事をせなあかん」と言っています。

 ただ、パパローの仕事関係は、そのまま実家においてあります。パパローの生活としても、基本的に平日は、イチローを幼児園へ送り、そのまま実家へ行って仕事。帰りにイチローを迎えに寄って新居へ帰ったり、綾部高校の野球部に寄るという感じになります。

 というわけで、イチローも、今後は新居と実家を行ったり、来たりの生活になります。

2008年1月30日 (水)

風邪で大変でした。

20080117  1月17日(木)に大雪が降り、この日は幼児園でも、家に帰ってからも、雪遊びをしました。すっぽり雪に覆われた家の近所を走りまわったり、ソリに乗ったり。それは、それは楽しかったのですが。

 

 ところが、暖冬だったのが、急に寒くなったせいもあってか、20日(日)から咳がでて、翌21日に幼児園を休むと、その日の昼前から体温が急上20080117_3 昇。39度を越えたので、急いで病院へ連れて行きました。

 まあ、これまでの経験から38・5度までなら家の中で本を見たり、絵を描いたりして遊んでいますが、39度を越えるとちょっとね。横須賀のお医者さんにも、39度を越えたら連れてきてくださいと言われてました。

 診断は、喉が腫れているというだけでしたが、その夜は40度の熱が出て座薬を投入。さすがに40度の熱は初めてで、親も慌てました。額と首の後ろを冷やして頭へ熱が上がらないようにしましたが、体は火の玉のように熱かったです。この高熱に加え、咳と鼻血もでるという三重苦に襲われ、イチローも、さぞ辛かっただろうと思います。

 それからは、夜になると、高熱&咳&鼻血に苦しみ、結局、21日から28日(月)まで幼児園を休みました。昨日29日(火)から登園していますが、扁桃炎の一歩手前ということでした。

 ほぼ一週間、ほとんど運動をしなかったので、毎日のように走り回っていたイチローの脚は細くなり、張りもなくなりました。いよいよ、プロ野球もキャンプインです。イチローの脚も、キャンプの便りとともに少しずつ回復していきたいと思います。

2008年1月 7日 (月)

初詣は金閣寺

 明けましておめでとうございます。

 1月6日、金閣寺へ初詣に行ってきました。といっても、お参りというより、観光という感じ20080106で「参拝コース」というのを一周しただけでしたが…。

 イチローは初めて、パパローは小学校の遠足以来37年ぶり、ママローは中学の修学旅行とその後の家族旅行で訪れて以来の金閣寺でした。イチローは、「今年も元気に過ごせるように」とお守りを買いました。

 実は、イチローは、京都市内を巡ったのもこの日が初めてでした。京都駅は何度も利用していますし、西京極球場にも来ていますが、市内のあちこちに行ったのは初めてです。

 一番喜んだのは、京福電鉄の路面電車(嵐電)でした。鎌倉の江ノ電には何度か乗ったことがあり、嵐電に乗った直後にも「鎌倉、行くん」と言って周りのお客さんの微笑みを誘っていましたが、車と並走したり、交差点を曲がる電車というのは初めてでビックリしていました。

 綾部の田舎で暮らしていると、やっぱり京都は大都会です。特に高島屋や阪急といったデパートに入ると、「わぁ、きれい」と完全にオノボリサン状態でした。1年前まで、そんな世界が日常だったのが信じられないぐらい、3人とも田舎ものになっています。

 綾部に帰るとホッとしました。きれいな水と空気、おいしくて安心できるお米や野菜、そして豊な緑に囲まれて、今年も元気で前向きに暮らしていきたいと思いました。

 

 

2007年12月13日 (木)

ひとつ壁を越えたぁ

パパローは、星野ジャパンの取材で台湾へ行ってきました。1敗も許されないという緊張感のなか、あんなにガチガチのダルビッシュを初めて見たり、稲葉や新井がヒットを打ってはガッツポーズしたり。しかも、会場は敵地。久しぶりにしびれる試合でした。あんなゾクゾク感は、もはや敵地での国際試合でしか味わえないです。

 イチローは、その間、ウチでお留守番でした。ママローと一緒にテレビ中継はちょっと見たようですが、20071109 最近、イチローがテレビで見たいのは野球より小島よしおです。

少し前には、

「オッパッピー、うちに来ないかなあ」

とボソッと言ってました。

 なにしろ、着替えやお風呂でパンツ一丁になるたびに、「そんなの関係ねぇ」とマネしています。けっこう前は「そんなの関係ねぇ」というたびに指を折って回数を数え、三回になると「さあ、みんな一緒にオッパピー」と言っていたのに、最近は回数を数えなくても感覚でわかるみたいです。

 また、けっこう前には、仲のいい女の子のMちゃんが、「オッパピーは嫌い」と言ったのがショックで、ちょっと凹んでいました。しかし、その時も、やおら立ち上がると「そんなの関係ねぇ」と踊り出したのでした。

 最近は、「面白いこと言うで」と宣言して話すことも増えています。寝る直前のふとんの中で「イッコ、ニコ、サンコ、シッコー」と言ってはゲラゲラ一人で笑っていたり、幼児園の制服のズボンを頭からかぶり、「間違うた」とボソッと言ってみたり。

 でも、せっかく面白いことを思いついても、幼児園で言えないんですよね。

「だって、恥ずかしいもん」

 先日も、車で迎えに行った帰りに、「面白いこというで」と言って、「ぶさいくでオッパピー」と一人ではしゃいでました。まあ、何が面白いのかもう一つよくわからないけど、ふと思いついたようです。

「幼稚園で友達の前で言ってみればいいやん」

「だって恥ずかしいもん」

 その日も、いつもと同じ会話で終わりました。

 翌日、車で迎えに行くと、ニコニコしています。

「あんな、『ぶさいくでオッパピー』、Aちゃんに言うてみた」

 イチローのクラスには、「A」がイニシアルの女の子が多いです。

「どうやった?」

「笑ちゃった」

「やったじゃん」(と、たまに関東の言葉になる)

おー、一つ壁を越えたねぇと熱い抱擁をかわしたのでした。

ウケるとうれしいし、うれしいとまた考えて。人に何度も言ってみることで表現がこなれたり、新しい表現が見つかったり。パパローは、そんなことを子供の頃から繰り返してきたお陰で、30年近くも原稿を書き続けることができているように思います。

イチローにも、いまのうちからそんな習慣を身につけてほしいなあと思います。

2007年11月22日 (木)

最近ボールは握ってません

 今年の夏の終わり頃から、イチローと野球をしなくなりました。それまではバッティングをしたり、キャッチボールをしていましたが、パッタリとやめました。理由は、イチローが野球好きになってくれればという当初の目的を達成したと考えるからです。

 生まれた直後から体の上にボールを転がして遊び、お座りができるようになれば、向かい合ってボールコロコロをして遊び、立てるようになれば、野球ごっこをしてよく遊んできました。

 その結果、この11月で4歳となったイチローは、大の野球好きに育っています。今でもテレビで野20071011球を見ると、大張り切りで投げたり、打ったりするマネをしますし、野球場へ行けば、「大きくなったら、ここで野球するで」と言います。イチローは4歳の子供なりに、野球をとても身近で、自分にとっては特別なスポーツとして感じています。

 また、ボールを投げれば、けっこう速いボールを投げますし、バットでボールを打つのも上手です。野球に「U4(4歳以下)日本代表チーム」があれば、確実に選ばれるのではないかと思うほどです。

 でも、その一方で、このまま野球を続けると、打撃や投球のフォームに変な癖がつく恐れがあります。また、野球は右投げ、右打ちと、片寄った体の使い方をします。小さいうちから体のバランスが崩れるというのも怖いことです。

 そこでいったん野球を休むことにしました。マリナーズのイチローは、3歳でバットとグローブを買ってもらい、野球を始めたそうですが、うちのイチローは3歳10ヵ月で野球を中断しました。

 その代わり家の中ではチャンバラごっこをしたり、一緒にサッカーをしたり、滑り台で遊んだりしています。サッカーはボールを追っかけて走りまわるし、滑り台も走って昇れば、いい運動になります。そして、イチローが滑り台を昇るときには、

「イチロー選手、一気に走って昇ります。おっと、滑りました。こけています。滑り落ちるのか? いや、腕で支えています。おーーっと、また昇り始めました。スゴイ! さすが、イチロー選手です」

というように”実況中継”してやります。すると、滑り台の頂上に昇ると、観客に手を振ったり、ガッツポーズをします。見ている人が一人もいなくても、気分はノリノリです。こうして、多くのお客さんの前で何かしたいという気持ちを養っています。

 それと野球を忘れないように、毎朝、幼児園へ送っていくクルマのなかで、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」と、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を一緒に歌っています。イチローは歌が大好きというのもありますが、この2曲のおかげもあって、毎日、朝から元気いっぱいです。

 野球の再開は、来年の春頃かな。体がうずうずして、「早くボールを打ちた~い」と言ってくれるとうれしいなあ。

 

2007年11月13日 (火)

4歳になりました。

 11月10日で、イチローは4歳になりました。

 誕生日のお祝いで、9日と10日の2日間で和歌山県のアドベンチャーワールドへ3人で行って20071110 きました。9日の朝に家を出て、休みながら約五時間かけて到着したのが白浜温泉。こじんまりとした温泉旅館に1泊して、翌日は朝からアドベンチャーワールドへ行きました。

 お目当てはパンダとサファリパークだったのですが、入口からパンダハウスまで歩く途中に、遊園地の乗り物やゲームコーナーが並んでいました。それを見たイチローの気持ちは、一気に乗り物に向かいました。

 そこのところを「パンダさんが待ってるよ」とか、「パンダ見るの、楽しみにしてたやん」となだめ、やっとパンダハウスへ行ったのですが、楽しみにしていたパンダは、白黒というより、汚れているせいなのか、白いところが黄色っぽくて感動はもう一つ。イチローも、「パンダは、もういい」と興ざめでした。

 さらに、ケニア号という乗り物で回ったサファリパークは、那須サファリパークのようにバスからゾウやキリンにエサを与えるという趣向もなく、遠くにいる動物を見て回るだけ。親は何とか20071110_2盛り上げようと頑張りましたが、イチローは那須サファリパークの印象が強烈だったため、こちらも乗り切れないまま終了してしまいました。

  その代わり、遊園地コーナーではおお張り切り。4歳から一人で乗れるところが多く、「ボク、何歳?」と聞かれるたびに、「4歳」と答えて一人で乗っていました。昨年、ディズニーランドへ行った時には、一人で乗れたのがメリーゴーラウンドだけだったので、一人で走って行っては乗る姿を見るだけで、親としては「成長したなあ」としみじみしました。

 身長90cm以上から乗れるジェットコースターだけは「速すぎて怖い」とし尻ごみしました20071110_3 が、パパローと二人でミニコースターには乗りました。

 驚いたのは一人でミニカートに乗れたことで、自分でアクセルを踏み、ハンドルを操作して、風を切りながらコースをみごとに一周してきました。

 家に帰ってから、

「一番、面白かったのは何?」

 と尋ねたら、イチローが答えたのは、なんと、

「パパとアイスを食べたこと」

 そういえば、イチローにだけソフトクリームを買って、「パパにも食べさせて。ここが食べたいなあ」というと、イチローがそこをペロッとなめ、「あっ、何で食べちゃうんだよー。今度は、ここ」というと、またイチローがペロッとなめたり、イチローが「ハイ」とくれたソフトクリームを持つところに巻いてあった紙を持って、「おいしいなあ」と食べるまねをしたりしてウケていたのを思い出しました。

 4歳の子供って、まだまだこういう無邪気なたわむれを喜んでくれるのだなあと思いました。

 

 11日には、ケーキを買ってウチでお祝いしました。

 昨年までバースデーケーキは、鎌倉ニュージャーマンの鎌倉数え歌シリーズで、数字の 形をしたケーキでいたが、今年は綾部で数少ない有名店の「シャトレー しらき」さんにお200711111 願いしました。何か一つ絵を描いてくれるというので、こんなのにしてみました。

2007年10月25日 (木)

女心と秋の空

 横須賀に住んでいた時、近くのプールである有名俳優に会ったことがあります。マンショ20071012_2 ンから転落して大ケガを負い、大騒動を起こした人です。プールには奥さんと子供と来ていて、その子供が、ちょうどイチローと同い年でした。幼児プールで一緒に遊んだりしましたが、その子供というのが、さすがに人気俳優の子で、とてもハンサムでした。顔の造りが整っていて、すでに垢抜けた雰囲気を漂わせていました。

 その俳優と子供を見ると、ウチは「まあ、ジャガイモ系だよな」と妙に納得したものです。

 そんなイチローでも、先日はショッピングセンターのゲームコーナーにいたら、少し離れたところにいた中学生の女の子に「あの子、すっごくかわいいぃぃ」と言われました。通っている幼児園にも、「イチローくん、だーーーーい好き」と言ってくれる女の子がいて、イチローもまんざらでもないようです。

 ところが、数日前、幼児園に迎えに行ったら、イチローがしょんぼりしながらこんなことを言いました。

「パパぁ、Aちゃんが、イチローくん嫌い、言うちゃった」

 そのAちゃんというのが、イチローくん大好きと言っていた子です。

「イチくん、何か悪いことしたの?」

「してない」

「あのねぇ、本当は好きなんやけど、口では『嫌い』って言うてしまうことがあってなあ。Aちゃんも、そうやろ。複雑なんだよね、女心というのは。云々」

 こんな説明でイチローが納得したはずはなさそうですが、もう興味はクルマの窓から見える風景に変わっているようでいした。いやあ、こういう時には、何て話せばいいのかわかりません。

 その二日後、またクルマで迎えに行ったら、

「Aちゃんが、家へ遊びに来る言うちゃった」

「そうなんや、来てもらったらええで」

「でもなあ、プリキュア5(ファイブ)の」

 フリキュア5というのはテレビで放映しているアニメのキャラクターで、イチローは、その絵が描かれた小物入れを持っていて、小銭を入れています。

「プリキュア5の、盗る言うちゃった」

「盗るってか?」

「うん」

「盗ってないやろ。見せてあげたらええやん」

「あかんで。盗る言うちゃったもん。だから、隠しておかなあかんで。隠しておいたらええんや」

 幼稚園に通う頃になると、男の子も女の子も「大きくなっても結婚しない」と言うようになると聞いたことがあります。でも、その理由が男女では違っていて、男の子は「だって、ママのそばにずっといたいもん」と言い、女の子は「だって一人に決められないもん」と言う。このエピソードは、幼稚園ぐらいの男の子と女の子の違いをよく表しているそうです。

 イチローの最近の出来事も、純情なイチローがマセた女の子に振り回されているということだと思います。こうしてイチローも大きくなっていくんでしょうね。

 ちなみに、「女心と秋の空」というのは、その昔は「男心と秋の空」と言ったのが、いつからか「女心」に変わったそうです。でも、今年の秋の空は変わりやすいというより、晴天が続いていてけっこう暖かいです。綾部でも、サクラが咲いたなんていう話をあちこちで聞きます。パパローも、10月になってから高校野球を見に行って日焼けしたのは初めてでした。

 最近は、野球ファンにも日焼け止めを塗って観戦する人が増えています。日焼けを繰り返す人に皮膚ガンが増えているので、紫外線対策が欠かせません。しかし、このままオゾン層の破壊が進んで紫外線の量が増え続ければ、イチローが野球を本格的に始める頃には、「野球は青空の下でするもの」ではなく、日焼けを避けるためドームでするのが普通になっているかもしれません。

 

2007年10月14日 (日)

教えなくてもできること

 クルマで幼児園へ向かっていると、後ろからお友達のクルマが近づいてきました。イチロ20071011 ーは振り向いて手を振ったり、笑ったりしていましたが、しばらくすると、そのクルマがJAの農機具販売所へ入っていなくなりました。

「どこ行ったん?」

「お店に入ったね」

「なんで」

「用事があったんちゃう」

「用事があったら、幼児園へ送った後に行けばええやん」

 なるほどねぇ。

 なかなか頭が働きます。こんなとき、パパローが、

「さすが、イチ」

と言いうと、イチローは、

「さすが、パパの子供」

と言い返すというのが、最近の決まりごとになっています。

 うちでは、イチローをよく誉めます。これは赤ちゃんの頃からずっとで、赤ちゃんの頃はミルクの飲みっぷりがいいといっては誉めていましたし、いまでも、たとえば、朝食後に「ウンチ」というだけで、「朝、出掛ける前にウンチがでるとはエライねぇ」といっては誉めています。

 まあ、誉めると、お互い気持ちいいですしね。

 ただし、ミソもクソも一緒にしたのでは値打ちが下がるので、状況に応じて「さすが、イチ」の言い方を変えています。軽~く言うときもあれば、「さっっっっつすがぁ~、イチッ」と気持ちをめいっぱい込めることもあります。初夏の頃から、「さすが、イチ」と誉めると、「さすが、パパの子供」と言い返すように決めたのでした。

 というわけで、生まれてから3年11ヵ月の間に何度、「さすが、イチ」と誉めたかわかりませんが、本当にすごいと思ったのは3度だけです。そのときは「さすが、イチ」とは声がでず、心の中で拍手を送っただけでした。

 初めてそう思ったのは、2歳ぐらいのときです。まだ横須賀にいるときで、近所の公園へ行っていました。公園では滑り台でよく遊んでいましたが、ある日、滑り台の一番下の縁に座っていました。両足が滑り台の中で、背中を外側に向けていました。少し離れたところから、それを見て、パパローは、

「まさか、後ろ向きにひっくり返らないないだろうな」

と思いながら近づいていったとき、クルッと後ろ向きに倒れていきました。

「あっ、後頭部を打つ」

と思った瞬間、イチローがパッと両腕を着き、体を支えたのです。とっさの場面で両手が出るという身体能力の高さに驚き、感心しました。

 二度目は、今年のゴールデンウィークに、近畿大学と立命館大学の試合を神戸のスカイマーク球場へ観に行ったときです。バックネット裏ではしゃぎ回っていたイチローは、かなり目立っていました。また、学生の試合を観に幼児が来ることは珍しいので、選手の親御さんや年輩の野球ファンに声をかけてもらっていました。

 そのとき、トイレかどこかへ行って帰ってきた年輩の男性が、パパローから離れて座っていたイチローに声をかけた後、ほっぺをなでるように両手を出したのです。その瞬間、イチローは、そのおじさんの両手を自分の右手で払いのけました。その様子を見ていて、イチローが武術家のように見えましたね。

 普通の子だったら、なすがままに頬をなでられているか、体で逃げようとすると思うんですね。しかも、座っているので腰は動かさず、上体だけ後ろへ動かそうとするでしょう。ところが、イチローは、座ったまま体は逃げず、そのまま右手で払いましたからね。

 二度とも、とっさのことです。こういうことは、2、3歳の段階では教えてもできることではないと思います。もう少し大きくなって武術でも習えば、できるようになるかもしれませんが、何も教えてないのに自然に体が反応した、というところが本当にすごいと思うのです。

 もちろん、数が20まで数えられるようになったとか、ひらがなを読めるようになったというのも誉めてあげるし、制服が一人で着られるようになったとか、一年以上前に那須のサファリパークへ行ったときの様子をいまでも細かなところまでよく覚えていることにも「さっすが、イチ」と言いますが、とっさの体の反応は、親の予想以上の能力ですからね。こういう天賦の能力というのは、大切に伸ばしてあげたいと思います。

 それともう一つ、イチローをすごいと思ったのは、風船で遊んでいたときのことです。風船を手で高く打ち上げ、落ちてきたところをまた手で打つという遊びをしていたとき、イチローは、早く風船を打とうとして早くから手を伸ばしていたんですね。でも、腕が伸び切った上体で手を風船に当てても、風船は高く上がりません。それで、

「イチ、もっと風船を引きつけて。我慢して落ちてきたところをパッと打つんだよ」

と言いました。すると、つぎには、その通りできたんです。顔のすぐ上まで風船が落ちてくるのを待ってから、パッと打ち返し、それからはずっとそれができました。

 ビックリしましたね。これって、野球の指導そのものなんです。ボールを引きつけてパッとバットを振る。ポイントを近くして鋭く叩けということです。それと同じことが、たった一度のアドバイスですぐに実行できた。

 これは教えたことがすぐに実現できるという能力ですが、こういう能力も大切に伸ばしてあげたいと思っています。

 

2007年10月 3日 (水)

運動会

 9月29日に、イチローの通う綾東幼児園で運動会がありました。

 前日までは、「イチ、一番になる」とか、「今日、(練習で)走ったら、1番速かった」と言っていたイ20070929_rscn3238 チローでしたが、本番ではスタートのホイッスルと同時に飛び出したと思ったら、急にストップ。あとの2人(男の子と女の子)を待って、それから再スタートし、3人揃ってゴールしました。勝負より友情、というかけっこでした。

 そんなわけで、親子競争では、パパローがレース前から入れ込み気味でした。

 親子競争は親子が別々にスタートし、親は片足スクーターで中央まで来て蝶々のお面を拾う。子は網くぐりの後、フラフープの中でポーズを決めて親のところまで行く。そして、子供に蝶々のお面をつけてから、2人でトンネルをくぐり、蝶々のように舞いながらゴールするというものでした。

 パパローは気合十分で中央までやってきましたが、イチローは、また他の2人と足並みを揃えてポーズを決めていました。それで、パパローが「イチ、早く来い」と叫び、急いでトンネルをくぐってダッシュでゴール。他の二組をぶっちぎったのですが、イチローは、「パパ、速すぎる」とちょっぴり不満だったみたいです。勝つことより、あくまで協調性重視のイチローでした。

 イチローにとっては、今回が3度目の運動会でした。横須賀時代の2回は、ダンスや踊りを張り切って練習したのに、本番では棒立ち状態。多くの人に注目されると固まってしまったイチローでしたが、今回は太鼓とダンスをしっかりやり遂げました。

 初めての運動会は1歳10ヵ月だったので、あの頃を思い出すと、すごく成長したのがよくわかります。この綾東幼児園は0歳児から6歳児までいますが、それぞれの様子を見ていると、3歳児と4歳児の違いが大きいと感じました。

 イチローを見ていても、家でもずいぶん一人でできることが増え、自分の意思もしっかり伝えることができるようになったように、4歳というのは、いろんな意味、場面で飛躍の年なのかもしれません。

 運動会で面白かったのは、0歳児もベビーカーで入場行進し、かけっこもベビーカーで出場したことです。しかも、かけっこではベビーカーに寝ている赤ちゃんが起き上がるようにしながらゴールを目指して(?)いました。

 綾東幼児園は、本当に自然体でよいところです。

2007年9月20日 (木)

いも掘り

 うちの畑でさつまいも掘りをしました。じいじの作ったさつまいもです。一緒に行ったの20070908 は、イチローとは、またいとこにあたる人の子供でした。パパローからみると、いとこの孫ですが、イチローと同い年です。ひと世代ズレちゃいました。

 プライバシーの問題もあって顔は出せませんが、その女の子がかわいい子なので、イチローは、前日から大張切り。クルマが到着すると走って出迎え、家から100mほどの畑まで手をつないでエスコートしました。そして、ふたりでわーわー言い合いながら、大きなさつまいもから小さなさつまいもまで掘り出しました。

 掘ったさつまいもは、すぐに家で天ぷらにして食べました。こういうところが、田舎暮らしのよさですよね。昨日も、ママローが料理中に「ちょっとネギ取ってくるわ」って包丁をもって家の前の畑まで行きましたが、日々、そんな感じです。イチローのお弁当をつくっている最中に、プチトマトを摘みに行きますしね。

 その代わり、夏の間はキューリとトマトが洪水のように台所へ運ばれてきます。食べても食べても、次から次へとやってきます。まあ、イチローも大好きだし、無農薬のおいしい野菜なので、ドレッシングを日替わりにして生でバクバク食べてました。一番のお気に入りは、ばあばに作ってもらうキューリとタコの酢の物で、これがある日には抱えるようにして食べていました。

 それに、夏は枝豆ですよね。「丹波の黒豆」というのが全国的に有名ですが、黒枝豆というのもあります。普通の枝豆より粒が大きくて、自然の甘みがあります。ブランド名を「紫頭巾」といい、じいじのお友達が自分で作ったものも持ってきてくれます。イチローは離乳食で枝豆のすりつぶしたものを食べていましたし、豆が大好きなので「誰にもあげない」というような勢いで食べます。

 そして、だんだん食卓に並ぶキューリやトマトの量が少なくなると、「夏も終わりだねー」って話をして、季節感を感じてみたり。いまではトマトもキューリも完全に姿を消しました。といっても、めちゃくちゃ残暑が厳しいですが。それでもナスも終わりに近づき、これからはイモ、クリ、カボチャの季節ですね。特にクリは、全国的にも丹波栗として有名です。

 というように、うちでの食事は恵まれていると思うのですが、その一方でほとんどしなくなったのが外食です。横須賀時代は、葉山の「夏至南風」という沖縄料理屋さん、「あっぷぅがる」というインド料理屋さん、それに三崎のまぐろ料理で有名な「立花」を軸にちょこちょこと外食してましたが、こっちは食べに行くところがあまりないです。

 横須賀時代に「花まる」という讃岐うどん屋さんは、「軽く、うどんでも行っとく」って感じで入りましたが、いまは「花まる、行こうか」と目指します。かなり格がアップしています。実際、イチローも、うどんやそばが大好きなので昨年末に綾部へ引っ越してから半年は月に一回ぐらい行っていました。

 うちの場合は、じいじ、ばあば、ママロー、パパローの4人全員が料理をしますので、外で食べることが本当に減りました。イチローとママローは、たまに「マクド(関東ではマック)」に寄りますが、外食は、だれかの誕生日のお祝いで行くか、京都や大阪へ行ったときのお楽しみになっています。

 あっ、お客さん用には地元の食材を生かしておいしく食べさせるお店が2軒、チェックしてあります。

2007年9月 9日 (日)

イノシシ・パトロール隊長

 稲刈りがアッという間に終わり、もうすぐ新米が食べられます。

 パパローの幼稚園の頃の稲刈りは、家族総出&近所の人にも手伝いに来てもらって鎌Dvc00006_m で刈っていました。小学生の高学年の頃から機械で刈るようになり、パパローも機械を操ってお手伝いしたものです。機械で刈るといっても、当時は一条ずつゆっくり刈っていくもので、しかも、刈った後は、稲を稲木にかけて干してから脱穀、さらに籾殻のまま機械で乾燥するという作業に一ヵ月近くかかりました。

 ところが、パパローが高校を卒業し、かれこれ30年近く経とうという今は、そうした作業を一台の機械で行うようになっています。ガーと高速で刈り取るのも三条ずつで、刈り取られた稲が次々と機械の内部に入っていくと瞬時に脱穀をし、稲が細かく切り刻まれて田んぼにまき散らされていきます。一面に黄金色の稲穂の垂れていた田んぼが、数十分で丸刈りになってしまいます。

 うちは、自宅用の米しか作っていないので、最新式の機械はもっていません。大規模農家の人に頼んで来てもらいます。うちは酒屋で平日でも対応できるため、毎年、天気予報と相談しながら平日の割り当てになります。台風9号が関東地方を直撃した9月6日、こちらでは午後から雨が降るという予報でした。その日の早朝、「今日、刈りに行くわ」と電話がありました。

 イチローは、稲刈りを楽しみにしていたのですが、平日では幼児園と重なります。それで、登園前に田んぼへ行き、稲刈りの様子だけ見ました。5月にイチローが手で植えた2株の苗もすくすくと育って、たくさんの米を実らせていました。「マイ稲」が刈り取られるところは見られませんでしたが、育った稲は何度も見ていたので、こんど新米を食べるとき、この中に「マイ米」が入っているかもしれないと話してあげようと思います。

 イチローにとっては、苗植えから稲刈りまでをずっと間近で見られたことが、とてもいい体験になったと思います。なかでも、イチローがもっとも燃えたのが、8月から9月にかけて行ったイノシシ・パトロールです。

 稲が実り始めると、田んぼにイノシシがやってきて暴れ回ります。転がり回りと稲で体が刺激されるのが気持ちいいみたいで、いってみれば「稲田浴」です。そして、暴れるとお腹も空くので、実りかけた米をしごいて食べていきます。農家にとっては大変な被害です。

 そこで田んぼの周りにトタン板や弱電流の流れるワイヤーを張り巡らせたり、ネットを張ったりしています。それでも、イノシシはわずかな隙間から侵入することもあるので、夜の8時頃から9時頃にかけてパトロールに行くのです。

 じいじが軽トラのエンジンをかけると、

「じいじ、とこ行くん?」

 と走っていくイチロー。当然、イノシシ・パトロールにも付いていきます。そして、その初日、軽トラのライトに照らされ、慌てて逃げる巨大なイノシシの姿を見てしまったのです。帰宅後、大興奮状態のまま報告したのはいうまでもありません。それ以降、イノシシ・パトロールがイチローの日課になりました。

 そのうえ、家族の満場一致で、イチローがパトロール隊の隊長に就任することになったので、毎晩8時頃になると、「グルン」と一回転、イチローなりに隊長に変身してから本当に張り切って出かけました。

 たまに、ママローとパパローが参加すると、軽トラの荷台に3人で載って農道を走り、暗闇を携帯用の電灯で照らします。すると、バン、バン、バンとトタン板に体当たりし、必死に逃げる巨大なイノシシの姿が浮かび上がったこともありました。

 以前から、「和歌山のアドベンチャーワールドへ遊びに行こうね」と家族で話していたのですが、こっちの方がよほどサファリワールドです。

 こうして毎日パトロールに回ったおかげで、ほとんど被害にあうこともなく、たくさんのお米が収穫できました。

「もう稲刈り済んだで、もうパトロール行かんで」

 そういうイチローは、ちょっと寂しそうでもあり、ホッとしているようでもありました。

2007年9月 2日 (日)

虎が笑っとる

 8月31日に、イチローとママローと3人で甲子園球場へ行ってきました。阪神が、ヤクルトに6対4で勝った試合です。

 Dvc00044_070717 5月から毎月1試合ずつ観戦して、今回が4度目でした。さすがにイチローも、だんだんわかってきて、「6」の金本、「1」の鳥谷、「4」のシーツを覚えました。

 特に、前回の7月に選手のシールを買ったところ、中から出てきたのが金本選手で、それ以来、テレビで阪神戦の中継を見るたびに「金本」の姿と背番号「6」を探していました。その選手が、目の前を走り過ぎていきます。私たちの座る席は、いつも3塁側(オレンジシート)なので、レフトの守りにつく金本を近くに見ることができます。

 イチローは、金本の姿を見て、思わず「おー」と発しました。

 パパローは、こういう感動がよーくわかります。いまでも、それが高校球児であっても、有名な選手を生で見ると、「おっ」と思いますもんね。高校生の頃、甲子園球場で初めて長嶋さんの姿を見たときには、「今死んでも、思い残すことはない」とさえ思いました。冷静に考えれば、高校生なので思い残すことだらけなんですけど、ポーッとなると、ついついそんなふうに思ってしまうものなんですよね。イチローのリアクションを見て、そんな遠い日のことを思い出していました。

 イチローも、よほど感動したのでしょう。

「かねもと~」

 と叫んでいます。いやあ、こんなに多くの観客の中でよく声がかけられるなあと感心しましたね。

 そして、「とりたに~」、「シーツ~」とも叫びました。そして、

「おちあい~」

と叫んだと思うと、

「おらん、おらん」

と、一人で突っ込んでいるではありませんか。

 落合は中日の監督なので、確かにここにはいません。こんなところでお笑いを入れてくるとは、パパローの想像をはるかに越えていました。自分の高校時代にまで思いをめぐらして浸っていたパパローは、なんだか置いてきぼりをくったような気分でした。

 こんなとき、イチローも成長したなあとしみじみ思います。

 この日のイチローは、試合もけっこう見ていました。

 それと、前回、幼児園の先生たちから「どっちが勝ったん?」と聞かれて答えられなかったので、試合前から勝ち負けにもこだわっていました。そして、「試合に勝ったら、歌、うたうんやろ」と何度も言ってました。

 7回裏の阪神の攻撃でジェット風船を飛ばし、勝利が決まってまたジェット風船を飛ばしました。そして、球場全体で応援歌『六甲おろし』を合唱します。といっても、イチローは歌詞を知らないので、手拍子をして雰囲気を味わっていました。

「阪神タイゲン、勝ったなあ」

「うん、勝ったな」

「虎も笑っとるで」

 おっ、イキなことを言うやないかと思いましたね。

 そして、「虎が笑っトラ」とは言わなかったところに、妙にホッとしたパパローでした。

 

2007年7月24日 (火)

野球のルールは、まだ知らん

 7月17日に、イチローとママローと3人で甲子園球場へ阪神対巨人戦を観に行ってきました。

結果は、4対0で阪神の勝ちでした。

 20070620_1 甲子園で阪神が勝つと、応援歌『六甲おろし』の大合唱となります。イチローも、まだ歌詞は知りませんが、阪神ファンと一緒に3番まで手拍子していました。

 実は、この日が、甲子園では1ヵ月ぶりの勝利。ということで、『六甲おろし』の大合唱も1ヵ月ぶりでしたが、前回の大合唱というのが6月20日の楽天戦。なんと、家族で観に行った試合です。

 縁起いいです。でも、もうちょっと勝ってほしいけど。

 翌日、幼児園に行ったイチローは、さっそく先生方に報告したそうです。すると、先生方もいろいろ質問して聞いてくれたようですが、

「どっちが勝ったん?」

と聞かれて、イチローは答えられなかったといいます。

 いやあ、「どっちが勝ったん?」どころか、イチローは、まだ、野球に勝ち、負けがあることすら知りません。数字は読めても、点数が入るというのもわからないし、それ以前に野球のルールというのもほとんど知りません。

 イチローが知っているのは、まず投げて、打つことです。「打つと走る」というのは、何となくわかっているようで、パパローとバッティング練習をしていても、打つと必ず走ります。でも、走るのは、自分の打ったボールを拾いに行くためです。まだ1塁へ走ることは教えていません。

 また、審判がいること、キャッチャーが座っていることも知っています。それから高校野球をよく観に連れていくので、試合の始まりと終わりに礼をすることも知っています。パパローと遊ぶ時にも、必ず「礼、お願いします」と声をかけ、「ウーーーー」とサイレンを鳴らします。最近、目指しているのはボールをキャッチすることで、打つより、キャッチボールをしたがりますね。

 観戦の楽しみは、一つにはお弁当を食べることですね。パパローは試合開始前に食べ終え、ゆっくり試合を観たい方ですが、イチローは、「試合が始まってから食べる」と言って観ながら食べます。そして、デザートやおやつを食べて満足したら、小さなバットを打ち鳴らして応援。飽きるとママローと歌をうたったりして時間をつぶした後、7回裏のジェット風船飛ばしです。これは、かなり楽しみにしています。

 というような感じで試合が終わり、それから2時間以上かけて車で帰ります。イチローは車の中で寝てしまいますが、家に帰る頃には日付が変わっています。それでも翌朝は8時頃には起きて、45分頃には家を出て幼児園へ行きます。0歳時の頃から、ママローの埼玉の実家から横須賀まで夜中に2時間かけて帰っていたので、車の中で眠るのも慣れたものです。

 人によっては、野球のルールもわからない子を夜遅くまで球場で遊ばせてと思われる人もいるでしょうが、

「3歳の時から毎月のように甲子園を行ってたんやで」

 という事実が、将来、きっと何かの役に立つことがあると思うんですよね。少なくとも、阪神ファンとの飲み会で言えば、かなりウケるはずですわ。

2007年7月11日 (水)

肛門性格と野球

 先日の土曜日、イチローと京都サンガ対セレッソ大阪の試合を観に、西京極競技場へ行ってきました。試合は1対1の引き分けでした。帰りにイチローがこう言いました。

「パパ、これからは野球だけでいいよ」

 はぁ、そうしましょう。

20070526_1  イチローは、6月22日(金)から寝るときにも、普通のパンツを履くようになりました。昼間のおむつはずっと前に取れていましたが、その前日まで、おねしょ対策として寝るときだけはおむつをしていたのです。

 ママローは、昨年のうちからおねしょシートを用意してくれていましたが、寒いうちはおねしょをするとよけいに冷たいだろうと思い、その後は、おむつの残りが少なくなって、イチローに「どうする?」と尋ねると、そのたびに「おむつにする」と答えていたのです。

 それが、ようやく、

「イチ、もう大きくなったからパンツで寝る」

と言ったのでした。

 パンツ初日。

 おねしょしました。

 けっこう大量で、パンツはぐっしょり濡れていました。

 おむつで寝ている時から、けっこう大量のおしっこをしているのはわかっていましたが、おねしょも一度は体験しておくことが大切だよなぁと思って、自然におねしょをさせたという面もありました。そして、イチローを起こすと、おねしょすると大変やなあとか、濡れて気持ち悪いやろと話しながらパンツを履き替えました。

 また、初パンツを金曜日の夜にしたことにも理由があります。おねしょをすることで、イチローがどういう気持ちになるかわからなからず、ショックを受けたまま幼児園へ行くのはかわいそうだなあと思ったのです。でも、イチローは、予想以上に冷静でした。

 パンツ2日目は、朝の5時にイチローを起こしました。そして、「おしっこ、行こうか」と抱っこしてトイレへ急行。寝ぼけたイチローを立たせ、便器に向かいます。やはり、前夜のおねしょ体験が利いているのでしょう。イチローも、素直にしたがっています。

 ここで迷ったのが、何と声をかけるかでした。

「さあ、出そうぜ、出そうぜ!」

 という体育界風ノリもいいかと思いましたが、やっぱり、

「シー、シー」

かなと思ったり。パパローは、そう言ってもらった記憶があるので、ここで発する言葉が一生の思い出になるかもしれません。

 おむつが取れ始めた頃、おしっこに付き添ったパパローはよく「発射!」と叫び、イチローも「発射って言って」と、それを気に入っていました。でも、一人でするようになった最近は、じいじから教えてもらった言葉がお気に入りのようです。というようなことを0・5秒ほど考えて、結局、じいじ由来の

「おしっこ、チョイチョイ」

にして無事に済ますことができました。

 4夜連続で早朝に起こした後、パンツ6日目は、ちょうど寝る直前にタイミングよくトイレに行きました。それで、寝る直前におしっこしとけば安心だねと話して眠りにつきました。翌朝、いつものように起こしたのですが、寝ぼけながらもイチローは、

「大丈夫、寝る前におしっこしたから」

と言ってます。それから目覚めるまで、おねしょもせず、トイレにも行きませんでした。こうしてイチローは、寝る直前にトイレに行けば大丈夫だと知りました。それからは寝る直前か、少し前に必ずトイレへ行くようになりました。早朝に声はかけますが、イチローは、「大丈夫」と答えて再び眠ります。

 とにかく、おねしょの問題も含めてトイレトレーニングは、のんびり、焦らずにしています。今では、ウンチの時も自分でトイレへ行きますが、3歳半まではおむつでウンチをしてました。トイレに行っても出ないことが何度かあり、おむつの方がしやすいのなら、おむつでいいわと思ったからです。トイレでするようになったのも、自分で「行く」と言ってからです。でも、今もパパローか、ママローのどちらかが付き添って助けています。まだ後の処理を自分ではしていません。夜間のおしっこ問題にもう少し慣れてから、タイミングを見て徐々に教えていこうと思っています。

 なぜ、おねしょやウンチの処理に、これほど気を使うかといえば、おむつの取れる時期のしつけが、チームプレーである野球と大きく関係してくる可能性があるからです。

 心理学者のフロイトは、この頃のしつけが、その後の性格形成に大きな影響を与えると指摘しています。フロイトによれば、自分の意思でトイレに行ったり、我慢することを繰り返すうちに自律性が養われるといいます。しかし、あまりに厳しくしつけすぎて不満足な体験を繰り返すと、極端なきれい好き、白か黒かはっきりしていないと気がすまない、秩序に対して厳格でありすぎる、ケチであるように見えて変なところで浪費する、などの性格になりやすいと指摘しています。

 フロイトは、こういう性格をおむつはずしの「肛門期」に関係するので「肛門性格」と呼びましたが、日本の心療内科では「強迫性格」といわれ、最近は、さまざまな問題行動の根っこにあるのではないかという専門医もいるようです。

 また、フロイトによれば、親の厳しいしつけに反抗的になると、がんこ、怒りっぽい、反抗的、無計画なども特徴になるそうです。その結果、人とは距離を取るようになったり、他人に不信感を抱いているように思われやすいようです。

 これでは、野球のようなチームスポーツにのめりこむことは難しいです。チームに溶け込めないでは、いくら野球がうまくなっても活躍の場がありません。

 まあ、フロイトの学説であっても、それが本当に正しいかどうかはわかりませんが、とりあえず、そういうことを頭に入れつつ、のんびりとトイレトレーニングを進めています。トイレへ走るスピードは速くても、おむつがはずれる時期は遅くてもいいと思います。

 野球のトレーニングもそうですが、ステップを踏んで少しずつ身につけていけばいいかあと思っています。

 

 

2007年6月25日 (月)

甲子園球場でトレーニングしてきました。

 6月20日(水)に阪神対楽天の試合を観に、甲子園球場へ行ってきました。

 結果は、5対0で阪神の勝ち。

 阪神のルーキー上園投手がプロ入り初勝利をあげた試合で、また、楽天のルーキー田中マー君が思い出の甲子園球場でプロとして初めて投げた試合でもありました。昨年の夏、駒大苫小牧高校のエースとして早実の斎藤佑樹投手と投げ合って以来の甲子園のマウンドでしたが、5回3失点で負け投手になりました。

 イチローは、そんな二人の投げ合いにお構いなく、応援に合わせて手拍20070620 子したり、踊ったりして自分なりに楽しんでいました。その中ですごいと思ったのは、前の席の背もたれをピアノに見立て、歌をうたいまくったことです。

 イチローの通う幼児園の「いぬ組」のテーマ曲らしい 

♪僕たちは 私たちは 素晴らしい仲間たちぃ 手と手をつなげば大きな輪ができる

という歌(歌詞はイチローの歌っているままで、正確ではないかもしれません)に、

♪小さなイチゴが言いました~

というイチゴの歌。 そして、いま園で歌っている 

♪カエルの唄が 聞こえてくるよぉ

という歌などなど。

 その日の甲子園は、4万8000人の大観衆で満員でした。ざっと見渡しても、9割8分は阪神ファンです。しかも、試合は阪神が終始リードしており、阪神ファンのボルテージは上がりっぱなしです。それでもイチローは、阪神ファンの大声援もまるで耳に入らないかのように大きな声で歌っていました。前の方の席のおっちゃんやおばちゃんが振り返っては微笑んでましたね。

 イチローは、家でも、毎日、幼児園で覚えてきた歌をうたっています。ちゃぶ台をピアノに見た20070603 て、ヤカンに楽譜集をイメージしたノートを立てかけています。ノートの滑り止めは、じいじの湯呑みです。

 一番好きなのはいぬ組のテーマ曲で、最後の

♪みんなで みんなでつくろうよ 明日の、あしたの幼稚園 オゥ(と右手をあげる)

のところが一番気に入っているみたいです。

 また、イチゴが大好きなイチローは、イチゴの歌もとても気に入っています。歌を聴いていても、青いイチゴが青空体操イチ、ニッ、サンとすると、♪真っ赤か、真っ赤 になったという歌で、これは、まさに家の前の畑でイチゴが熟すのを毎日心待ちにしていたイチローのための歌のようです。

 幼児園と家で毎日うたっている歌を甲子園でもうたったのですが、すごいと思ったのは、なんといってもその集中力ですね。パパローも、子供の頃から周りがザワザワしていても勉強をしたり、原稿を書くことができますが、甲子園球場は、なんといっても4万8000人の大声援です。そんな中でも周りが気にならず、自分の世界に入っていける。ものすごい週劉力ですね。

 同時にイチローにとっては、すごいトレーニングになっていました。これを何度も体験しておけば、イチローが甲子園球場で野球の試合をすることになっても大声援が聞こえないぐらい集中して自分のプレーができるのではないかと思いましたね。

 来月も、17日の阪神対巨人戦に行きます。

 

2007年6月17日 (日)

田舎の子になりました

 野菜を見て、その名前を言える子は多いでしょうが、イチローは畑の葉っぱや苗を見ただけで、その野菜がわかります。引越してきて半年、本当に田舎の子になりました。

 20070421 イチローは、田植えも経験しました。うちの米や野菜作りは、じいじが一人でしてくれています。イチローもトラクターに一緒に乗って田んぼを耕したり、田植え機に一緒に乗って田植えも手伝いました。見ているだけでは我慢できず、イチローはすぐに乗りたがります。また、じいじが乗せてやりたいというタイプなので、ハンドルを握り、まるで自分が田んぼを耕しているような気分になっていました。

 その後で、田んぼの隅に二株だけ、イチローが苗を植えました。これから秋に実るまで、この二株の生育を見守りたいと思います。

 また、田んぼに行ってよかったなと思ったのは、アメンボを見られたことです。イチローは、アメンボを見るのは初めてです。水の上をスイスイ歩くなんて、その運動能力はかなり高く、こういう存在を身近で見られて、「おっ、すごい」と思っておくことが大事なんだと思います。

 パパローの子供の頃は、アメンボはアメンボで水の上を歩くのも当たり前と思っていて、そのすごさまでは考えが及びませんでした。忍者の水上歩行術は、たぶんアメンボを目指したのだろうと思いますが、これもアメンボを見て、「おっ、すごい」と驚いたことがきっかけだっただろうと思います。

 それに、アメンボは『手のひらを太陽に』という歌に出てきます。パパローはこの歌が大好きで、イチローと車で甲子園や西京極へ行くときも一緒によく歌い、イチローもけっこう好きです。「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって」と歌うときは、アメンボを見たことがある方が親しみがもてます。もちろん、田んぼにはミミズもいます。あとは、京都競馬場へ行って、オケラを見せれば、いい社会勉強になるかと思ったりもします。

 また、田んぼに行ったとき、生のヘビも見ることができました。イチローはケーブルテレビのアニマルチャンネルではヘビを見たことがありますし、2歳頃から「ヘビちゃん、ノロノロ」といえば、怖いものの一つでした。しかし、実物のヘビを生で見たことはありませんでした。

 その日、農道を歩いていると、ヘビが草の上で休んでいました。イチローは、それをじっくり観察した後、棒でつっつくと、ヘビはニョロニョロと逃げていきました。動くヘビが見られたので、イチローは大喜びでした。

 20070526 畑では、じいじの作ってくれたイチゴもたくさんとれました。イチローはイチゴが大好きで、三浦半島にいたときには毎年イチゴ狩りに行っていたのですが、今年は、自分ちの畑でニ、三日ごとにイチゴ狩りして、一度に20粒ほどを一気に食べてました。パパローはタイにいたとき、マンゴスチン20個の一気食べをよくしていましたので、そのおいしさと気分のよさ、満足感はよくわかります。イチローも、イチゴを食べ終わった後、なんともいい顔をするんですね。

 こんなゼイタクができるのも、田舎に住んでいるからですねー。

同立戦に行きました。

 5月28日(月)、同立戦を見に西京極球場へ行ってきました。去年までは早慶戦でしたが、関西に引っ越した今年からは、やっぱり同立戦です。

 綾部の実家から車で約1時間半かかけて阪急電車の桂駅まで行きます。駅前に車を止めて、桂駅から電車で一駅。家からはおよそ2時間ぐらいです。

 早慶戦もハンカチ王子の活躍で大入り満員だったようですが、立命館大学の優勝がかかっていた同立戦もたくさんの観客が入っていました。

 20070528 大学野球の観戦に慣れたイチローは、試合前、『同志社スポーツ』を広げて戦力分析? していました。

球場には3塁側から入ったのですが、ちょうど立命館側で応援グッズをもらいました。席についたのはバックネット裏で、ホームベースの真裏ですが、イチローは立命館の応援グッズを振りまわして周りの人にウケていました。

2歳のときには神宮球場で早稲田のチアリーダーに突進したり、チアリーダーと一緒に踊ったりしていたのですが、3歳半になって、イチローも恥ずかしいという気持ちが強くなったようです。同立の学生が一斉にジェット風船を飛ばすのに、チアリーダーがジェット風船を配っていましたが、一人でもらいに行くこともできず、「パパ、一緒に行こう」とグズったほどでした。しかも、近くへ行ってはみたもののモジモジ。気づいてくれた立命館のチアリーダーが渡してくれて、やっともらえたのです。

 試合は9対3で同志社が勝ちました。この試合には1回生(1年生のことを関西ではこういいます。なぜかは知りませんので、また調べておきます)の選手は出ていませんでしたが、関西の大学野球界でも、今年はハンカチ王子と同じ1回生の活躍が目立ったようです。また、楽天の田中将大は、すでにプロで活躍しており、野球界でもこの”ハンカチ世代”は当たり年といわれています。

 その前の当たり年といえば、松坂大輔を中心とした”松坂世代”でした。さらに、その前が桑田、清原の”KK世代”。その前が、江川卓を中心とした元祖”黄金時代”です。

 生まれ年で見てみると、江川世代が1955年生まれで、KK世代が1967年。さらに、松坂世代が1980年生まれです。ちょうど12年、13年間隔で、当たり年となっていました。

 その法則に当てはめると、次の当たり年は92~93年生まれの予定でしたが、ハンカチ王子こと斎藤佑樹の生まれは1988年。12~13年間隔が、松坂世代からはわずか8年に縮まりました。

 ここ10年以上の野球人気が、大きく影響しているように思います。イチローの出現が1994年、野茂がメジャーリーグに挑戦してトルネード旋風を巻き起こしたのが翌95年のことでした。これをきっかけに、サッカー人気に押されていた野球の人気が復活。高校野球の登録選手も増え、男の子の将来の憧れは野球選手が第1位となりました。ちょうどその頃は、ハンカチ世代が本格的に野球を始める時期。優秀な選手が育つ雰囲気が充満していたといえます。

 そして、それ以降も、松坂の出現やイチローのメジャー挑戦、ハンカチ王子の登場にWBC優勝と野球の時代は続いています。ということは、選手の当たり年の出現も、今後は8年前後で回っていくのではないかと思われます。ということは、ハンカチ王子の次の当たり年は、95~97年生まれで、さらに、その次が02~04年生まれになるのではないでしょうか。

 となれば、03年生まれの「松井イチロー世代」の到来というのも、これはありうるなあと。まあ、これが書きたくて長々と書いてきたのですが、こんなことを思っているので、イチローの授業参観日に子供たちのリズム遊びを見せてもらうと、思わず、運動能力の高い子、動きのバランスのいい子を探し出し、「この子、イチローと一緒に野球しないかな」と思ってしまうのでした。おかげで、どこへ行っても楽しいです。

2007年5月17日 (木)

ジェット風船飛ばせず……

 5月9日に、イチローとママローと3人で甲子園球場へ行ってきました。阪神対巨人のナイターでした。阪神が連敗中で、最後に藤川で逆転され、9連敗となった試合です。

 この日は昼間が夏のような暑さで、三塁側ベンチの上の方、最上段近くの席に着くと夜風がとても気持ちよかったです。

 20070509 まず、座席に着くとお弁当です。イチローは食べている間は、とてもご機嫌です。食事後、しばらくパパローが抱っこしていましたが、しだいに動きたくなってきたようでした。だけど、座席の間隔が狭く、左隣では若いカップルが応援グッズを打ち鳴らしてているし、右の方にも親娘のような二人が阪神を応援しています。身動きが取れないので、やがてイチローはぐずり始めました。

 でも、ぐずっていいんです。あんな狭いところでじっとしていられる方が心配です。しかも、ここは野球場で、目の前では金本や鳥谷、高橋由伸や阿部慎之介たちが野球をしています。将来は野球選手になってほしいと思う子が、そんな雰囲気の中でじっとしていることの方が、体調が悪いのではないかと心配です。体を動かしたくて仕方ない。そう思ってこそ、未来の野球選手なのです。そこでパパローはイチローをつれて、通路になっている階段の最上段へ行きました。その周囲は席が空いており、気兼ねすることなく自由に動くことができるからです。

 最初は通路を上がったり、下りたりしていたイチローですが、やがて、阪神のメガホンを打ち鳴らす「チャッ、チャッ、チャ、チャ、チャ」というリズムに合わせて体を動かすようになりました。

 なにしろ甲子園球場の観客席は、巨人の応援団はレフトスタンドの一角だけで、あとはグルッと阪神ファンが取り囲んでいます。そのうえ、応援グッズの音や歓声が甲子園名物の銀傘に反響して心と体を震わせます。そのうち、イチローは「チャッ、チャッ、チャ、チャ、チャ」というリズムに合わせ、腰を左右に振り始めました。そして、振り終わるたびに通路の階段に座っているパパローに抱きつき、大笑いしています。

 そんなイチローの様子を見ながら、うちの家族は関西に引っ越して来たんだなあと、改めて思いました。そして、こうやってイチローは阪神タイガースファンになっていくのだろうなと思いました。

 そうこうしているうちに、7回裏のジェット風船を飛ばす時間が近づいてきます。ところが、今か、今かと待っても、ジェット風船売りが現れる気配もありません。仕方ないので売店へ行きましたが、売っていません。聞けば、ジェット風船は球場の外で買ってくるのだそうです。

 パパローが、甲子園球場で阪神戦を見るのは、いつも記者席です。客席でジェット風船を飛ばしたこともありません。だから、阪神ファンがジェット風船をどこで買っているのか知りませんでした。というわけで、残念ながら、イチローが楽しみにしていたジェット風船飛ばしはできず、見ているだけでした。

 その後、イチローが通路に落ちた風船を拾いに行きました。階段の上段でしゃがみ、一段下の風船を拾おうと思った瞬間、頭から突っ込むようにひっくり返り、階段を二段ほど転がり落ちました。近くの阪神ファンが驚いて助けに行ってくれましたが、パパローは上段からニヤニヤと笑って見ていました。イチローが泣かなかったので、大丈夫だと判断していたからです。その一週間ほど前、福知山市営球場で階段を転げ落ち、脇腹にすり傷をつくった時には、転げ落ちた瞬間に泣いてましたから。イチローもすぐに自分で立ち上がり、パパローのもとへ走って帰ってきました。見ていた阪神ファンも笑っています。

 まあ、関西人は笑ってもらってナンボ。このような体験を重ね、体を張ってでも笑ってもらうことを覚え、清く正しい関西人として成長していくのだなあと思いましたね。 

 というわけで、今度はジェット風船を飛ばすため、6月20日にまた3人で甲子園球場(楽天戦)へ行きます。

 

2007年5月 7日 (月)

3歳で10球場制覇!

 ゴールデンウィークには、イチローを連れて2回野球観戦に行きました。

20070401_dscn3186  3日が高校野球の春季大会で、パパローの母校の綾部高校が立命館高校と対戦した試合。会場は市営福知山球場でした。そして、4日が関西学生リーグの近畿大学対立命館大学、関西学院大学対同志社大学で、会場は神戸のスカイマークスタジアムでした。

 実は、そのスカイマークスタジアムが、イチローが訪れた10番目の球場でした。記念の球場が、かつてイチローが本拠地にした球場であることに、パパローはちょっぴり感激でした。わざわざ狙ったわけではなく、ふと数を数えてみたら、ちょうど10番目の球場だったのです。

 生後4ヵ月半で初めて訪れたのが東京ドームで、ニューヨーク・ヤンキース対タンパベイ・デビルレイズの試合でした。松井秀喜がホームランを打った試合でもあり、それ以降、東京ドームには巨人戦とアジアシリーズで3回行っています。

 2番目に行った球場は横須賀スタジアムで、湘南シーレックス対ヤクルトの2軍の試合でした。お土産に、犬の小さなぬいぐるみをもらいました。今は一軍で活躍しているヤクルトの青木選手も見ています。

 3番目に行ったのは横浜スタジアムで横浜対巨人の試合でした。横浜スタジアムは、その後、高校野球の夏の予選と大学野球の横浜市長杯決勝を見に行っています。

 4番目に行ったのが久里浜にある湘南学院のグラウンドで、神奈川県の春季大会でした。パパローとクルマで近くを通ったら、ちょうど試合をしていたので寄ってみたのです。対戦は湘南学院対相模原田名でした。

 5番目が神宮球場で、早稲田対明治大学の試合でした。この時、ちょうど1歳半です。その後、神宮球場には早稲田と青山学院の試合に3回行き、早稲田の学生と一緒に応援したり、青山学院の選手のお母さんたちにお菓子をたくさんもらいました。

 6番目が横浜高校の長浜グラウンドで横浜高校の練習試合を見ました。試合より、帰りにグラウンドの周囲でどんぐり拾いをしたことの方が楽しかったみたいです。

 7番目が甲子園球場で、昨年の春のセンバツです。早実の斎藤祐樹投手を見ています。今年の春のセンバツにも行き、帝京対広陵、関西対大垣日大戦を見ました。今月9日には、初めて阪神戦(対巨人)を見に行く予定です。ジェット風船飛ばしを楽しみにしているようです。

 8番目があやべ球場で、京滋大学リーグの京都創成大学対京都学園大の試合でした。今年4月のことです。ファールボールがネット裏へ飛んで来た時には、持ち込んでいたバットをさっと手にして、打ち返そうとしました。ボールは遠くに落ちたのですが、そのとっさの行動がすごいと思いましたね。

 9番目が5月3日の福知山球場で、そして10番目が4日のスカイマーク球場です。

 パパローの友人には、これまでに100以上の球場で野球を見たという人もいます。パパロー自身は、現在までシアトルのセーフコスタジアムからあやべ球場まで73球場です。イチローが、これから何ヵ所の球場で野球を見るのかわかりませんが、とりあえず、数をかぞえておこうと思っています。

 また、4日の関西学生リーグの試合までで、観戦した試合は計25試合になります。こちらも、一生に何試合観戦するのかわかりませんが、記録だけは残しておこうと「観戦暦」のメモを残してあります。パパローは、もはや生涯で何試合の試合を見たかは不明ですが、イチローには数えてほしいと思っています。

 ただし、「観戦」といっても、試合を見ているのは何かを食べている時のほんの数分で、あとは球場内を走り回っているか、誰かに相手をしてもらっているか、スコアブックに落書きしているかです。スカイマークでは2試合で6時間いたうち、1時間半ぐらいはテレビカメラ置き場の日陰デバスタオルを敷いて寝てました。

 それでも、最近はバックネット裏でピッチャーに合わせてバットを振る真似をしたり、キャッチャーになったり、審判の真似をしたり、少しずつ”野球少年”らしいことをするようになっています。

 また、幼児園では、今日、ゴールデンウィーク中にしたことを一人ずつ発表したそうですが、イチローは、みんなの前で「野球を見に行った」と話したそうです。

2007年4月24日 (火)

打撃練習の秘訣

 イチローが「パパー、パパー」と呼んでいましたが、二階で長い文章をパソコンで打ち込んでいたため無視する形になってしまいました。そしたら、イチローがこう言いました。

「じいじ、ちょっと『ヒロシー』って呼んで」

 なかなか知恵者だと感心します。

 家の中でイチローと野球していると、たまにじいじが見に来ることがあります。イチロー200703111 が空振りすると、じいじが「ハハハ、空振りー」と笑います。すると、不思議なことにイチローのバットの振りが鋭くなるのです。これは新しい発見でした。

 野球のピッチングでも、外角のスライダーでバッターを仕留めようと思えば、その前に内角球を見せておく方が効果的です。それと同じで、ほめてばかりでもそこそこいい振りをしますが、その前に笑われたり、怒られたりした方がもっといい振りができるということでしょう。

 でも、そこにはポイントが一つ。笑ったり、怒ったりする人とイチローの間に信頼関係があることです。これがなければ、イチローは、逆にやる気をなくすはずです。

 イチローとじいじは、とても仲良しです。朝、イチローが起きると、じいじがやってきて「おはよう」と言います。イチローは返事をしません。すると、じいじが「耳、日曜か?」と聞き、イチローが「日曜や」とか、「土曜や」と答えます。しかも、このやり取りをほぼ毎日繰り返しているのです。いまでは一緒にお風呂にも入る日もあります。 

 また、幼児園に行かない日には、じいじといることが一番多いぐらいです。お酒の配達、畑仕事、買い物、お使い等々、どこへでもついていきます。先日も、買い物に一緒に行って、じいじが店の人と話している間に、イチローが店先のイチゴのプランターから熟したイチゴを失敬。口に入れたそうです。イチローは、とにかくイチゴが大好きなのです。

「ボク、イチゴ食べたらアカンで」

というおばさんの声で、じいじもビックリ。じいじは、そのイチゴのプランターを買って帰るハメになりました。今、そのプランターは家の前にあり、イチゴが赤くなるとイチローが食べています。

 じいじが、昨年植えてくれたイチゴは、今ちょうど花を咲かせているところで、熟すのはもう少し後のようですが、このじいじ効果で、イチローのバッティングもこれからますます上達することでしょう。

2007年4月11日 (水)

他人と違って大いに結構

 4月6日、綾東幼児園で入園式が行われ、イチローも晴れて園児となりました。当日は、 まず園児20070406_dscn3192だけ新しい教室に入り、親たちの待つホールへ入場することになっていました。ところが、イチローにそれを伝えると、とたんに泣きそうになりました。

「一緒にぃ」

パパロー、ママローと一緒にホールへ入ると言って聞きません。結局、イチローは、園児たちの入場をパパローの膝の上で見ていました。名前を呼ばれた時の返事も、パパローの膝の上で立ち上がり、「はい」と応えました。

 幼稚園と保育園を合わせた幼児園には、0歳児から通っています。イチローと同じように入園式の間はずっとパパやママと一緒にいる子もいましたが、イチローの3歳児のクラスでは18人のうち2人だけでした。一つ下のクラスでも、ほとんど園児だけで座っていました。

 でも、パパローは、イチローが親と一緒にいたことがうれしくて仕方ありませんでした。名前を呼ばれて返事をする時、パパローの膝の上に立たせ、目立つようにしたのもパパロー自身です。それほどうれしかった理由は、

「少数派だから」

という一点に尽きます。みんなと同じ行動をするのではなく、自分の意思で別行動をとった。少数派であったというだけで、「あっぱれ!」と声をかけてやりたい気持ちでした。

 大学生以降のパパローは、つねに「人と違うことを言ったり、したりする」というのが行動基準でした。

 パパローは、学生時代、政治家の菅直人さんの事務所に出入りして、国会質問を作ったり、市民運動をしたりしていました。現在の菅さんは民主党の大幹部ですが、30年近く前は小さな政党の若手議員です。しかも、組織もなければ、お金もありませんでした。そこで目立つには、他の政治家とは違うことをすることでした。実際、知恵をしぼり、他の政治家と違うことをしたことで、何度もマスコミに取り上げられました。

 また、週刊文春の記者時代に求められたのも、いかに他人と違う発想をするかでした。そのためには、新聞記事を読んでも、つねに何がわからないかを考えよと教えられました。書いてあることは、読めば誰でもわかるからです。

 人と違うことを言ったり、見たりする。これを行動基準にしていたからこそ、学生時代から今までフリーのライターとして仕事もできてきたのだと思います。

 入園式が終わると、園児だけ先に教室に入ることになっていました。それをイチローに伝えると、今度は「みんなと行く」と言って親から離れていきました。団体行動もできないわけじゃない、というところを最後にちらっと見せるのも、なんともイチローらしいと思いました。やっぱり、かなりあっぱれなヤツです、イチローは。

2007年4月 2日 (月)

イチロー、甲子園に登場!

 4月1日、イチローと甲子園球場へ行ってきました。家からクルマで1時間半ほどです。本当は2日の準決勝を観戦予定でしたが、見たかった大阪桐蔭が準々決勝で負けてしまったので一日早めました。準々決勝の2日目で、カードは帝京対広陵(7対1)、大垣日大対関西(9対1)でした。

 席は、パパローの友人の皆さんが確保してくれていたので、バックネット裏、記者席の前でした。そこに座って試合が始まると、いきなり帝京4番の中村君と8番杉谷翔君がホームラン。イチローは、その両方ともをしっかり見ていました。

 日本代表の「ICHIRO 51」のユニフォームを着ているのは去年と同じですが、野球への興味が全く違っていました。去年は大勢の人がいるのや、客席を走り回ることの方がうれしかったようなのに、今年はちゃんと野球を見てました。 

 で20070401も、2本のホームランで球場全体が盛り上がると、もうじっとしていられません。靴を脱いで座席に上がると、そこに座って構えます。そして、ピッチャーの投球に合わせてボールを受ける真似をします。そして、立ち上がったかと思うと、

「パパ、イチも顔につけるのほしい」

と言いました。 キャッチャーマスクを要求しているのです。さらに、

「パパ、キャッチする人は2や」

とも言いました。数字がわかるようになったので、背番号に興味を持ったようです。かと思うと、今度はピッチャーの投球に合わせてバットを振る真似をします。これを何度も繰り返した後、ついにこう言いました。

「パパ、イチも、あそこで野球したい」

 泣かせますねぇ。この言葉は、しっかり書き残しておかなきゃいけないですね。いやぁ、本当に12年後に実現するといいですね。

 それから靴を履いて通路の階段に立ち、ピッチャーに合わせてキャッチャーになったり、バッターになったりしていました。やっぱり一番興味があるのが選手なんですね。

 動き回りながら野球を見ていると、お腹も空くし、ノドも乾きます。そこでイチローが目をつけたのが球場内の売り子で、アイスクリームを買いたいと言い出しました。ほどなく、アイスクリームを売る女の子の姿が見えましたが、座席が記者席の前なので、待っていても売り子は来てくれません。それでイチローにお金を渡し、自分で買いに行くように言いました。

 300円を握り締めて、イチローは通路の階段を下りていきましたが、振り返り、振り返りパパローの顔を見ます。やっと売り子の近くへ行っても、声がかけられないようで、またパパローの方を見ます。パパローの周りの友人たちからも「初めてのおつかいだね」と言われ、試合中にもかかわらず、注目を集めています。すると、売り子が気づいてくれて、会話をかわしたかと思うと、カップ入りのアイスクリームがイチローに手渡されました。一転、イチローの顔がニコやかになり、弾むように階段を駆け上ってきました。わずか5メートルほどの距離でしたが、イチローにとっては初めてのお買い物でした。

 家に帰ってきてからは、空き箱を抱えて「アイスクリーム入りませんかー」と売り子の真似もしていました。結局、甲子園で一番印象に残ったのはアイスクリームを買ったことだったのかと思いましたが、今日、イチローと一緒に高校野球のテレビ中継を見ていると、こう聞いてきました。

「パパ、なんでキャッチする人が2人おるん」

 テレビ画面には、マスクをかぶった人が二人映っています。昨日、甲子園では気づかなかったのに、審判の存在に気づいたのです。

「一人はキャッチする人だけど、その後ろにいる人は、『ストライク!』っていう審判というおじさんなんやで」

 三回、そう説明しても、イチローは「わからん」と首を振ってました。でも、夜に部屋で野球して遊んでいたら、

「審判という人がおって、ストライクって言うんやな」

 イチローは、ちゃんと理解していました。こうしてイチローは少しずつ野球を覚え、野球が大好きになっています。

ちなみに「甲子園で園歌を」というのは、イチローがあっさりと拒否。実現はしませんでした。また夏かな。

2007年3月29日 (木)

甲子園で園歌を!

 イチローは、2月下旬から10回ほど綾東幼児園に通っただけなのに、もう園歌を覚えま061224 した。折りから、センバツ高校野球大会の開催中。「つくし たんぽぽ顔出して」とうたうイチローを見ていると、パパローのイメージはどうしても甲子園で勝って校歌をうたう高校球児のイチローに。そんな光景を思い描くだけで、ウルウルしてしまいます。

 ああ、イチローを早く甲子園に連れて行きたいなあ。せめて観客席で、綾東幼児園の園歌を堂々とうたわせたいと思います。

 でも、明日はパパローが阪神タイガースの開幕戦へ行きます。開幕戦の記者はスーツ着用が決まりですので、年に数えるほどしか着ないスーツで行きます。イチローと甲子園に行くのは、準々決勝か、準決勝ぐらいの予定です。

 イチローは、3月23日で幼児園の一時預かりを終了して、4月6日に正式に入園します。この日から「いぬ組」さんの園児として三年保育が始まります。

 2月、3月の”お試し期間”で、先生方にも、お友達にもすっかりなじんでいるので、ほとんど心配はありません。でも、一つだけ引っかかっているのがウンチです。オシッコは、もう完全に一人でできるようになりましたが、大きい方ができないのです。まあ、まだ3歳4ヵ月なので仕方ないとしても、一つめの問題はおむつじゃないとできないことです。家のトイレだと、高くて足が宙に浮くのでしずらいみたいです。

 これについては、おまるを買えばいいと思うのですが、もう一つ問題なのが幼児園で出ないことです。

 幼児園に行く前に家で出ればいいのですが、出なかったら幼児園でということになります。そのため、おむつのまま幼児園に行くのですが、緊張からか出きないのです。

「したくなったら、『先生、ウンチ』って言えばいいんだよ」

「いやぁだ」

「どうして?」

「イチ、恥ずかしいもん」

 そうなんですよね。その気持ちは、よくわかります。パパローの子供時代も、とても先生にそんなことを伝える度胸はありませんでした。そればかりか、家から一歩出ると、もよおすこともなかったです。大人になるまで、外でトイレの個室に入るということがありませんでした。

 一度、こんな失敗があります。

 大学生の時、女の子と喫茶店にいたら、急にもよおしたのです。外でもよおすことがなかったので、かなり焦りました。そのうち何の話をしているのかもわからないような状態になりました。「もう限界に近い」と思った時、ふと、

「できるだけ早く行って、帰ってくればいいんだ」

 と思いました。時間がかかると、「ひょっとしてうんち?」と思われるかもしれないけれど、短時間で済ませば、そう疑われることもない。ヨシと覚悟を決め、頭の中で段取りを何度もイメージトレーニングしました。そして、

「ちょっと、トイレに行ってくる」

 そう言い残して足早にトイレに向かったのです。そして、ダッ、ダッ、ダッと済まして急いで戻りました。

 戻ってくると、彼女は自分の手帳を見ていました。疑っている様子はありません。

「おー、これぐらい早いと完全にセーフだね」

 心の中でガッツポーズしていると、今度は彼女が、「私もトイレに行ってくるね」と立ち上がりました。

 こちらは、もうホッとして、お腹もすっきり、心もすっきり。鼻歌まじりで待っていると、彼女が帰ってきて、こう言いました。

「松井くん、流さなかったでしょう」

 グワーーーーーーーーーーーーーーーーーォ。 

 イチローも、いつかこんな経験をするのでしょうか。

 

2007年3月14日 (水)

ママのお腹の中はピンク

「ママのお腹の中は何色だった?」  「ピンク」

「お腹の中で何してたの?」  「ねんねこ」

「ママの声は聞こえた?」  「うん」

「生まれる時、どうだった?」 「頭、痛い、痛い」

 これは、2歳半の時のイチローとママローとの会話です。幼児期には胎内の記憶が残っ20070302 ているといわれますが、確かにイチローも覚えていました。その場にパパローはいませんでしたが、イチローはママローの問いかけに即答したといいます。パパローの帰宅後、もう一度尋ねみましたが、やはり同じ答えでした。

  実は、その時、もう一つの受け答えがありました。

「パパの声は聞こえていた?」  「聞こえなかった」

というものです。

 えー、毎日のようにあれほど声をかけていたのにー。「生まれてくるとねぇ、楽しいことがいっぱいあるんだよ」「野球っていうね、とっても面白いスポーツが待っているからね」「生まれてきたら、パパとね、いっぱい、いっぱい野球しようね」って声をかけてたでしょ。聞こえてなかったのぉー。

 などと叫ぶほど、パパローは若くはありません。ママローの妊娠中、パパローはすでに42歳。ひょっとすれば、パパの声が聞こえていないかもしれないというのは想定の範囲内でした。だから、常に、自分の声がママローのお腹の奥深くまで沁みこむようにと念じながら話しかけていました。

 たとえば、ママローと外出していて自動車が来ると、「クルマが来たよ」と声をかけます。そんなときでも、胎内にまで沁みこむように話せば、「気をつけてね」という思いが、ママローと共にお腹の赤ちゃんにまで届くのではないかと思っていたのです。「人生って楽しんだよ」「野球は、とっても面白いよ」と声をかけたときも同じです。沁みこむように話すことで、どれほど誕生を心待ちにしているかという思いが、胎内のイチローにまで届くのではないかと思っていました。

 イチローも、3歳になって四月から幼児園(幼稚園と保育園のいいとこ取りをさせた新しい施設)に正式に通います。園児調査票に「好きな遊びは?」という質問がありましたが、イチローは「野球」と答えました。また、今日は入園説明会でしたが、内科検診の順番待ちの間は、パパローとキャッチボールをしていました。どう考えても、イチローは、胎内でパパローのメッセージをしっかり受け止めていたとしか思えないのです。

 胎内にいた時のイチローは、また大切なことを教えてくれました。話をする相手の体内に、声が沁みこむように念じながら話すと、その人に対しても他の人に対しても、とても優しい気持ちになれることを教えてくれたことです。毎日の生活のなかでは、この大切なことを忘れてしまう時もありますが、イチローが幼児園へ入園するのをもう一度心に刻みたいと思います。

2007年3月 5日 (月)

ICHIRO 51 トランプに夢中

 イチローが、今、最も夢中になっているのがトランプの神経衰弱です。いつも「お風呂、20070217_1 入らな~い」と叫び、お風呂嫌いの3歳4ヵ月ですが、「トランプしてから、お風呂に入ろうか」と言うと「うん、そうしよう」と機嫌がよいこともあって、毎日のように遊んでいます。使うトランプは、もちろん「ICHIRO 51」仕様です。

 神経衰弱を始めて1ヵ月ほどになりますが、今では結構強くなりました。ボーッとしながら相手していると、総取りされることもあります。

 一度に3~4枚の場所を記憶しているようです。間違えると「もう一回」と言ってめくり直し、自分で「ズル」と言ったりもしてます。昨日は、パパローが取ったカードを目の前に並べ直し、自分でめくっては自分の取り分にしていました。総取りの快感が忘れられないようです。

 イチローが数字を覚えるようになったのは、2歳すぎのことです。お風呂でママローと1~10まで数えてました。パパローは、「さすがに、数字はまだ早いだろう」と思いましたが、ママローは、なにしろソロバンの先生の娘。自然に数を教えたくなるんだろうなと思いましたね。お風呂から聞こえてくる2人の声も楽しそうでしたし、野球に数字は付きものです。

 それからは「飴ちゃん、2個ね」とか、「クッキー5個」とか、「おせんべい、何個食べる?」というように、パパローも、ママローも生活の中で数字を意識するようにしました。イチローと毎日のようにこんなやりとりをしていると、半年後には、「イチくん、パパの部屋から、この紙(コピー用紙)2つ持ってきてくれる」などと頼めるようにもなりました。イチローはお手伝いが大好きなので、そんな頼み方をするともう大張り切りでした。

 ちなみに、関西ではいいおっちゃんでも、飴のことを「飴ちゃん」と呼びます。関東出身で関西に赴任した新入社員が、いかつい上司から「飴ちゃん、食べる?」と聞かれて思わず吹き出すこともあるそうです。

 さて、横須賀にいる頃からイチローに数字の読み方も教えていたのはママローですが、綾部に引っ越してきてから、イチローはカレンダーの数字に興味を示すようになりました。カレンダーを見ながらパパローが、たとえば、「5はどこ、どこ、どこにある?」と聞くと、イチローが探して指差します。これを延々と繰り返すのです。こんな遊びを毎日していたある日、ばあばがオリックス時代のイチロー・トランプを持ってきてくれました。ずいぶん前の三ツ矢サイダーの景品が、店に残っていたそうです。

 このトランプに、イチローが、また大変な興味を示しました。カレンダーでの数字探しをやめ、トランプを並べて遊ぶようになりました。そこで神経衰弱を教えてみると、すぐに夢中になったというわけです。

 今は、混乱しないようにハートとスペードの2~10までの18枚だけで遊んでいます。ゲームを初めて4回目ぐらいまではは「おっ、よく覚えているなあ」と感心するほどですが、5回目ぐらいになると集中力が途切れるようで、間違えが目立ってきます。「A(エース)」と、野球で三振を意味する「K」を加えるのは、もう少し後ですねぇ。

2007年2月28日 (水)

家に入れない・・・

 外出したがるイチローに「どこへ行く?」と聞くと、パパローの実家へ引っ越した今でも「三浦海岸」と答えます。横須賀に住んでいた時は、よく行ったものなあ。当時の自宅からクルマで15分ほどで、天気が良ければ砂浜で遊び、天気が悪くてもクルマの中から海を見ながら歌をうたったりしていました。今は山の中で暮らしているので、海が恋しくなっているのかもしれません。

 外出ということでいえば、パパローにとって引越し後に大きく変わったことの一つに、家のカギを持たなくなったことがあります。商売をしているので、誰かがウチにいます。外出の時、声はかけても、カギまでかける必要はありません。カギを持って出るのは家族全員が外出するだけですが、この2ヵ月で一度しかありません。

 パパローは、高校を卒業して一人暮らしを始めて以来、カギを財布の中に入れていました。外出の時は必ず財布を持って出るので、財布の小銭入れの中なら絶対に忘れないと思ったからです。でも、28年間で一度だけ、財布を持たずに外出してしまい家に入れなかったことがあります。

 昨年の1月12日のことです。当時は、三浦半島に住んでいました。その日、用事で東京へ行くママローを京急久里浜駅までクルマで送ったのですが、出かける前、「駅まで送ったら、すぐに帰ってくるし、クルマだし、ジャージのままでいいか」と思ったのは覚えています。何の気なしにクルマを出してママローを駅まで送り届け、イチローと家に帰ってきたところで、はたと気づいたのです。

財布とカギがない! 

 おまけに携帯電話も家の中です。ママローに連絡して帰ってきてもらうこともできません。近所で電話を借りることも考えましたが、電話番号をしっかりとは覚えてませんでした。念のため、勝手口や窓のカギが開いていないかと確認しましたが、どこも締まっています。ということは、2歳2ヵ月のイチローと二人、締め出されてしまったということです。それがお昼の11時頃で、ママローが帰ってくる夜まで、なんとかしのがねばならなくなりました。

 イチローのおむつとお尻拭きは、いつもクルマに積んでありました。とりあえず、おむつを替えることはできます。クルマのガソリンもたっぷり残っていたので、1月とはいえ、クルマの中で暖をとることもできます。凍え死ぬことはないと思ったら、かなり安心しました。

 イチローに「家の中に入れないよ」というと、「イチ、おうちは入れないよー」とすぐに理解しました。「食べるものもないから、どうしようか」というと、「ケンタのじいじ、行く」と答えます。でも、「お金もないので買えないんだよ」というと、「ヤバイよー」と答えます。その頃、「やばいよー」がイチローの口癖の一つでした。

 ちなみに今の口癖は「~でやんす」です。昨日もショッピングセンターの子供広場で、「これで遊ぶでやんすー」などと「でやんす」を連発。一緒にいたお母さんたちを爆笑させてました。一人のお母さんに「やんすは、誰が言ってるの?」と聞かれ、イチローは「『ぜんまいざむらい』(NHK)」と答えていました。登場人物をマネしているようです。

 さて、家に入れなくなってお金もない。問題は、食べ物をどうするかです。昼食の時間も近づき、ちょうどお腹も空いてきました。

「じゃあ、イチ、行くよ」と向かったのが、三崎の「うらり」でした。うらりは、地域の魚屋さんの集めた施設で、京都北部でいえば、舞鶴の「とれとれセンター」みたいなものです。うらりへ行くと、幸運にも、海草をつかったソバの試食をしてました。「どうぞ、食べてみてください」と言われるままに手を伸ばします。イチローにばかり食べさせていると、お店の人から「お父さんも食べてくださいね」と言われましたが、少しでもイチローに食べさせおくことの方が先決です。パパローはジャージ姿、イチローも「寝起きでしょう」という格好でしたが、この際、見かけを気にしている場合ではありません。その後、マグロのコロッケも試食させてもらい、次へ向かいました。

 次に向かったのは、三崎のフジスーパーでした。ちょうどお昼前ということもあって、焼きたてのパンがおいてありました。これに手を伸ばし、お惣菜コーナーへ行くと、なんと、とんかつがありました。イチローと二人で二切れずつ食べると、けっこう満足しましたねー。さらに、みかんの試食まである。デザート付きのお昼ご飯になりました。大満足!

 それから秋谷海岸の立石公園へ行って、一休み。おむつを替えた後、歌をうたったり、お話をしていると、やがて、イチローはクルマの中で2時間ほど昼寝をしました。これでけっこう時間が稼げました。

 お昼寝から目覚めると、イチローが「何か飲むぅ」というので、クルマを出して久里浜行政センターへ向かいました。そこには給水機があり、学校帰りの小学生が水を飲みに来るのを知っていたからです。その後、そろそろ夕食をということで、いつも利用していた岩戸のコープと佐原のフジスーパーをめぐりました。少し早めに行かないと、せっかくの試食品がなくなってしまうからです。さすがにとんかつのような大物にはありつけませんでしたが、ウインナーやドレッシングを試食するためのキュウリ、豚肉のしゃぶしゃぶなどを食べてイチローも満足そうでした。パパローは「また買い物に来て、お返ししますからねー」と心の中で手を合わせました。

 イチローに、「ママ君は、何時に帰ってくると思う」と聞くと、「8時」と答えました。当時、「何時?」と尋ねると、必ず「8時」と答えたのですが、その頃に家へ帰り、クルマの中で待っていると、本当に8時頃に帰ってきたのでした。家の角を曲がり、姿を現したママローは女神のように見えましたね。

 カギを忘れたと気づいた一瞬だけは焦りましたが、後はけっこう楽しかったです。家に入れなくても、イチローも何とか無事でした。今となっては、横須賀時代の楽しい思い出です。

2007年2月20日 (火)

綾東幼児園へ

 赤信号でクルマが止まったら、イチローが、

「イチ、オシッコしたい」

と言い出しました。その日はおむつではなく、パンツを履いていました。”おむつ卒業トレーニング”の最中なのです。

「えっ、どこでするん?」

と叫んだのはママローでした。都会育ちのママローも、田舎に引っ越して来てこんな体験は初めてでした。

「道端やろ」

20070219_1  そう答えたのは、もちろんパパローです。30年前までの田舎暮らしが頭によみがえります。ママローは「えっ」と答えたものの、ちゅうちょしているヒマはありません。後部座席のママローが、イチローを抱えて降りようとします。その時、信号が青に変わりました。何台かのクルマが、後ろに並んでいます。でも、発進などできません。焦りはしませんでしたが、怒りのクラクションは覚悟しました。「すみませーん」と心の中でつぶやいたと思ったら、後ろのクルマが何も言わず、追い越していくではありませんか。年配の運転手の笑い顔が見えました。

 田舎暮らしの良さは、こういうところにあります。交差点といっても、対向車はなし。後続のクルマが反対車線へ出て追い越していくことができたのです。まったくもってのんびりしたものです。

 ママローはイチローを抱っこして道路を横切り、反対側の道端へ。ちょうど草むらになっていて、絶好のおしっこポイントです。パパローがクルマを石材店の敷地内へ移動して振り返った頃には、イチローもママローも安堵の表情を浮かべてました。なんとも田舎らしい”おむつ卒業トレーニング”となりました。

 そのイチローが、19日(月)から綾東幼児園へ通い始めました。「幼児園」というのは、保育園と幼稚園のいいとこ取りをしようという新しい施設で、全国でも綾東幼児園を含む綾部市内の2幼児園が初めての試みなのだそうです。園のテーマも「自然がお手本」です。この新しい施設に3月までは週3日の預かり保育、4月からは月~金(8時~16時)の保育コースに通うことにしました。

 つい先日まで、イチローは、

「じいじと配達行かなあかんで、幼稚園は行かん」

と言ってました。ところが、お友達になった近所の園児のお迎えに、ママローと一緒に2度同行させてもらったところ、子供たちに一緒に遊んでもらい、すっかり気に入ったのです。

 さっそく翌日に、パパローとママローの三人で見学に行きました。パパローとママローが園長先生に話を聞いている間も、イチローは園児たちに遊んでもらっていました。園内を歩いていたら、「あっ、昨日の子や」と園児たちが寄ってきて、またまた飛び入り参加となったのです。

 園長先生も、

「明日からでもいいですよ」

 という気安さ。「明日は土曜日やろっ」と心の中で突っ込みつつ、

「それでは来週の月曜日からでもよろしいいですか」

と話し、即決しました。

 その他のことも、基本は「何でもいいですよ」。朝8時からのコースでも何時に登園してもいいし、持ち物も横須賀時代のものでOK。おしっこをもらしても構わないし、イチローがいつも履いている長靴で通園してもいいということでした。

 ただし、初日の朝、イチローに「おむつとパンツ、どちらにする?」と聞くと、「おむつ」と即答。「幼児園でおもらししたら、大変だよ」と言ってました。また、「何履いていく?」と尋ねると、「靴」。「長靴でもええんやで」と言っても、「長靴は×だよぉ」と答えてました。パパローとしては、いつもの長靴で堂々と登園し、おもらしをしても「おもらししちゃった。イエェー」と叫んでほしかったですね。登園すると、先生も「今日は、長靴ちゃうんか」とおっしゃってました。

 昼食は給食で、ご飯だけを持っていきます。ところが、お箸やコップ、お手拭など何を用意するのか聞いていませんでした。先日、イチローの入る「うさぎ組」で説明を受けた時、パパローは男の子2人(女の子は4人)を見て、

 「イチローがピッチャーだから、キャッチャーのできそうな子はおるか」

 と思って、その動きばかり見ていたので、聞くのをすっかり忘れてました。それで「給食用の持ち物を聞いてなかったんですけど」と話したら、先生も「あっ、言うの忘れてました」。このリアクションがたまりません。パパローも入園申込書を持ってくるのを忘れたので、いい勝負です。それを恐る恐る言うと、「いつでもいいですよー」とまたまたゆるんだ反応でした。

 先生が、「今日は初日なので、途中で寂しなるかもしれんで、その時には連絡させてもらいます」とおっしゃいました。パパローの頭の中では「連絡⇒申込書を出してない⇒電話番号がわからない」と高速回転、「では、電話番号をお伝えしておきましょうか」と言ったのですが、先生は「いいですよ。どっかに出てますし」。そりゃあ、うちは酒屋ですが……。

 田舎のことなので、この子はどこの家の子とわかっているのです。とにかく、こんなゆるやかな雰囲気の中で、イチローの新生活が始まりました。

 イチローは、初日でも、お迎えに行く16時まで元気に楽しんだのはいうまでもありません。横須賀時代にも預かり保育に通っていただけあって、おもちゃのお片づけも率先して行い、給食の時にはご馳走様をした子に「まだご飯(粒)が残ってるで」と突っ込んでいたそうです。

  

2007年2月14日 (水)

未来の日本代表に告ぐ!

200702141700000  『サッカー世界一になりたい人だけが読む本』

 メディアファクトリーから2月16日発売です。

サブタイトルは、

 未来の日本代表に告ぐ!

 ジダン、ロナウジーニョ、アンリ、Cロナウド、カカ、ルーニーと同じワールドクラスのサッカー選手になるために必要なことが書かれています。

 大黒将志が、なぜ日本代表に救世主になり、いま、なぜ普通の選手に戻ってしまったのかも書いてあります。

 

2007年2月12日 (月)

おむつ、取れませーん

 おむつは、早い子で2歳半頃には取れるようです。3歳3ヵ月になるイチローも、2週間前ぐらいから、この”おむつ卒業”にチャレンジしています。

 寝ている時にはおむつなので、朝、起きると、

「今日は、おむつとパンツ、どっちする?」

と尋ね、

「パンツぅー」

070129 と答えたら、パンツを履くようにしています。そして、うちの誰かが、

「おしっこは、大丈夫か?」

と気にかけています。

 ところが、やっちゃうんですねー。おもらしを。おもらしすると、イチローは股を開いてガニ股歩きをします。そろり、そろり歩きながら、なんとも情けないという顔をしています。もちろん、ちゃんとトイレに行ってすることもあります。しかし、パンツを履いた日はたいてい一度はおもらしをしており、しばらくはおむつが取れそうにありません。

 しかし、うちでは誰も何の心配もしてません。ママローは、そういうことも考えてたくさんのパンツを買い込んでいましたし、パパローも、そのうち取れるよと思っています。それは、イチローの行動を見ていてもよくわかります。

 まず、第一に、パンツを履いてうんちをもらしたことは一度もありません。家族思いのイチローのことですから、うんちをもらすと、後の処理が大変だと気づかっているのでしょう。

 また、おもらしをするのも、何かをしているときです。たとえば、紙に絵や字を書いている時だったり、パパローとかくれんぼをしている時だったりします。絵を描くことやかくれんぼに熱中して、「アッ」と思ったら出ちゃったのでしょう。逆にいえば、それだけ絵を描くことやかくれんぼに夢中になっているということです。素晴らしい集中力と誉めてあげたいぐらいです。むしろ、その集中力こそ大事にしてあげたいと思います。

 実は、今日も夕方におもらしをしました。その時は、パパローが、

「お店にいるばあばを呼んできて」

 とイチローに頼んだ後でした。

「ええで」

 と返事したイチローでしたが、その歩き方や様子を見て、ママローが、

「おしっこじゃないの?」

と尋ねたのですが、イチローは、

「違うー」

と言い張ります。じゃあ、というわけでお店に行ってもらったところ、ガニ股歩きで帰ってきたのでした。

 おしっこよりも、パパローのためにお使い。

 そういうところも、優しいイチローらしいんですよね。おむつぐらい、時期が来たら自然に取れるよー。

2007年2月 8日 (木)

顔が変わりました。

 節分には、イチローも家の窓から豆をまきました。昨年の節分は、横須賀の家で「鬼は外、ウンチも外」と叫んで一人でウケて喜んでいましたが、今年は無言で豆を投げていました。「鬼」の存在をわかるようになり、もし鬼が出てきたらどうしようと怖がるようになったからです。

 イチローが聞きました。

「パパ、鬼が出てきたらどうするん?」

「イチは、どうしたらええと思う?」

 横須賀の預かり保育に通っていた頃、ウルトラマンのビデオを見ていたようで、昨年の終わり頃から、イチローがウルトラマンになって怪獣をやっつけるという想定で遊んでいることがたまにありました。だから、「ウルトラマンになって鬼をやっつける」と答えると思ったのですが、イチローの答えは、

「逃げたらええ」

 パパローは思わず笑い、

「逃げてもええで」

070116_v と答えました。それから逃げ方についていろいろ話をした後、パパローは、言おうかどうかちょっと迷いましたが、こう言いました。

「鬼に、『ごめん臭い』と言うてもええで」

イチローは、「えー」と笑いました。

「鬼に『ごめん臭い』と言うたら、鬼はどうする?」

「こける」

「こけるなあ。それから?」

「うーん、わかんない」

「笑うやろ」

「笑う」

「鬼が笑うでな。鬼が笑たら、イチ君と仲良くできるやろ」

 イチローは少し笑っただけでした。その翌日の夜、家の外へ物を取りに行くことになったのですが、怖くて外へ出られません。「パパも来てー」と泣きそうになっています。

「鬼が出たら、どうすればええんやったかな?」

「えっ、鬼が出てきたら。えーと、『ごめん臭い』と言う」

「そうやろ。そしたら、鬼が笑うで大丈夫。一人で行って来なよ」

 イチローは、走って取りに行きました。

 綾部に引っ越してきてから一ヵ月半、イチローの顔が変わったと言われることが増えました。確かに、横須賀時代に比べるとしまりがなくなったようで、実際、「顔にしまりがなくなった」と言われたこともあります。

 パパローは、横須賀時代は、それだけ緊張していたのだと思います。たとえば、ちょっと近所へ散歩に行くのでも、洋服を着替え、顔を洗い、髪をとかして出かけました。その準備段階では、遊んだり、逃げたりするイチローと親のバトルが繰り広げられます。それが、田舎では服は着替えなくても「ま、いいか」、口の周りに牛乳の跡がついていても「ま、いいか」、髪が寝癖でハネていても「ま、いいか」です。人の目というものが気になりなくなりました。それだけ都会暮らしでは、親の心にも「鬼」がいたということでしょう。あるいは、その鬼と打ち解けることを忘れていたということかもしれません。

 イチローは、まだ3歳です。そんなに小さな頃から、毎日、緊張して暮らしていていいとは思えません。『すべてはゆるむこと』の著者としても、「しまりがなくなった」=「ゆるんできた」だと思って喜んでいます。そして、しまりがなくなったのは、親も同じです。「しまりがなくなった」は、田舎の実家へ引っ越してきたパパロー一家にとって最高の誉め言葉だと思います。

 

2007年1月30日 (火)

お葬式に参列

 1月24日、パパローの母方の祖母で、イチローのひいおばあちゃんが亡くなりました。96歳でした。6年前から寝たきりとなり、主に在宅介護を受ける日々でしたが、ついに力尽きたという感じでした。

 それでも子供4人、孫9人、イチローも含めたひ孫13人に恵まれ、誰一人にも先を越されることがあり070116__1 ませんでした。最期まで意識もしっかりしていて、パパロー一家が綾部の実家へ引越してきたことも喜んでくれましたし、お見舞いに行ったイチローとも握手をしたり、顔を触ったりして笑ってくれていました。もう会えないと思うと寂しいですが、棺に眠る顔もやすらかで、まさに「大往生」だったと思います。通夜、お葬式の日も暖かく、おだやかで、参列者の雰囲気もその天気のようにおだやかでした。

 イチローも、通夜、お葬式に参列しました。パパローを驚かせたのは、まさに葬儀が始まろうという時です。自宅葬だったので、直前まで祭壇前に安置されていた棺が別の部屋へ移されていました。お坊さんの座る場所を確保するためです。

 と、その祭壇の前へイチローが歩み出たと思ったら、

「ばあばは、どこいったん?」

 祭壇を指さし、

「こん中、入ったん」

 この行動が参列者の静かな笑いを誘いました。それで何を思ったか、参列者の方へ顔を向けると右手をあげながら、

「ああ、お客さん、たくさん。それでは、イチ君が先生になりまーす」

と言っちゃった。

 パパローは、その瞬間、「やるなあ!」と思いましたね。参列者から笑い声もでた。でも、それ以上は「マズイ」でしょう。イチローは横須賀で預かり保育に行っていた時から先生の真似が好きで、普段から「ねー、みんなー、ここからジャンプしてもいいんだっけ。ダメだよねー。危ないよねー。みんなで『×』って言って。あら、『ベー』なの」なんて一人芝居をしています。これをやっちゃうと冗談では済みません。パパローは、すかさずイチローを抱っこして連れ戻しました。

 他のひ孫たち(小学生や幼稚園児、それにイチローと同い歳の女の子)は、後ろの方でおとなしくしています。しかし、イチローの最も苦手なことは、じっとしていることです。しかも、お坊さんの読経が始まると、近くまで見に行かずにはおられない。

 そこで、今度はママローが付き添いました。そして、喪主のいる最前列を指差して、「そこまでは行っていいけど、そこからはダメよ。ちゃんと座って見ていてね」と諭します。きちんと言って聞かせれば、物わかりのいいイチロー君。しばらくは、小さな数珠を手に座っていました。

 それでもしばらくすると、歩き始めます。参列者の間を歩き回ったり、祭壇の近くへ行ったり。そのたびに、パパローは心の中で「そこから先はダメだよ」と念を送っていました。

 でも、さすがにひいおばあちゃんのお葬式だなと思ったのは、誰一人、そんなイチローを叱ったり、外へ連れだそうという人がいなかったことです。そればかりか、歩き回るイチローをヒザに座らせて、指遊びで相手をしてくれた人がいたり、式後、「元気がいいなあ」とか、「捕まえようとしても、すばしっこくて捕まえられなかった。すごいねぇ」とか、「一つ一つのことに感動して、素晴らしいね」と誉めてくれる人もいました。なかには、ちゃんと付き添いながら自由にさせるってなかなかできないと、ママローの行動まで誉めてくれた人までいました。

 パパローも、ママローも、どんな時でも、できるだけイチローを自由にさせようと思っています。まあ、忙しい時や時間に追われると難しいこともありますが、ひいおばあちゃんのお葬式では、できるだけ自由にさせることで、イチローは初めてお葬式を体験できたし、多くの人から、その存在を認めてもらうことができました。これも、ひいおばあちゃんの人柄ゆえだったと思います。「かなんてや(困るなあ)」と言いつつも、いつもニコニコしながらいろんなことを受け入れてきたおばあちゃんのお葬式だったからこそ、参列者の方々も、イチローの行動を温かく見守ってくれたのだと思います。

 パパローにとって、このおばあちゃんの最も強い思い出は、今から30年ほど前、パパローが高校生、おばあちゃんが60代の頃のことです。正座しておじぎするおばあちゃんが、まるでベビー布団か何かのようにペターンと折りたたまれたことですね。身長140センチほどと小柄だったこともあって、実にコンパクトにまとまり、このまま風呂敷に包んで持ち運べそうだと思ったのを覚えています。

 今から考えると、それだけ全身が柔らかく、ゆるゆるにゆるんでいたということです。やはり、あれだけゆるんでいたからこそ、性格もおだやかで、いろんなことを受け入れ、それでいてストレスもそれほど感じず、96歳まで長生きできたのではないでしょうか。『すべてはゆるむこと』という本の著者としては、なおさら、このおばあちゃんの境地こそめざすべき目標だと思いました。せっかく綾部に帰ってきたんですから、これからは、このおばあちゃんのような境地で暮らせればと思います。

2007年1月17日 (水)

配達せなあかんもん

 幼稚園や小学校の冬休みが終わり、元気に登園を始めた頃、イチローに、

「幼児園を見学に行く?」

と尋ねてみました。綾部市には、幼稚園と保育園を合体させた幼児園という施設が、全国で初めてスタートしています。現在、3歳のイチローは週に何日、一日に何時間でも自由に設定して通うことができます。また、4月からは幼稚園のカリキュラムで通うこともできます。

「うん、行く、行く」

 そう答えたイチローでしたが、その後、横須賀で預かり保育に通っていたように、また幼児園に通うか? と尋ねると、すぐに「行かなーい」と答えました。

「なんで」

「だってぇ、イチ、配達に行かなあかんもん」

 答え方も、すっかり関西弁になっています。 

 そうなんです。イチローは、朝食をとると、そのまま隣にある店へ直行。じいじと一緒に070116 店番をし、お酒の配達や畑を行きます。いつもじいじの後をついて歩いており、イチローにとっても、配達は楽しい”仕事”となっています。

何しろ配達のついでに牛舎を訪ね、子牛をなでたり、幼児用の自転車に乗せてもらったり、いまは寝たきりになっている曾祖母を訪ね、握手してきたり、大好きなイチゴをもらったりきます。

 今日も、配達先で放し飼いのニワトリを見ていたら、ちょうど卵をポトンと産み落としたそうです。すると、その家のオジサンが、まだ温かい卵をくれて、両手で包むようにしながら大切に持ち帰ってきました。家に帰っても持ち歩いていたので、赤い長靴を履く時に落とし、ちょっとヒビが入ったようですが、イチローは、

「パパ、セーフ、セーフ!」

 夕食の時、目玉焼きにすると、イチローは黙々と食べました。「おいしい」と感じている証拠です。じっさい、産み落とされてから4時間後の卵は、ふわっと軽くてとてもおいしかったです。

 また、じいじと畑に行けば、大根を引き抜き、それを抱えて帰ってきます。その大根が2時間後には食卓に並んでいて、イチローも大喜びです。

 幼児園へ行くより、じいじの後ろをくっついて歩いている方がよほどワクワクするし、社会勉強になるようです。また、一番近い幼児園は水疱瘡が大流行という話も聞いたので、しばらくは、じいじに弟子入りすることにしました。

 そこで、パパローはイチローに課題を一つ。

「配達に行ったら、大きな声で『毎度、おおきに』と言ってね」

 その2日後、配達から帰ってきたイチローが、「パパー、『毎度おおきに』って言えたぁ」とニコニコして報告してくれました。

2007年1月 9日 (火)

2007年初打ち

 2007年、イチローの初打ちは、1月7日でした。

 横須賀でもしていたように、部屋でビニールバットをもって、ふわふわのボールを打ちま   070105す。引越しもあって、イチローがバットを 握ったのは3週間ぶり。最初は3度空振りしましたが、そのうちいい当たりを連発するようになりました。イチローも、久々の感触にうれしそうでした。

 横須賀の家も4sLDKと広かったですが、綾部の家はもっとビッグです。なにしろ、元旅館なので1階と2階合わせて部屋が8つもあります。間取りでいうと8DKにサービスルームが2つ。1階と2階にそれぞれ廊下があり、ふすまを開け放てばかなり広く使えます。室内練習には十分な広さです。

 築90年を超える、この家を建ててくれたのはイチローの曾々祖父にあたる人です。明治の終わりから、大正の初め頃に建ったのではないかと伝わっています。そして、昭和初期の頃から旅館を繁盛させたのは、イチローの曾祖父です。腕のいい料理人でもあったそうで、パパローの生まれた60年代ぐらいまで、丹波と若狭をつなぐ抜け道にある旅館として富山の薬売り商人などの旅人が泊まっていたそうです。パパローが小学生のときには、よく泊まったという人が訪ねてきては、「あのボンが、こんなに大きくなったか」と頭をなでてくれました。パパローは、子供の頃、「松井屋のボン」と呼ばれていました。

 しかし、自動車の普及とともに、旅の人たちも丹波から若狭まで一気に走り抜けるようになりました。また、訪れる人も少なくなり、旅館を廃業。旅館を開く前からの酒屋だけがいまも続いているというわけです。

 といえば、その酒屋は将来どうなるのかということになりますが、跡取りのはずの息子は物書き(申し訳ない)、その息子のイチローも、いまは野球に夢中。ママローがチラリと意欲を見せていたりしますが、まあ、どうなるかわかりません。

 写真のイチローは、かなり高いボールを打っていますが、これは、パパローがカメラを構えながらボールを投げたせいです。いまは、どんなボールにも手を出しますので、普段はストライクゾーンに投げるように気をつかっています。

 また、バットの握る手が上下逆であることに気づいた人もいるでしょう。右打ちの場合、正しい握りは左手が下で、右手が上になります。でも、イチローがバットを最初に握ったときから、この握りだったのであえて直していません。ものの本によると、アメリカの戦前のホームラン王ベーブ・ルースも子供の頃は手の握りが逆だったそうです。イチローもこういうエピソードは無理に直さず、残してあげたいと思っています。

2007年1月 1日 (月)

引っ越しました

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 松井一家は、昨年12月19日にパパローの実家へ引越しました。横須賀で3年暮らしてみて、パソコンがあれば、横須賀に住んでも、京都北部に住んでも、ほとんど変わらないことがわかったからです。どこに住んでも同じなら、関西に住みたいということで、とりあえず、パパローの実家のある京都府綾部市に帰ってきました。

 こちらで聞いて驚いたのですが、新たに開通した高速道路を利用すれば、神戸まで約1時間で行け、綾部の若者のデートスポットになっているそうです。ということは、甲子園球場までも約1時間で行けますし、大阪市内まで約1時間半しかかかりません。27年前の高校時代、甲子園球場まで車で3時間かかったことを考えると、今では実家から京阪神への取材も、とても行きやすくなっています。

 ただし、新たに開通した高速道路というのが、ガラガラの「本当に必要なの?」という高速道路。全国の納税者の皆様に申し訳ないと恐縮しながらハンドルを握ることになるのが、やや心苦しいです。

 イチローは、綾部へ引越して来てから毎日、お酒の配達に行くじぃじ(実家は酒屋です)Photo_2 にくっついてあちこちのお宅を訪ね、みかんやりんごやクッキーなどをもらって帰ってきます。また、周囲には田畑が広がっているので駆け回っていますし、暮れの大雪では、じぃじに”マイ雪かき”を買ってもらい、庭の雪かきをしていました。横須賀では、12月に入って毎夜のように、夜中の2時頃から約1時間ほどひどい咳をして吐いたりしていましたが、こちらに来てピタリと止まりました。三浦半島と比べるとずいぶん寒いですが、毎日、元気にしています。

 それにしても、引越しは大変でした。

 それも、これも、19日が引越しなのに17日まで原稿を書いていたパパローのせいです。当初の予定では14日で仕事が終わるはずでしたが、急に原稿の依頼がありました。最初は断ったのですが、相手がなかなか電話を切らず、仕方なく受けたため、自分の部屋を片付け始めたのが17日の夜。18日にはいろんな手続きもあって、荷づくりを再開したのが夕食後となり、台所の割れ物の梱包に意外に時間がかかりました。

 イチローのものは、15日からママローが一人で荷づくりしてくれて片付いていましたが、引越し前夜の深夜になっても、後回しになったママローの部屋が残っていました。パパローは、当日、横須賀から綾部まで車を運転するので約2時間の仮眠を取っただけで、ママローは完全徹夜となりました。それでも19日の朝9時半、引越し業者がやってきた時には、まだ梱包が終わっていませんでした。大急ぎでダンボールに詰める間にも、荷物の搬出が始まるという慌しさでした。

 搬出も大詰めに近づいた頃、パパローが和室で残りものをダンボールに詰めていると、イチローが一人でバタンとひっくり返り、また起きてはバタンとひっくり返っています。何をしているんだろうと見ると、「おじゃましまんにゃわ」と言いながらひっくり返り、「何、言うとんやー」と叫んでいます。

「イチ、関西弁の練習してんの?」 「うん」

 イチローなりに関西へ引っ越すことを理解して、吉本新喜劇や突っ込みの練習をしていたのでしょう。

 大晦日は、紅白歌合戦の曲に合わせて踊り、じぃじとばぁばに大うけでしたが、まだ「おじゃましまんにゃわ」のギャグは見せていません。おそらく、いとこたちがやってきたら、一発お見舞いするのではないかと思います。

2006年12月 5日 (火)

おー、おー、おー、おー

『おわび』 サッカーの本を一冊書いていたので、しばらくお休みしました。本は、2月中旬に発売予定です。

 イチローが週2回通っている預かり保育では、9月に運動会がありました。イチローの出番は、かけっことお遊戯で、かけっこは、さすがに速かったです。まだ「一番になるぞ」という気持ちがないので、最初はチンタラ走っていましが、いつも砂浜や公園で遊んでいるように、一緒に走ったパパローが後ろから追いかけたら、前を走っていた子をビューンと追い越していきました。

 まあ、かけっこはよかったのですが、問題はお遊戯です。せっかく練習してきたのに、イチローは全く踊ろうとしません。他の子たちは音楽に合わせて体を動かしているのに、立っているだけ。かと思ったら、グラウンドに描かれた白い線のところへタタっと歩いて行ってしゃがみ、石灰を手につけて眺めます。その瞬間、パパローもお遊戯のことなど吹っ飛び、顔がニヤッとしてしまいました。

 白い線は、野球場にたくさん引かれています。甲子園球場に神宮球場、横浜スタジアム、東京ドーム、さらに横浜高校グラウンドとたくさんの野球場へ連れて行きましたので、グラウンドの白い線に興味をもつのも無理はないと思ったのです。だってねぇ、特に甲子園球場の黒土に引かれた白いラインの美しさは、一度見たら、目に焼きついて忘れられませんからね。

 運動会からの帰りの車の中で、イチローに、「どうして踊らなかったの?」と尋ねてみました。すると、意外な答えが返ってきたのです。

「Aちゃんがいなかったから」

 そういえば、入場門でお遊戯の出番待ちをしているとき、イチローのすぐ後ろにAちゃんがいました。イチローが見つけると、すぐにAちゃんに接近。そればかりか、なんとイチローの顔をAち100_2922 ゃんの顔に近づけています。「おい、おい、おい、おい」と思いましたね。そのままチュウするんじゃないかと。Aちゃんも、自分の顔を両手ではさむようにしているし。

二人とも、なんか慣れている。

 その後も、二人で手をつないで体を寄り添い、ニコニコしていました。

「2歳児って、ここまでするのかな」と思いつつも、「うーん、微笑ましい」と思いながら見ていたので、先生から「入場でーす」と声がかかった時にはもう忘れていました。イチローは、ママローと手をつないで入場したのですが、歩いているうちにAちゃんとの間に距離ができ、離れ離れになってしまったのです。でも、イチローは、ずっとAちゃんのことが気になって、踊りどころではなかったのです。

 あれから、三ヵ月。保育園で、イチローの席の隣がAちゃんで、とても仲良くさせてもらっているようです。保育参観のときに見ても、Aちゃんは、すごくかわいいうえに、性格も素直そうだなあと思うぐらいいい子でした。最近は、パパローが保育園へイチローを迎えに行くと、Aちゃんも「バイバーイ」と手を振ってくれるので、両手を広げて振り返しているパパローでした。

2006年10月 3日 (火)

初恋かな?

 イチローが、幼稚園付属の「預かり保育」に通い始めたのは昨年の6月からです。朝、クルマで送って行っても、最初の頃はパパローが帰ろうとすると泣いていましたが、すぐに慣れて、週に2回楽しく通うようになりました。

 100_2153 10月になると、送り迎えのクルマの中でも、家に帰ってからも、「Hちゃん」「Hちゃん」と1人の女の子の名前をよく口にするようになりました。やがて、「イチねぇ、Hちゃん、好きなのー」と毎日のように言い始めました。当時、イチローは、まだ2歳になっていません。こんなに小さくても、女の子を好きになるものでしょうか。パパローに、その頃の記憶は全くありませんが、イチローは、はっきり「Hちゃんが好き」と言っていましたし、彼女以外に「好き」という子もいませんでした。

 その預かり保育では、12月にクリスマス発表会が行われます。イチローも、同じクラスのお友達と「かえるの体操」というお遊戯をすることになっていて(舞台には上がったけれど、ほぼ棒立ちでした)、その日はママローの体調が悪く、パパローだけが見学に行きました。ホールの床に、イチローの一番のお友達のT君と、そのママと一緒に座り、出番を待っていました。

 すると、イチローが「Hちゃん」と言って、T君とは反対の方を見ます。その視線を追うと、その先には、お姫さまのように可愛い女の子が座っていました。偶然にも、Hちゃん一家が私たちの隣に席をとっていたのです。そして、まあ、確かに、すっごく可愛いんです、この子が。

 しばらくして、パパローは、Hちゃんの横に座っていたおばあさんに、

「うちの子が、いつも『Hちゃん、Hちゃん』と言っているんですよ」

と話しかけてみました。すると、おばあさんが「ああ、そうですか」と笑い、Hちゃんに、

「この子、なんていうお名前?」

とイチローを指差しました。ところが、Hちゃんの答えは

「知らなーい」

です。

 ガ~ン!

 パパローは、苦笑しながらも、心の中でイチローに「ドンマイ、ドンマイ」と語りかけています。しかし、Hちゃんは、続けてこうも言ったのです。

「あっちの子は知ってる。T君」

 ガーン ガーン ガーン!

 そりゃあ、確かにね、T君は、太陽のようにあったかい笑顔をもつ男の子ですよ。ホントに優しい顔をしています。それにしても、ですよ。イチローは、名前も覚えてもらっていませんでした。これを「初恋」と言っていいのかわかりませんが、切ないですよねー。イチローも、さぞショックは大きいでしょう。パパローなら、立ち上がる気力も失い、呆然と座り込んでいたかもしれません。

 しかし、イチローは、その後、意外な行動に出ます。正座しているおばあさんのヒザをコチョと触ったのです。おばあさんが、「あらぁ」と言いながら笑います。イチローは、ちょっとおばあさんから離れますが、笑いが収まると、また近づき、ヒザにコチョッと触ったのです。またおばあさんが笑います。その笑いに、Hちゃんが気づいてイチローに興味を示し始めました。

 すると、イチローは、「ジャンプ、ジャンプ」と言いながら、その場ジャンプを始めました。それを3回繰り返すと、Hちゃんが大笑いしました。とにかくウケています。そして、5回目のジャンプをすると、なんとHちゃんも「ジャンプ、ジャンプ」と言いながら、イチローと一緒に、笑いながらその場でジャンプを始めたのです。

 恐るべし、2歳児です。よく、こんな行動が取れるなあと、ただただ感心するばかりでした。

 あれから1年近くがたちます。いまもHちゃんとは、同じクラスです。実は、今日の朝、「今日はHちゃんと遊ぶの」と言って預かり保育へ行きました。イチローの口からは、ずいぶん久し